道が開けて
なかなか貫通しなかった道がやっとこの前の週末開通して随分と街までストレートにつながった。1kmも無い区間だったが見た目殆ど出来上がっていて1年以上放置されていたように見える、何故こうまで遅れたのか、遺跡でも出てきたのだろうか、よく解らない。とにかくできたので休みに通ってどこかへ出かけようと走り始めた。当ては無い。
街の東のほうに何か最近見つけたと考えていたら、親鸞の関東での拠点とした寺というのが真岡近くにあった、と思い出した、今までそんなところは聞いたことも無かったし、そもそも宗教は総じて嫌いなのだが重文が色々あるらしい、訪れてみるかと向かった。ナビで入れてみると1時間くらいかかることになっている、まあいいか。二宮尊徳の遺構をみて細くて曲がりくねった道を行くと駐車場につく。専修寺という。
誰もいないがなかなかの造りの山門やお堂がある。京都の寺などに較べる とちょっと小ぶりで如何にも実質的なお寺との感じがにじむ。戦国時代の戦火に焼かれて元禄の頃再建されたらしいが親鸞の時代からのケヤキも残っていて流れていった時間を感じさせる。二宮尊徳が幕末期 近くの桜町陣屋を拠点に活動 したのも或いはここに専修寺があってこの辺りが地域の中核だったためかもしれない。水にも恵まれいかにも古くから人の営みがあったとの感じが漂っている。しかしこんな由緒のある寺院が
近くにあるとは知らなかった。
道ができると新しい何かが開ける、開いたものを少し押すと更に新たな空が見える、何か大事な感触を思い出したような気がした、扉を少しばかり押すことが肝心のようだ。もうそろそろ今年も終わろうとしている、次の年はどうなるだろうか、新たな扉をおせるだろうか。
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