なんにでも終わりは来る
毎年今の時期の早朝 野鳥の録音に出かけることにしている霧降にこの土曜の朝でかけた、年を経ると例年行っている、ということが増えてくる、当たり前のことだが はじめたものはどこか
で止めなければならない、止めれなくなると身にふりつもってくる、新しいことが始めにくくなってくる。ともかく朝4時半頃自宅を出るがどうも例年より遅い。4時前には出ていたような気がしたがもう体が動かなくなったのだろうか。霧降の道を5時頃駆け上って第2リフト乗り場の先の橋のあたりに着くがもう陽が大分上がっている。それでも車を出るとオオルリの声が流れてくる、カッコウやホトトギスも声を響かせて、いい感じだ。20分ほど録音しているといやな音が次第に耳につくようになってくる、バイクとエゾハルゼミだ、やっぱり出るのが遅すぎた。時が過
ぎるにつれどちらの音もあたりを制圧してきてもう録音は止めろといっているようだ、いい加減であきらめて六方沢橋あたりに行ってみるがエゾハルゼミの声はいや増しだ、そばに寄って来てとまったりもして、途方も無い響きを響かせる、音の壁に覆われてしまったような気持ちになる。あちこち場所を変えてもエゾハルゼミからは逃れられない、エゾハルゼミは雨が降りそうなくらいにならないとなきやまないのだがこの朝はよく晴れているのが恨めしい、晴れればいい天気とはとてもいえない。バイクのほうがエゾハルゼミよりはかわいいと思っていると、先へ行ってUターンしてまたそばを走り抜けて走りを楽しんでいる、その繰り返しで台数が増えてくるとハルゼミが少しおとなしくなっても録音にならない。早朝から豊かな自然の中でバイク騒音に悩まされるのもうんざりして山を降りる。不満が残るがどこにもぶつけようが無い、とにかくこの時期は4時には録音開始でないと旨く録れないようだ、なんとなく無理っぽく感じてきた。楽しみでやっている自分にとっての年中行事だがそろそろ変え時かもしれない。
時々やっていることを整理しなくては と思う、自分だけでやっていることは決めれば終わりだが、何かの拍子で引き受けたことも次第に圧迫を感じるようになれば身を引かねばならない、かといって他の人を圧迫してもいけない、難しい、しかししょうがない、それが世の中だ、生きているということだ。
やっと梅雨に入ったようだ、こちらも季節という年中行事だが簡単には終わりにならない、しかし地球の一生という時間のスケールに思い至ると やはりつかのまの習慣なのだろう、なんにでも終わりは来るのか、とまた思ってしまう、ともかく梅雨だ。
| 固定リンク
コメント