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2010年6月15日 (火)

小杉放庵美術館

日光にある小杉放庵美術館というのが少しばかり不思議な感じがしていた、小杉放庵という人は美術館を市がKosugi10建てるほどのインパクトを残した人なのだろうかという素朴な引っかか りがあった。美術館は13年前に松田平田設計事務所の手で作られている、松田・平田というと東京のブリジストン美術館を設計した人でもありその残したチームの設計であればそれなりのことはあるのだろう。美術館建築は中核の展示室部分が窓も無い箱となるだけにエントランス部分に面白さを出しているところが多いような気がしている。この美術館では入り口すぐのホール部分がちょっと面白い、天井が凝った形をしていて、建物を見るだけでもなかなか楽しい。ともかく受付Kosigi2 にむかうと本日は県民の日で無料とある、得した気分で展示室に入って見始めるが誰も観客は居ない、日曜で無料というのにさびしい美術館だ。肝心の小杉放庵についてはやはり今ひとつよく分からない、大正から昭和前半の時代あたりに最も活躍した人のようで洋画から日本画へ回帰している。木の幹の描き方に特徴があって何枚か見ればそれと分かるようになる。この日の出し物は 所蔵のスケッチから鳥と植物に関する作品を展示してあるが、光を落してあるため線の細 いスケッKosugi3チはどうしても見にくい、もっと前へ、と言いたくなる。説明文も しわしわが過ぎる紙を使ってあって読みづらい。ちょっと展示方法に難があるようだ。
ともかく鳥を見る。鳥の絵の細かな描写は捕らえた鳥を見ながら書いているような気がする、見ているとどこか山階研究所の引き出しから出てきたコゲラの剥製を思い出してしまう。野生のものを細かく正確に細部まで観察しようとすると手元においてじっくり見るということになるのだろう。羽根を拾って貼り付けてあるヤマドリのスケッチもある、大量に描いて鳥の描き方を体得していったのだろう。鳥の細密な絵を練習するにはこうするほか無いのか、なんとはなしに画家としての必死さが伝わってくる。
ひととおり見終わって建物内部の写真を撮っているとやっと次の観客が一人現れた。それにしても小杉放庵とはどういう人なのか、ピッとこない、スケッチの線の細さからかもしれないが、線の細い人のような印象が残る。難しい人だったのだろうか。ともかく自然人だったことには間違いない。故郷に自分の作品が展示される専用の美術館ができる、画家にとってはこれにまさることは無いのだろうが、何か暗い部屋に閉じ込められているようで可哀想なような気もする。もっと自然に解き放たれ明るい光の下で晒されるのがふさわしいのではないか、と思ってしまった。

建物を出て裏手に回ると大谷川がおとなしく流れていて心地いい 日光ではやはり自然の中で光を楽しむのが良さそうだ。

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