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2010年4月28日 (水)

松代(まつだい)にて

4月中旬、早春の雰囲気に満ちた越後松代(まつだい)に旅した。六日町から西へ折れて十日町に近づくと崖のような地形が両側に続く、断層といってもいいのだろうが大規模だ。以前ロスアンジェルス郊外で走りながらみたサンアンドレアス断層となんだか似ている、荒れた地形だ、フォッサマグナの中心部なのだろう。このあたりは妻有(つまり)というよびかたで呼ばれる場所で越後のドンつまりということらしい、確かに随分奥まで入り込んだ心地がする。険しい山でもないのに長いトンネルが多い、トンネルを走りながらここで地震があると助からないな、との思いも胸に来る。犬伏のトンネルを抜けると松代だ、40年ぶりの遅い関東の雪もここには届かず時折の小雨を縫って宿にたどり着く。暖流のせいか関東より暖かい。
Matudai 松代(まつだい)というと棚田で少しは知られている、ともかく十日町市は松代の棚田をアピールしていて、ほくほく線の松代駅の観光案内でも棚田の写真撮影ポイントを詳しく教えてくれる。棚田100選には入っていないが里山風景が優れているとして日本の里100選には選ばれている、そこらの斜面は大概が棚田だ。翌朝教えられたポイントに行ってみるとカメラの砲列と中高年団体のざわめきで満たされている、大分遠くからも来ているようで、滋賀ナンバーのクルマもある。棚田は雪をたっぷりかぶっていて棚田らしい姿ではないが逆光の朝日でなかなかの景観だ。棚田というよりそれを取り巻く自然との組み合わせがちょっといい。
松代といい山古志村といいこのあたりの棚田の風景がいい場所はフォッサマグナで地形が乱れている場所にある。落ち着いた風景というよりどこか自然と戦っている意志を感じてしまう。危うさと切り結ぶ人の生き方を感じてしまう、またそれにひきつけられる。不思議な場所だ。今となっては雪深い辺鄙な里だが昔から人が住み上杉謙信も使った関東への街道も通っている、危うい場所だけに他から侵略しにくく山の幸がふんだんないい場所だったのだろう。どこか災害は起こりやすいが他国からの侵略は受けにくいという日本の縮図のようにも思えてくる。
六日町付近で本当は羽化したギフチョウの舞を見るはずが、季節が戻ったような気候で1羽も遭遇できない、が サシバはもう大分渡ってきていて里山の風景を更にそれらしくしている、鳥のほうがおおらかに季節を感じているようだ。あぜを駆け下る豊かな雪解けの流れと越後3山の山並みにけだるい春の感じが重なって そのままの春がいい。
危うさとそれが底流に流れる里山の風景になんとはなしに新たな発見をしたような気持ちで、それが一種の心地よさを与えて、帰り惜しさを覚えながらもサービスエリアで一眠りして戻る。春は眠い、しかし忙しい。

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2010年4月20日 (火)

今年の春は

今年の春はサービス満点の風情がある。
宇都宮の桜はどこがいいか。孝子桜というシダレザクラが宇都宮の西,城山西小学校の校庭にあってこれは見ごたえがある。4月の第2週の土日は花見客であふれていた。樹Yakusido 齢400年といわれる、なかなかのものだ。近くにある北条家薬師堂の桜や西にある柴田家の桜も素晴らしい。特に薬師堂のシダレザクラは樹齢400年の木が2本並び時代を感じさせ孝子桜をしのぐ美しさがある。民家のアカヤシオも花開き、あたり一帯が花で満たされて三春の桜にも比肩できるかと思わせる。
裏の古賀志山の稜線はアカヤシオが連なるが今年はやや遅い、登ってみると満開は1本だけだ、しかしたくさんのつぼみがAkaysio あって稜線が染められた時の美しさに思いをはせるだけでも楽しい。
麓ではカタクリとキクザキイチゲとニリンソウが一度に開いている、寒さが続いて北国の春が諮らずも現出したようだ。
ソメイヨシノの桜並木ではこれも宇都宮の西にある金崎の桜堤が心地いい。思川の右岸の堤上を こぼれかかる桜と鳥の飛び交う広い河原の自然な姿を感じながらの散策は春の豊かさを十二分に味わうことができる。
花が散りかけると今度は思いも及ばぬ寒さが覆う、雪すらうっすらとかぶる、また花が散り惜しむかのように生き残る。
いつものように春が来ていつものように過ぎ去る、しかし一回ごとに違う春が来て違う去り方を見せてくれる、何かを語りかけているようだ、言葉にならない言葉で、確かに受け止められる言葉で。

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2010年4月15日 (木)

ポーランドでの墜落

ポーランドの大統領一行を乗せたツボレフ-154Mがロシア西部のSmolensk空港近くで墜落した。第一報からは政治的な匂いが感じられたがその後の報道からは、これは明らかに着陸の技術的な失敗のようだ。事故は4月10日モスクワ時間10時56分(06:56UTC)に発生,気象データはMETARには無いが03:00UTC,06:00UTC,09:00UTCのSYNOPデータが にある、これを見ると06:00UTCは(26781 31/93 91403 10009 20009 39956 40255 53003 74540 333 20005=)で、霧で視程は500mしかない。ILS(計器進入施設)のない飛行場に降りるにしては明らかに視程が悪すぎる。報道によれば事故の1時間前(丁度この気象データの時刻頃)に報道記者を乗せたYak40機が着陸しており、事故当時はこれより更に2010041007 厳しい状況だったとみられる。気温0.9度C、湿度100%で気温の予想外の低下が濃霧をもたらしたようだ、代替飛行場としてモスクワを管制からアドバイスされたが無理して降りようとしたらしい、式典につけないのでは大統領専用機のパイロットとして役目が果たせないとのプレッシャーが強かったのだろう、先にプレスの機体も降りれていては格好がつかない。衛星写真を見てもこの時間帯に霧以外の厳しい気象も無い。
フライトレコーダ、ボイスレコーダは良好な状態で回収されているので早晩状況は正確に把握されようが 今のデータからは濃霧での無理な飛行により立ち木に接触しての事故と思われる。
大統領でも誰でも天気には抗えない。権力の座に暫く居座ると素直に天気に従う気持ちが薄れるのかもしれない、かなり強圧的な大統領だったともいわれている。素直な心が身を救う、か、なんだか遠い世界のような心地がしていたが、心しなければならないことのようだ。

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2010年4月14日 (水)

桜が咲いている

Sakura10_2 桜が咲いている
庭に桜が咲いている
雨に打たれながら明るく視界一杯に桜が咲いている、少しずつピンクに染まりながら。
遅咲きの分雨風に打たれ強く、年毎に勢いを増して
やさしく、力強く、語りかけるように
見つめてているように
桜が咲いている

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2010年4月10日 (土)

フォーマットしますか

フィルムカメラからデジカメに移って久しいがまだ時々怖くなる。この間もデSd4 ジタル1眼で撮ったSDカードを手じかにあったパソコンで何気なくいじってまたカメラに戻すとフォーマットしますか、とくる、読めなくなってしまった。300枚近くが入ったSDカードだ、次第に頭が白くなる。ダメとは思いつつパソコンでまた読もうとしても同じだ、認識しない。冗談じゃないよと叫びたくなる。あたかも雪庇の上を歩いて踏み抜いたような気分になる、くらくらする。

しばらくのパニックの時間が過ぎ正気を取り戻して何か回復の手立ては無いのかと考え始める。消えた写真を復元するビジネスがあったような気がしてそれならば何かソフトがあるはずとまずはフリーソフトを窓の杜やvectorで探す、と色々出てくる。ちょっと落ち着いてくる。目に付いたファイナルデータ9.0 特別復元版 試供版 というので試し始めると時間はかかるがあっさり読み出せて画像が次々に現れる、試供版だから画像取り込みはできないがとにかくソフトでリカバリできることがわかって楽になる。

しかしちょっとばかり値が張るソフトだ、買うのは辛い、フリーはないかと色々試してみていると かんたんファイル復活2 というフリーソフトでいけることが解ってくる。物理ドライブの選択から入ってデフォルトサイズの設定を4MBくらいにしておくとクラスタ検索というので読めないSDカードがうまく読めるし、今度はパソコンに取り込める。万歳だ。カメラで消去したものまで出てくるが中に壊れた画像もある。多少は止むを得ない。
デジタルメモリーの頭の部分が壊れただけなのだろうが、こんなことをしないと無いも同然になる。物忘れが次第に激しくなる頭のようだ、何かの拍子に思い出すまでは無いも同然だ。しかしこんな読み出し方が100年も1000年も持つだろうかとてもそうは思えない、方式は進化し古いものは所詮は読めなくなって今手元にある映像は実質的に無くなってしまうのだろう。残したいものは描くしかないのだろう。ほんとうに世界は前に進んでいるのだろうか、時々わからなくなる。

デジタルの世界にのめりこんだ頭を上げると外は春はたけなわにリアルな世界がリアルに流れていく、とにかく見なくては。

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2010年4月 8日 (木)

ウグイスの初鳴き

今朝出かけに向かいの竹林からウグイスの声が響く、練習してやってきたようで上手だ、ともかくここでの初鳴きだ。しかし4月8日というのは少々遅い。おととしは3月15日その前の年は3月20日で、かなり遅いというべきだ、やはり3月はじめの頃の低温と3月25日以降の冷たい雨が続いたことが効いているような気がする。それにしても、ここでの桜の開花よりも4日も遅いというのは随分だ、花と鳥は同じではないにせよ、だ。ともかく春は立体で畳み込むようにやってきている。
鳥の動きも今年は面白くて昨日の朝などはツグミが会社の電線でクロツグミのような半音階の魅力的な声を出しているのに驚いた、こんなのは聞いたことが無い。ツグミが今年は多いようだ。松ノ木にとまってささやくような声を立てているのを聞いたりすると、草原で仰Tugumi ぎ見るツグミポーズをとっている時も実は何かをささやいているのではないかと思えてくる, うるさいくらいに現れるツグミも付き合っていくと結構面白い。

今週末はここらの花見としても、なんとかアカヤシオも古賀志山にでも見に行きたい、春は忙しい。

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2010年4月 4日 (日)

花見は都が一番

宇都宮の桜の開花は気象台発表では4月2日だった。気象台の近くの桜は4月1日には開花しており、4月1日といってもいいようだがきまりの木があるのだろう。とにかく予想気温に基づく推定(26・27日)は外れてしまった、しかし実際の気温を入れて計算しなおしてみても3月27日或いは28日の開花予測日となって合わない、考え方に修正が必要のようだ。今年は開花寸前の状態で最低気温が氷点下となった日が続きこれが開花の遅れに効いているように思えている。計算に最低気温を加味したほうがいいかもしれないが生き物相手のことだ 簡単な式で必ず予測できると考えるのには少々無理がある、精度を5日くらいとしていい加減に見ておくのがいいような気がしている。

宇都宮の桜が遅いのに半ばうんざりして土曜日東京に花見に出かけた。いつの頃からか花見は都との確信がある、桜は人の手で美しく作られてきた、優れた木が都に集められ、手をかけて育てられている、去年の京都も素晴らしかった。今年は建設中のスカイツリーも間近の隅田公園がよかろうとまずはここを最初の目的地として走り出した。懸念していた駐車場は言問橋近くのコインパークに難なく空きが見つかる、不況でコインパークがはやるのはこんなときには有難い。隅田川沿いをスカイツリーを横目にのんびり歩く。町内会の出店が幾つか出ているが芸妓さんサービスの茶屋も出ていて物珍しくて楽しい。東京ローカルのお花見の雰囲気だ。隅田川には屋形船がいくつも浮かび花見の観光船や釣り船までがかりだされて賑やかだ、春のうららの隅田川 と、うたのとおりの光景でそれがいかにも都らしい。都鳥とよまれたユリカモメが群れるのも、伊勢物語の時代から変わらぬものを感じていい。いざこととわんみやこどり と口ずさむが何故か菅原道真の あるじなしとてはるなわすれそ とごっちゃになる、はるか都を思う気持ちがどこか通じているのだろう、しよう がない。
Sumid11 川を挟んで一回りしたところでスカイツリーの建設現場にも足を運ぶ、業平駅のそばだ、言問橋からは歩いていける。近づくと狭い歩道に人があふれていて盛んに記念写真を撮っている。建設途中の塔の有様は今しか残せない、現在338mとの表示も面白い。建設途中の東京タワーを見てみたかった、との見る側の思いが時空を越えて今満たされようとしているかのようだ。
なかなかの東京見物となってきたが、出たついでに久し振りの神保町でカナディアンロッキーの地図なんかを買い求めて、千鳥ヶ淵に向かう、東京の桜の真髄だ。九段方面渋滞との表示に恐れをなして清水門近くの合同庁舎の地下駐車場に入れる、すいていて楽Simizu1 だ。旧千代田区役所裏から牛ヶ淵の桜を見ているとお堀に少し変な鴨が浮いている、ハシビロガモだ、沢山いる、いかにもお江戸の野鳥らしく汚れていなくて綺麗だ、都会派だ。 清水門から入って岡を越えて千鳥ヶ淵まで歩く、広場では花は遠いが一面のお花見シートだ、お江戸の花見宴席がうらやましくなる。堀端に来ると逆光だが間近に千鳥が淵の満開の桜が視界を埋める、すごい。花のつき方が豪Chidori1華でたわわに咲いている、隅田公園の桜が東京ローカルならこちらはお江戸の桜そのものだ。勿論出店はなくてただただ観るだけだが圧倒される。

暫く時間が貴重に流れて行く、気がつくと大分疲れて時間切れの感じがしてここまでと引き上げる。

やはり花見は都に限る。

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2010年4月 1日 (木)

ドラッカーが

ドラッカーが読まれているという。ドラッカーというと経営のハウツー本のようDrucker な印象があったが はやりものにははまってみるべし、との教えに従っていくつか読み始めようと、処女作 「経済人」の終わり から読み始めた、気になっているファシズムを論じている。30歳の作だ、筆が走りすぎているところがちょっと荒削りではあるが若々しくて勢いがある。ヒトラーの勢い盛んな1939年に出版され全体主義の成り立ちを論じているのだが、驚くほどに本日現在の状況に近い。スターリンによる社会主義への失望、大恐慌からの資本主義への失望がいずれでもない体制を求める原動力となった。ファシズムには肯定が無い、あらゆるものを否定する、旧来の信条をことごとく否定し、かといってこれに変わる信条を持たないままに権力をにぎった、そこに本質がある、と看破している。今の日本の状況と似ている、自民党もダメ、民主党もダメ、ダメだしの連続が日々流れている。何か危ない
オウム事件から15年だがどこかこの事件もファシズムの成り立ちを想起させる。15年前は社会主義国家崩壊・冷戦終了・バブル崩壊後の失われた10年の最中、と信ずるべきものがガラガラと崩壊した時代でもあった、オウムもまた否定の上に成り立っていたのだろうか。米国の安全保障研究所長が獄中の正気に戻ったオウム幹部から聞き取りを行っているという、確かにオウム事件は幾重にも折り重なった時代の切片のようで研究に値するように見える、狂信的テロリズムとそれからの脱却の例示でもある、その集団に多くの優れた頭脳が参加しテロの実行すら担っていた、何かを物語っている社会的現象のように見える。航空機の事故調査は犯人処罰ではなく真の原因追求に重きを置き、システムの問題を改めていくことで航空機事故を急速に減らしてきた、同じことが社会的現象に対しても言えるのではなかろうか、犯人を死刑にして何がわかるのだろうか、何が変わるのだろうか、得るべき教訓を得る機会を失いつつあるのではなかろうか。社会的事件への対処には組織的な原因追求の機関が必要のように思えている。
否定の連続は終わりにしないと、か、そうなんだろう、やはりあるがままの今を全て受け入れてそこから考え始めないと、と思う。

ともかく4月だ、桜もやっと凍ったつぼみを開きそうだ、また忙しい春が目の前に広がる。

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