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2009年12月29日 (火)

伏見にて

今年の年末は福岡までクルマで移動することにして宇都宮から走り始めた、3年前の同じ時期に走った時は関が原が雪で大渋滞だったが今回はどうということも無く関西までたどり着いた。京都南に近い伏見の辺りを中継点にしてまた次の日走るのだが、早く着いたこともありぶらぶらと幕末の事件の舞台となった寺田屋辺りをみたり江戸時代からの酒蔵のたたずまいを見たりしていた、寺田屋は来年の大河ドラマの坂本竜馬でも登場するためかやたら見物人が多い。坂本竜馬暗殺の犯人はこの人ですという説明と共に渡辺篤の写真や暗殺告白の遺書の写真まで展示してある、来年はもっとはやるに違いない。しかし暗殺は近江屋で寺田屋ではない、こちらは薩摩藩の寺田屋事件の現場だ。改めてみると、狭い。こんなところで薩摩藩士同士の血なまぐさい切り合いが起こったというのが信じられないくらいだ。ともかくも京都で伏見は戦国時代以来の武家の実質的中心地だった、桃山時代の中心地であり、鳥羽伏見の戦いもここが主戦場だというのが象徴的だ、酒のにおいと共に少々血のにおいがする、明らかに公家の世界とは違う雰囲気が展開している。水運の中心で、銀座のある経済の中心でもあった、京都の都は公家が占めていて新しい力はその場所を南の伏見に場所を求めるほか無かったようだ、今でも京都地域の新たな宅地は伏見以Terada 南が大勢らしい。明治天皇の御陵ですら桃山につくられている。寺田屋の前を流れて淀川へ通じる川堀を見ていると小さな流れが時代を変えてきた様が想い浮かぶ。
過ぎ去った人々そのものは勿論今は無に帰している、しかし場所というか土地には、歴史として文字に書き下されなくともどうしようもなく消えないものを感じる。更には、本当は過ぎ去った時代を取り巻く全てが無に帰して宇宙のかなたへ飛び去っているはずだが、現世を生きている世代は 種としての経験の蓄積として抜け殻を役立たせようとそのイルージョンをその場所の空中に漂わせている。観光名所はイルージョンの塊のようだ。

見えている或いは書かれている歴史は本当は川に浮かぶ木の葉のように軽いものかもしれない。

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2009年12月24日 (木)

道が開けて

なかなか貫通しなかった道がやっとこの前の週末開通して随分と街までストレートにつながった。1kmも無い区間だったが見た目殆ど出来上がっていて1年以上放置されていたように見える、何故こうまで遅れたのか、遺跡でも出てきたのだろうか、よく解らない。とにかくできたので休みに通ってどこかへ出かけようと走り始めた。当ては無い。
街の東のほうに何か最近見つけたと考えていたら、親鸞の関東での拠点とした寺というのが真岡近くにあった、と思い出した、今までそんなところは聞いたことも無かったし、そもそも宗教は総じて嫌いなのだが重文が色々あるらしい、訪れてみるかと向かった。ナビで入れてみると1時間くらいかかることになっている、まあいいか。二宮尊徳の遺構をみて細くて曲がりくねった道を行くと駐車場につく。専修寺という。
誰もいないがなかなかの造りの山門やお堂がある。京都の寺などに較べるSenjyu3 とちょっと小ぶりで如何にも実質的なお寺との感じがにじむ。戦国時代の戦火に焼かれて元禄の頃再建されたらしいが親鸞の時代からのケヤキも残っていて流れていった時間を感じさせる。二宮尊徳が幕末期 近くの桜町陣屋を拠点に活動 したのも或いはここに専修寺があってこの辺りが地域の中核だったためかもしれない。水にも恵まれいかにも古くから人の営みがあったとの感じが漂っている。しかしこんな由緒のある寺院がSenjyu2近くにあるとは知らなかった。
道ができると新しい何かが開ける、開いたものを少し押すと更に新たな空が見える、何か大事な感触を思い出したような気がした、扉を少しばかり押すことが肝心のようだ。もうそろそろ今年も終わろうとしている、次の年はどうなるだろうか、新たな扉をおせるだろうか。

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2009年12月19日 (土)

1Q84

1Q84という村上春樹の本を会社の帰りに図書館に寄って毎日30分ずつ読Book2 んでいる、こんな読み方もなかなかいい。反芻しながらイメージを拡大していける、はまり込み方が広くなる。ともかく読む。読んで行くに従い、著者自身が話の中に登場しているような気になる。考えているだけのことでも何でも見通す リーダー というのは著者村上春樹でしかありえないのではないか、更には青豆の物語は天吾の執筆中としている小説そのものではないのか、という想いに至る。小説の半分の主人公が残り半分の書き手として姿を現しさらに本当の書き手も存在を表す という思いつきが気に入って、暫く読み進んでいる。まだ最後に到達していない、本当にそういうことなら面白いがどうもそうでもないらしい、と3/4まで読んだところで思い始めた。自分で書くならそういう風にして紙から飛び出したねじれた立体を描くだろう。小説では書き手がオールマイティだ、ミクロコスモスすべてを神の目で見、神の手で操れる。小説の中に解き放たれた人格は書き手の頭の中から彫りだされ小説の中を走り回っている。書けることに際限が無い。

しかし読んでいると書いてみたくなる、とても言葉も足りないようだし彫りだしてもかけらしか出てこないような気がしているにもかかわらず、だ。
1Q84の方は3/4のここまでくると大団円近しとの香りが漂ってだんだん普通の小説になってきたような気がしてくる。
もうすぐ終りがきてしまうのも少々寂しいものがある、次を探し始めねばならない。寒さの冬は読み物に限る。

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2009年12月18日 (金)

寒さと地震

寒くなった、寒気のコアが極東でするすると南下している。北極振動を調べてみようとしたところで地震だ、突き上げるように来た後かなりの横揺れが来る、震源に近いようだ、ネットでみると震度4だという。6時間くらい前に伊豆で震度5の地震があったらしくて、関係あるかもしれない。
091218aq 北極振動を調べようとして地面の振動が飛んでくるのはいささか妙な感覚だが北極振動に戻る。やはり北極振動指数(AOインデックス)は随分な落ち込みとなっている、極渦が弱まって北極の寒気が流れ出している。この寒さは典型的な北極振動によるものと納得する。
地震も寒気が降りて地面が縮んで起きたような気がしてくる。寒さは地球の息だ、地震は地球の身震いだ。この辺りの地面も寒がっている。

しかし冬は寒さがあってこそだ、しびれるような冬がいつになく心地よい。

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2009年12月15日 (火)

ふたご座流星群が

今年の冬はふたご座流星群が良いらしいというので極大の13日の夜に見ようと思ったら一面の雲。14日の夕方からはまた雲が広がりあきらめかけていたが15日の早朝はようやく快晴の夜空となった。それではと防寒対策をしっかりして起き出して星空を眺める。この時刻ふたご座は西に沈みつつあるがベランダからは東南の空しか見えない、要するにチリの大気圏への突入だからまあどこでも見えるだろう、とタカをくくって見始めるがなかなか落ちない。しかし じっと空を見ていると細かく落ちているのか全体がうごめいているようにも感じられてくる、そのうち 向かってくるものか、尾を引かないで輝いて消えるだけの点が見えてきたりもする、なんだか沢山流れているような気配だ。と、大きく天頂付近から東に流れる、これは見ごたえある、ややあって東南の中空から下に流れる、確かに通常よりは多い、しかし防寒具を着ても寒さは入り込んでくるし首も疲れる、もういいかというところでお終いにした。

この流星群は直径5kmくらいの小惑星ファエトンが彗星として元気に回っている頃に撒き散らしたチリの帯が地球軌道と交差してもたらされたものだが、そのうちファエトン本体が降ってくるのではないかと心配になる。調べるといまのところ2093年に月の軌道の7-8倍向こうを通過する位だから直ぐにどうこうということは無い、数百年のうちには危ないこともありそうだが今は冬の流星雨を楽しんでいればそれでいいということのようだ、気楽なものだ。
厳格な自然のルールで支配された宇宙に、漂うような視点で想いをはせてNew2 いると、本当に宇宙に飛び出したくなる。時が経っていけば人が大挙して月に出かけられる時代が来るのだろうか。22世紀だろうが30世紀だろうが40世紀だろうが時間はともかく流れ続けていく、そのうちにはそうなるだろう、月で宇宙に触れればそれは多くの人の考え方を変えるに違いない。今がその時代でないことが悔やまれる、ただそこまで人類という種が生き延びてほしいと願うだけだ、すくなくも自分のDNAのある部分が月にいずれは到達する様を思い浮かべるだけでも今は十分かもしれない。星に願いをかけるまでも無く、深く思うことは必ず実現する、そう信じている。

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2009年12月 9日 (水)

蕪栗沼・伊豆沼の眺めが

12月の初めの週末、マガンの群れを見に蕪栗沼・伊豆沼に出かけた。これで3回目になるが、高速1000円ならあの空を埋める圧倒的光景を見ないのは損な気がしていた。高速を長者原で降りて化女沼を少しばかり見るが風が弱いと猛禽類は出そうに無い、早々に蕪栗沼に向かう。いつもの北側の駐車場に停めてプレハブで様子を聞くと11月にはマガンが7万羽いたが今は5万羽に減っている、秋田のほうへ行っているようだ、という。5万羽でもすごいと、日暮れ前の沼の様子や、今まで行ってなかった南側の駐車場からのアプローチを試したりして日暮れを待つ。雲が低く 予測では16時前に降り始める雨模様だった、強い南風との予想とは違い風は殆ど無い、土手の上から見ることにする。ほぼ予想通りに16時少し前から小雨が降り始める、こんな時には当たってほしくないが雨のねぐら入りも少しばかり興味がある。マガンは雲が厚くて暗いためか日没の1時間近く前からぱらぱらと戻り始めている、日没は16時16分のはずだが15時50分頃から主に西側の空が無数のマガンで埋められる、東南側からは(去年より更に)少ない、化女沼にでも行っているのだろうか、雨のせいではなさそうだ、雨そのものはあまり影響を与えていないように見える。ガガッガガッという高周波の音を含むマガンの鳴き声が辺りの空気を震わす。なんだか心が落ち着く風景だ。雨ではビデオや写真や録音の電子機器は使えずただカッパを着て佇むだけだが悪くない。体で感じればそれで十分だ。
宿は瀬峰の駅前旅館とした なんだか普通の家に泊めてもらっている雰囲気の宿だ、大正時代からの宿だという、昔からこうなのだろう、部屋は新しく変えているが今の世の中には置いていかれたようなところがあってこれでは苦しいか、と思ってしまう。時間の流れが現実に場所によって違っているようでそれも面白い。
Imgp9432翌朝の飛び立ちは、雨が上がったこともあり、なかなかの壮観だ、確かに 数が多い、何波にも分けて群れが飛び立つ、霧がかかって少しかすんだところもいいし、残月に雁が飛び交う様は絵になる感じだ。何度見ても圧倒的だ。(蕪栗沼、マガンの飛び立ち、YouTube);去年と同じで近くの東北線の電車が通るとこれをきっかけに飛び立っており、日の出が遅くなっているにもかかわらず昨年と同じ時刻に飛び立ってImgp9430 いるようだ、やはり人の生活と結びついた里山だ。
昼間は伊豆沼の周りを鳥を求めて動き回る、それにしても昼間のマガンはもう沼の周りの田には居ない、昨年11月の時に見られた場所には一羽も居ない、サンクチュアリセンタの話では餌を食べつくしてもっと遠くの田に行っているらしいが探せども見つけたのは30羽くらいの群れのみで大群はついに発見できなかった、大量すぎるとまた動きが違ってくるようMagan だ。同じ様にみえる渡りも毎年毎年違った様態を見せる、自在に変化できるところが恐竜時代から生き残れた鳥類の真骨頂なのだろう、人間も国境を挟んで固定化した生き方を続けていくようでは長くは持ちこたえられないかもしれない、国境なんて早く取り払わないと、と思う。地球はそんなに甘くは無いだろう。蕪栗沼・伊豆沼の眺めはいつも色々考えさせてくれる。

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2009年12月 4日 (金)

次々にブラックボックスが破裂している

時々10年前は何をしていたのだろうと思う。1999年の12月。思い出さない。過去がこんなに軽いとは思わなかった。
11月の終りにチュウヒも もう来ているだろうと渡良瀬遊水池に鳥を見に行った。ハート型の池には鴨はまだ少なくて,他には頭の黒いカンムリカイツブリが遠くに居るくらいだ,今年の渡りは遅いのだろうか。鷹見台に回るがオオタカとチュウヒが一羽くらいでこれも少ない。風が弱いとチュウヒもあまり出てこないような気がするがそれにしてもひっそりしている。夕刻のねぐらいりは期待できるだろうか、と危ぶみながら陽が沈む頃ゴルフ場に通じる道の入り口付近まで来る、見ると駐車の列ができている。遠くから来ているクルマもいるようだ。駐車の列に続いて、葦原を見始めると次々にハイイロチュウヒが現れる、ついには見事にも美しいオスが葦原にダイブする様をスコープでつぶさに見る、こんなに良く見るのは3年ぶりではないか。ちゃんと渡ってきてくれる、いい場所なのだろう。3年前の記憶は昨日のことのようによみがえり眼前の光景と重なる。
しかし、10年前か、遠い、この10年で世界は大きな幅で揺れ始めたように思える。

最近気になるのはクライメイトゲートだ。クライメイトゲートという呼称となった温暖化データ捏造暴露事件は、捏造した(trick)と10年前にメールに書いた問題の所長が辞任して米国議会も動き出しますます深まりを見せているが国内メディアは奇妙なほどの沈黙だ、まるで報道規制がかかっているようだ。こちらのほうが怖い。温暖化が本当は怪しいかもしれないという事実の暴露はもはや殆どの人にとって困る事態になっているような気がする。温暖化対策として多くの研究費が支出され電気自動車や風力発電のような事業が数多く起こされている、今更違ってましたでは立場を失う、勿論メディアも温暖化は大きな問題との立場で報道してきた。これを覆すような事態に対し日本の報道機関はクールに伝えることができなくなっているのではないか。かねがねファシズムが起き上がる時は誤った理念が大多数の支持の上に形成されていくという歴史的事実があって不思議に思えていたが、ファッショとはこんな形をして人々を襲うのではないか、と思いが至る。この捏造問題の不気味なところは幾つかあるが最も気になるところは、暴露されたメールで関わっている第一級の研究者達が国を越えて口裏合わせをしているのだが基本的に一般の人を馬鹿にしてどうせ理解できない、自分たちで操れるという感覚がにじみ出ている、そして結局世界中の人々を本当に操ることができていたことにある。同じ感覚が報道機関にも流れ、予算獲得に走り回る研究者にもどこか流れているようにも思える。それを感じてしまう。
数百年に及ぶ世界の平均気温の推移が1度以下での幅で示されてこれを問題にしているということ自体もっと疑ってかかるべきだったのだろう。Briffa3 最もわかりやすい木の年輪による世界の平均気温の推定が実は近年の温度計による計測と繫がっていない、つまり基礎データとして使うにはまだまだ議論が必要という事実がこの捏造で隠されていた。 温暖化の議論はスパコンの計算に多くを拠っているがそもそもスパコンの計算の妥当性を検証している計測データが怪しいのではスパコンの計算の信頼性も揺らいでくる。
専門家の議論に任せてブラックボックスとして結果だけを受け取る、このことのあまりの危険性をつい最近サブプライムローンの破綻として全世界の人は思い知らされたはずだった、また出てきてしまった。平易な言葉で誰もが意見を言える場にこんなことは晒さなければならない。事業仕分けが多くの人の支持を得たのはその感覚が流れているからなのだろう。ノーベル賞受賞の科学者が揃って事業仕分けはおかしいという的外れな意見を陳情する、そういう科学者は人々を馬鹿にしているのが透けて見える、何も解っていない、ブラックボックスの中でうごめいている人は一旦下がってほしいのだ。

次々にブラックボックスが破裂している。
後10年でどう変わるだろうか。どこか世界は持ちこたえられなくなってきているのが気がかりだ。

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