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2010年3月23日 (火)

梅と新聞と富谷観音と

今年は庭の梅も花つきがよくて、そのせいか梅見に出かけるという気持ちが動かなかったが、もう終わりの時期になってきて、少しはとばかり出かけてみた。その日の下野新聞に出ていた 結城のうめ寺(東持寺)でまだ楽しめる という紹介記事に半ば騙されて家を出たのだが訪ねてみると殆どが終わりの雰囲気だった、これはひどい、と思いながら常識的に考えればこの時期宇都宮より南に行くのではいいわけが無い、信じたのが浅はかだった、と思い直した。多分記者は現場を見ないで書いたのだろう、新聞メディアの情報の怪しさがこんなところまで来たかと感じるが、少々古典的だ。新聞は情報伝達の首座をとうに譲ってしまっている、諦めが漂っているのかもしれない。ともかく別へ回ることにする。

梅はあきらめて 桜川の富谷観音の三重塔がいいらしい、というのを思い出して 近くにあるはずとそちらへ向かう、ナビに富谷観音と入れても出てこないのでとにかく茨城の桜川を目指す、近くに行けば案内も出るだろう。こんな風にふらふらと動き回るのが春らしくていい。
富谷観音は北関東道北側の山の頂近くにあった、最初に見つけた道標に従って離合も難しい一車線の細い山道を不安げに登っていくと上がりきったところで太い道に出る、なんだ、という感じだが以前は細い道しかなかったのだろう。ゆったり停められる駐車場へクルマを置いて富谷観音へ向かうが、バイクが多い、バイクで遊ぶには手ごろの坂道なのようだ。若者のバイク遊びを暴走族、と排除しきってしまうとつまらない世の中になるだろう、そんなことを思いながら山道を進むと左手に三重塔が見えてくる。これはなかなかの迫力だ、室町時代の建造(再建)とあるがこんな山の中によくぞ作ったと思える、落雷で焼失することも無く550年を耐えて生き残ったとの感慨もFukiji ある。みていると宗教のかっての勢いが伝わってくる。近世まで宗教は宇宙を解き明かし物の道理を窮めることを一手に引き受けてきた、立派なこの塔に向かうと今は科学に代わられてしまったその残滓をみているようにも感じる。宗教そのものが無常なのだろう。スケールはやや小さいが新聞がその役目を縮退しつつあるのもどこか通じているようにも思えてくる。

アナのあいた梅見の方は翌日、市貝の観音山に出かけて少しばかり埋められた。そろそろサシバが渡ってくる季節だ、また巡る新しい春の空が霞みつつもなつかしい。

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2010年3月15日 (月)

茨城空港

茨城空港が開港したというのでこれは是非見ておかねばと出かけた、開港後3日目の土曜の昼前だ。大分以前に国が正式決定する前に県が資金を集めて着工したような記憶がある、本当に作る気なのかと思っていたらあれよあれよという間に作られた。日本の空港として交通政策上どうしても必要だから作ったというより地元が作るべしと思ったから作ったように思える、成田とは正反対の空港だ。
ホームページには周辺の細かい地図はないし、勿論ナビにも地図にも載っていない、どうやったらたどりつけるのか細かくは解らない、まあなんとかなるだろうとクルマを走らせる。数日前にできたばかりの新設の高速道路を茨城空港北の出口から出て案内の看板を見ながら進む、良くまあ道路を間に合わせたと感じる。空港に近づいてくると見学者は乗り入れできないとの旗がそこここに立っている、大混雑を見越して規制しているようだ。こんな時は行ける所までとにかく行くのが原則だとばかり、旗にめげず進むと程なく空港入り口に着く、ここで見学はUターンさせられるのだが一台一台に丁寧に臨時駐車場の説明をして地図を渡している、とんでもない手間だが茨城県側も初めに評判を落としたくないと必死なのだろう。教えられた小美玉市の小川文化センターにクルマを置いて無料バスでやっと空港にたどり着く、とにかく着いた。12時頃にこの日唯一のアシアナ航空の便が着くらしい、まずは展望をとばかりにぞろぞろとした動きに乗って送迎デッキに上がると少々驚く。透明なパネル越しに滑走路を見るのだが向かって左側の視野が曇っている。特殊な偏光パネルになっていIbaragi0_2るらしく自分の向いている右側の部分しか滑走路が見えない、目がおかしくなったような気がして場所を色々変えるが同じだ。どうやら向かいの百里基地の格納庫が丸見えとなるのを気にしているようだ。 パネルの下の隙間からは見えるのだから完全目隠しではないが普通にしてると全く見えない。それにしても見物人が多い。大半が近くに住んでいる人の風情だ。

暫くしてアシアナ航空のA320が着陸する、この日は北よりの風で左側からの進入となり、タッチダウンは曇りガラスの中だ、見えない。正面までタキシングしてきてやっと見えるようになるがあまり美しい塗装の機体でもない、大勢から見られているのがかわいそうになる。タラップが着けられて人が降り始めるのが良く見える、直ぐ近くでこんな風に見える空港は今や珍しい。1時間程して出発するのだが 出発では乗り込む人が手を振ったりするのがデッキから良く見えてデッキからも振り返す、いかにも旅の見送りの風景となった、こういうことなら開港の混雑が終わっても見送りの人は結構いるかもしれない。
確かに建設費は安そうだ、航空管制も百里基地でやっているから滑走路増設とターミナル建屋新築以外は新たな設備は殆ど無くてすむ、それに米軍が沖縄から移転してくるはずなのでその対策費の一部を回してもらったのかもしれない、手軽にできたとの感じが漂っている。空港の建物はそれなりにちゃんとしていてアメリカやオーストラリアのローカル空港に較べればはるかに立派だ、レンタカーも出店しているしこれで十分だとの感じがする。関東の空港だから背景の人口は多い、埼玉あたりからでもクルマで大してかからないような感じだ、これは結構便利に使えそうに思えてくる。世界的に見ても今後旅客が伸びるのはアジア太平洋との認識で各航空会社が日本への足がかりと拡大を狙っている、ローコストエアラインは少し外れの安い空港を拠点にするのも世界的常識だ。航空の世界から普通に見れば、ランニングコストを安くして暫く頑張っていると色々とビジネスが開けてきそうな空港だ、条件が揃っている。
それにしてもテレビの報道にはうんざりする。各局の報道の姿勢が無駄の空港がまた作られたとのトーンで一様に塗り固められている、何か思想の押し付けのようで恐ろしくなる。クロマグロ規制に一様に反対したり、クライメートゲート事件を全局が黙殺したり、最近のテレビ報道の歪は、あまりに一色で迎合的でやりすごすことができないところまできているように感じる、こんな雰囲気は新たなファシズムがひたひたと近づいていることへの警報かもしれない。 物事の起きている現場で感じることがますます大事になってきているようだ。

やはり人ごみは疲れる、帰りに涸沼によってのんびりと亡羊とした風景に浸る、ホッとする、春は本番真近だ。

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2010年3月11日 (木)

松本空港でのミスが

松本空港で気象データの入力ミス、あわや大事故に というネット・ニュースの見出しが引っかかって、気になって少し調Sasiba べた。3月7日のニュースだが起こったのは2月12日のことだ。朝方の寒さで空港の自動観測用の温度計器が凍って自動計測ができなくなり、航空機向けの気象データを人の手で入力していたら気圧の入力をミスしてしまった、これを受けた進入中の旅客機の高度表示がおかしくなり着陸をやり直した というトラブルだ。航空機向けというからMETARデータ(定時飛行場実況気象通報)のことだろうとhistric metar のサイトhttp://english.wunderground.com/history/airport/rjaf/2010/2/12/DailyHistory.html?req_city=NA&req_state=NA&req_statename=NA&MR=1で当日の松本空港から出されたデータを調べてみると確かにおかしなデータが残っている。9時の気圧値(QNH)は1014hpだが10時は999hpに10時15分は937hpになっている、こんなに急に気圧が変わることはない、これはおかしい、正しくはいずれも1014のままとすべきだったのだろう、現地気圧計測値をQNH(海面上相当の気圧)に変換すべきところ 計算が間違ったか変換せずにそのまま入れたらしい、松本空港は標高が668mと高く、現地気圧は凡そ935hpくらいとなる。着陸進 Altimeter2入中の機体の高度計表示は正しい値と120mくらい高度が違ったというから、高度計に1014とセットすべきところを着陸機は示された999を使ったのだろう,937では違いすぎる。QNHは滑走路高度が気圧高度計と一致するよう海面上高度に相当する基準の気圧を入力して得られる高度表示で、航空機のパイロットは到着飛行場のその時の海面上高度に相当する値を管制経由かATISで取得して高度計にセットする。空港の気象担当はMETARの気圧情報がQNHセッティング用とは理解していなくて滑走路上の気圧を手作業入力したのだろう、解った人から変わったのか、如何にも起こりそうだ。それにしても999hpというのは中途半端でおかしいのだが相当混乱していたのかもしれない。
些細と思われるようなミスが大きな事故を起こしかねない、自動化に慣れて自動化のバックアップを人が果たしえない、今まではなんとか人が支えてきたが、次第にそれが崩れようとしている、いまここにある危うさをはからずも見せてくれたようだ。

こんな話は航空に限らずどこにでもあるように思う、機械にまかせながらより高度なシステムを構築していく、より高度に複雑なしかけが求められ続けそのうち応じられなくなってどこかでポッキリ折れることになる、避けられないことのように思える。人類は克服しながら前へ前へと進み続けられるだろうか。本当にどこにむかっているのだろうか。

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空気の理論

WOWOWでオスカーの授賞式を、今年はなんだか面白い、と見ていたら司会のスティーヴ・マーティンとアレック・ボールドウィンが掛け合いでキャメロンとキャスリン・ビグローの元夫婦対決を揶揄って、ビグローがキャメロンに時限爆弾の贈 り物をしたらキャメロンはお返しにトヨタ車を送ったとさ、とやOscar2 っていた。トヨタバッシングもアカデミー賞の場まで及んだか、やっぱり日本とは随分な温度差だ、しかし陰鬱なところがなくてあっけらかんとして憎めないところがいいか、と思ってしまった。ともかくシンドラーエレベータ状態なのだろう。
今年のオスカー受賞者には日本人が登場しない、ノミネートにも上がっていないようだ、去年は外国作品と短編アニメで受賞が出たというのに、だ。トヨタバッシングといい、和歌山・太地町の血みどろのイルカ漁のドキュメンタリー賞受賞といい、なんだか空気が変わったようだ、アメリカが自信を取り戻しつつある気がする。
アメリカの経済は懸案の雇用がやっと回復の動きとなった、今まではレイオフが減ったが雇い入れはない、という怪しい回復だったが2月から雇い入れが増えだした、なんとなく元気を取り戻し始めた空気が伝わってくる。
不況になると、物事がうまくいかなくなる、直接かかわりがあるとは思えないことに問題が発生する。目の前の航空宇宙の世界を見てみても、どうみてもそれは明らかだ。前回の日本の失われた10年では国産ロケットの失敗が次々に起こった、それぞれは独立した事象なのに一度に起こってきた、そして不況の終わりと共に全ては順調に行き始めた。今度は米国では787の開発が難問続きとなり初飛行がとんでもなく遅れた、リーマンショックの起こったその時にはこれとは関わりの無いボーイングの組合の長期ストライキさえ発生して航空機の生産が止まった、更にアメリカの政府調達の航空機開発に次々とキャンセルや選定の取り消しが出て身動きできなくなった、勿論それぞれは何の関わりもないのだが時期を同じくして具合の悪いことが折り重なるように起こる、どうみても不況には空気がある。このところ問題が次々に片付き始めている、787は順調に飛び始め、欧州のこじれていた輸送機A400M開発もやっと目鼻がつき、大統領選までからんでいた米空軍のタンカー機調達も整理がついてきた、いろんなことがするすると解けはじめている、不思議な思いだが、これが不況の終わりなんだろう。
地球を取り巻く薄い空気層の底で 地球に取り付くカビのようにしてうごめく人類の活動がわけも無く繫がっているのは考えてみれば当たり前のようで、いつかはこの伝染のようなつながりを解明してくれる空気の理論が登場するに違いないと思えてくる。まだまだこの世界はわからないことだらけだ。

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2010年3月 7日 (日)

気になっていた長谷川等伯が

随分以前から長谷川等伯が気になっていた、あの現代的な松林図屏風が戦国末期に突然出現したような印象を受けていて、どういうことなのだろうと思っていた。今年に入ってまとまった特別展が上野で開かれているというのでとにかく出かけた、没後400年の記念という。
能登の仏画から始まる等伯の足跡が作品で追える、京に上った辺りからの転変が面白い、ふと太い線になったかと思えば狩野派にも影響を受け繊細な風も出てくる、山水画もそれらしくしだいにプロフェッショナルとしての厚みが増してくる、そして秀吉の依頼で描いた楓図と松に秋草図屏風となる、これは本当に圧Hsg 倒的だ。それまでの絵が 流れてきたものの上に形式化した技を見せる雰囲気が濃いのに対し、これは全く違う。盛りのモミジでなく僅かに色づき始めた青いもみじに萩や小菊やあらん限りの秋の草を極めて写実的にかぶせている、きれいに描くのでなく、一部が茶色く変色し始めた草の葉、今の植物図鑑と変わりない正確に葉脈を描いたリアルな雑草といえる草の葉が 金箔の上に絢爛と描かれている、驚いてしまう。こんな絵だとはしらなかった。それまでの 画家として地位を築き稼ぐために顧客の求めに応じて書いてきた絵とは違う。描きたかった絵を描いていると感じるしそれを秀吉が引き出しえたのではないかとも思う。この絵の後はまた稼ぐための形式化された絵が続いていくが、最後にあの松林図屏風に至る、松は松らしく林は本当の林のたたずまいがある、自由で恐ろしくリアルだ、稼ぐための絵から描きたい絵を描いているように思える。
画家は難しい職業だ、生きていかねばならない、世俗的な成功のためには顧客の評判を得 顧客の求めに応じて描き続けねばならない、その先に本当に描きたいものを存分に描いて後世に残せるか、が求められているのだろう、考えてみると画家ばかりでない、なんでも同じかもしれない。
長年引っかかっていた長谷川等伯がなんだか解けたようだ。

相変わらず人出の多い上野を後に雨の残る東北道を少しばかり解き放たれたような気分で北に戻っていった、春だ。

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2010年3月 4日 (木)

アメリカの世紀は終わっていくのだろうか

今日はまた寒いが明日は暑いくらいになりそうだ、更にその後しばらくしてまた寒くなり9日の夜から10日の朝は雪が降るようだ、こうも寒暖が振れると春が元気に力をみなぎらせてやってくるようで頼もしい。
シベリアから低気圧もやってくるようになり北の大地も春めいたかと思って、東経120度線に沿って南北に今朝3時の気温の変化をみてみると北緯35度以北は冬だ、1度緯度が上がる毎に1.6℃気温が下がっている、北緯53度を過ぎるとマイナス30度以下の凍てついた世界が広がる、すさまじい。考えも及ばない寒さだ、同じ極東エリアでも別の世界のようだ。
別世界といえば、米国オバマ政権はついに月計画をキャンセルした、それと共に9月のスペースシャトル運行停止後の米国の宇宙輸送の計画が見えなくなった、むしろこちらのほうがちょっとした驚きだ。誇り高いオバマ政権がいつまでも385pxsoyuz_tma2_launch 宇宙ステーションへのアクセスをロシアに頼りきりになるとは思いにくい しかし現実はその方向へどんどん走っている。民間ロケットを使うといっているが今から開発ではどう急いでも6-7年はロシアだよりだ、全員がロシアの基地からロシアの宇宙服を着て打ち上げられることになる。宇宙の世界の雰囲気も随分変わるだろう。今でもアメリカ最大のロケットであるアトラスVロケットの1段はRD180というロシア製のエンジンだ、アメリカはどうしてしまったのだろうか、ついにソ連・ロシアとの50年以上にわたる宇宙レースに敗北しようとしているのだろうか。やろうとすることと資金的にできることの乖離が隠しようもなくなってきているようだ。このようにしてアメリカの世紀は終わっていくのだろうか。ローマの衰退と同様帝国を維持していく資金が枯渇してきているように思えてくる。

その先にはどんな世界が広がるのだろうか、元気の良い春ならいいが中世のような暗い凍てついた時代でなければと願うばかりだ。

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2010年桜開花予想宇都宮 その2

このところ平年より暖かい日が暫く続いた、明後日はとりわけ暖かいようだ。ここまでの気温と1週間予測およびその後平年+1℃の気温で桜開花予測をやり直してみると、宇都宮の開花は3月29日と出た。いい線のように思える。だんだん収束してくるか。

去年のを見直してみると去年の開花は3月26日だった、やや去年より遅いことになる。去年は2月20日くらいまで気温が高かったのが効いているようだが今年はこれからどうなるか。

      追伸:3月17日にまた計算をやりなおしたら3月26日となった。だんだん前倒しになる、去年と同じで良さそうか。

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2010年3月 2日 (火)

先延ばしにしていたカナディアンロッキーを

2月はさらさらと過ぎて開ければ3月の柔らかな風が流れる。どこかへでかけたくなる。
先延ばしにしていたカナディアンロッキーを今年の夏にしようと調べ始めた、そうはいっても色々資料を集めるのも面倒なのでエイッと切符と宿とレンタカーを目の子の日程で押さえることにする。安い切符は、とネットで調べると安いほうでまず出てくるのがJALの切符で驚かされる、必死なんだ。調べていくと格安旅行社に回る切符も客引き用の激安切符は直ぐに消えてしまうらしく実際に入手できる切符はJALからネットで直接買う切符より少しばかり高い、なーんだと思ってしまう。しかしこれが落ち着くところなのだろう、webページで発注すると早速メールでeチケット控えが送ってくる、これで終わりだ、簡単だ。今まで旅行社に渡っていた手数料がネット販売ならエアラインが直接手にすることができる、中抜きで仲介業は次第に追い詰められていくのかもしれない。宿もネットで手配する、ジャスパーには2泊は泊まりたい、バンフにも2泊、レイクルイーズにも1泊、とルンルン気分で抑えていく。トップシーズンだけに安くは無いが日本の宿代と較べると同じくらいだ、ここにもフラット化が起こっているような気がしてくる。カルガリーの空港からのレンタカーもネットで手配しついでに地図をアマゾンで頼む、なんでもパソコンでできる便利な時代になったものだ。
ネットの先で今は雪に埋もれているジャスパーの宿が夏の予約で埋まっていく状況が感じられる、確かに世界は狭くなっている、同じ感覚を世界中の多くの人が共有できるようになってきている。おなじ価値観へ向かう それが本当に望ましいことなのか、時々わからなくなる。

あと抑えるべきは成田の駐車場くらいでこれはもう少し近くなってからでよさそうだ。
旅は行く随分前から楽しい。夏には世界の景気も少しは戻るだろうか。

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