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2009年12月 4日 (金)

次々にブラックボックスが破裂している

時々10年前は何をしていたのだろうと思う。1999年の12月。思い出さない。過去がこんなに軽いとは思わなかった。
11月の終りにチュウヒも もう来ているだろうと渡良瀬遊水池に鳥を見に行った。ハート型の池には鴨はまだ少なくて,他には頭の黒いカンムリカイツブリが遠くに居るくらいだ,今年の渡りは遅いのだろうか。鷹見台に回るがオオタカとチュウヒが一羽くらいでこれも少ない。風が弱いとチュウヒもあまり出てこないような気がするがそれにしてもひっそりしている。夕刻のねぐらいりは期待できるだろうか、と危ぶみながら陽が沈む頃ゴルフ場に通じる道の入り口付近まで来る、見ると駐車の列ができている。遠くから来ているクルマもいるようだ。駐車の列に続いて、葦原を見始めると次々にハイイロチュウヒが現れる、ついには見事にも美しいオスが葦原にダイブする様をスコープでつぶさに見る、こんなに良く見るのは3年ぶりではないか。ちゃんと渡ってきてくれる、いい場所なのだろう。3年前の記憶は昨日のことのようによみがえり眼前の光景と重なる。
しかし、10年前か、遠い、この10年で世界は大きな幅で揺れ始めたように思える。

最近気になるのはクライメイトゲートだ。クライメイトゲートという呼称となった温暖化データ捏造暴露事件は、捏造した(trick)と10年前にメールに書いた問題の所長が辞任して米国議会も動き出しますます深まりを見せているが国内メディアは奇妙なほどの沈黙だ、まるで報道規制がかかっているようだ。こちらのほうが怖い。温暖化が本当は怪しいかもしれないという事実の暴露はもはや殆どの人にとって困る事態になっているような気がする。温暖化対策として多くの研究費が支出され電気自動車や風力発電のような事業が数多く起こされている、今更違ってましたでは立場を失う、勿論メディアも温暖化は大きな問題との立場で報道してきた。これを覆すような事態に対し日本の報道機関はクールに伝えることができなくなっているのではないか。かねがねファシズムが起き上がる時は誤った理念が大多数の支持の上に形成されていくという歴史的事実があって不思議に思えていたが、ファッショとはこんな形をして人々を襲うのではないか、と思いが至る。この捏造問題の不気味なところは幾つかあるが最も気になるところは、暴露されたメールで関わっている第一級の研究者達が国を越えて口裏合わせをしているのだが基本的に一般の人を馬鹿にしてどうせ理解できない、自分たちで操れるという感覚がにじみ出ている、そして結局世界中の人々を本当に操ることができていたことにある。同じ感覚が報道機関にも流れ、予算獲得に走り回る研究者にもどこか流れているようにも思える。それを感じてしまう。
数百年に及ぶ世界の平均気温の推移が1度以下での幅で示されてこれを問題にしているということ自体もっと疑ってかかるべきだったのだろう。Briffa3 最もわかりやすい木の年輪による世界の平均気温の推定が実は近年の温度計による計測と繫がっていない、つまり基礎データとして使うにはまだまだ議論が必要という事実がこの捏造で隠されていた。 温暖化の議論はスパコンの計算に多くを拠っているがそもそもスパコンの計算の妥当性を検証している計測データが怪しいのではスパコンの計算の信頼性も揺らいでくる。
専門家の議論に任せてブラックボックスとして結果だけを受け取る、このことのあまりの危険性をつい最近サブプライムローンの破綻として全世界の人は思い知らされたはずだった、また出てきてしまった。平易な言葉で誰もが意見を言える場にこんなことは晒さなければならない。事業仕分けが多くの人の支持を得たのはその感覚が流れているからなのだろう。ノーベル賞受賞の科学者が揃って事業仕分けはおかしいという的外れな意見を陳情する、そういう科学者は人々を馬鹿にしているのが透けて見える、何も解っていない、ブラックボックスの中でうごめいている人は一旦下がってほしいのだ。

次々にブラックボックスが破裂している。
後10年でどう変わるだろうか。どこか世界は持ちこたえられなくなってきているのが気がかりだ。

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