房総をめぐる
寒くなってきた、少しは暖かいところへ、となんとなく思って、南房総に出かけた。海が見たかったのかもしれない。
連休の首都高速や東関東道はいかにも混みそうな気がした、しかし他にあまりいい道もない、あきらめて渋滞を走る。房総は半島というより、島の雰囲気がある、たどり着くのが骨が折れる。とにかく10時過ぎに房総の入り口、船橋の三番瀬で一休みして干潟をみる。潟は潮が引かないと現れない、引き潮のピークは13時ころだからまだ十分に引いていないだろうと大して期待もなかった、が、浜に出ると随分近くに小型のシギが群れている、イソシギかと思ったが良く見ると大体がハマシギのようだ。(三番瀬のハマシギ、YouTube);。鳥見の人もパラパラいる、海に入って海側から写真を撮る人さえいる、確かにそのほうが光線がいい、しかし囲まれても鳥は慣れているのか逃げていかずに大サービスだ。浜にはタヒバリも見える、鳥と風景がやわらかくなじんでいて鳥も楽そうだ。
東京湾は忙しい、こんな浅瀬の向こうには大型の船が次々に行き過ぎる。(三番瀬沖の船、YouTube);。人の生活と野生が近い。そのうち汐が引いて干潟が広くなっていくとシギは浜辺から次第に離れていく、サービスも終りだ、こうして野生の世界に戻っていく。鳥を見にきているこちらは単純に、そうか、潮が引きすぎると遠くなるんだ、引く前がいいんだ、と合点する、干潟に滅多に来ないとこんなことが何か新鮮だ。ともかく三番瀬は楽でいい、人と鳥がつかず離れず、都会の海らしい。
次も干潟だ、小櫃川(おびつがわ)河口干潟 に向かう、野鳥の会千葉支部のページで紹介されていて良さそうに思えた、ここはかなり大きな干潟らしい。地図でおおよその場所の当たりをつけてナビで来るが干潟の入り口がよく解らない、数台クルマが路駐している辺りかと丁度クルマに戻ってきた人に尋ねると、そうだという、金網扉の横から入ると小道が延びている。感じのいい葦原を暫く歩くと海辺に出る、干潟が遠くまで広がって、その先にアクアラインの海ほたるが見えている、なかなかいい所だ。干潟のへりに来ると近くに居たハマシギらしい小型のシギがサッと逃げて遠くの干潟へ移動してしまう、確かに干潮のピークでは鳥は遠い、まあ仕方が無い、スコープで見ると大型のシギが居る、鳴き声が時々聞こえる、アオアシシギかもしれない、コチドリらしい千鳥が少し寄ってくるがそれにしても遠い。しかしのんびりとした風景がいい。三番瀬より随分と野生の世界に踏み込んだ感じだ。路駐していた人たちは干潟を横切って左側の河口のほうへ行っているようだ、干潟は長靴持参でないと動けないし潮が満ちてくるとあっというまに海になりそうで知らない干潟の中に踏み出すのはためらわれる。広い干潟というと有明海の潮干狩りを思い出す、有明海はこんなものではない、沖へ船で出て昼寝をしているとあたり一面干潟となり船は干潟に座した形となる、そこら中で潮干狩りをするのだが嫌になるくらい採れる、また潮が満ちてくるのを待って船が浮かんだ頃合に港に戻るという一日だ。干潟は海そのものだとの印象があった。有明海ほどではないがここも広い干潟だ、満ちてくれば予想を超えるスピードで海に戻るのだろう。
夕日を館山で見ようと、また走り始めるが、思ったより随分と房総は長い、なかなか着かない。海辺の道を走りながら横目で落ち行く夕日を見る、映画のシーンのようで、これも悪くない。
日が落ちた頃宿の休暇村にたどり着く、来ている人は東京圏以外からは殆ど無い、都会の3世代の家族連れが目立つ、北関東とは違う東京っぽさを感じる。房総は走っても走っても東京から抜けれない、そんな感じが漂う、江戸の田舎のようで、広がる穏やかな野生が都会の息を支えている、何か東京の原点を見る思いだ。
短い旅でも旅は隠しようも無く放射しているものを受け取れるところがあって、楽しい。
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