人とホタルと
先週の木曜日はむっとした夕方になった、今日は雨も無い、ほたる観にちょうどいいかと宇都宮美術館南の小川にでかけた。だんだん億劫になって今年も近場で済ませるようになってしま。駐車場所に着いてクルマを降りるが誰も居ない。まだ薄明かりが残るためか歩き始めてもほたるは見えない。ゆっくりと小川を下って行くが蚊ばかりが襲ってくる。空振りかとあきらめ心地で、折り返して戻り始めると目の前に3頭がふわふわと飛んでくる、ホッとした気持ちで見入る。そのうち5頭くらいになってからんだり田んぼのほうにスーと走ったり、動きがあって面白い。しかし蚊が多い。蚊をたたきながらあきず観ているとやっと一グループが現れた、ともかく人が少なくていい。小川を上ったり下ったりと行ききしてもういいか、と思う頃ドッと大家族一行が大きな犬を3匹連れて現れた、ほえたりして感じよくない。暗がりに犬はどうかと思う、狼に戻りそうだ。
ほたる というと日本のものとのイメージがあったが最近netで 米国北東部ペンシルバ ニア州辺りの住宅の芝生には陸生の蛍がやたらといて珍しくもない という記述に行き当たった。(図は陸生のホタルPhoturis lucicrescensyori 、Wikipediaより)。もう少し調べるとゲンジボタルやヘイケボタルは水生だが世界のホタル約2900種のうち水生のホタルはアジアの日本、中国、台湾、タイ等に見られる僅か10種だけで殆どのホタルは陸生という。水生のホタルというのが日本的な情緒のある蛍の大事なところだったのか、と思い至る。水田耕作文化とかかわりがあるようだ、発光するのが田植えを終わって稲が育ち始める時期、というのも人に感慨を与える背景にありそうだ、水田という生息場所を得て水生のホタルは東アジアで永らえたのだろう、芝生の上のホタルには文化が無いのかもしれない。
地球の生態系に人はどうしようもなく組み込まれている、人によって栄える種もあれば絶滅する種もあるのは当然のことのようだ、人の手で生態系を”護る”ことそのものも生態系のダイナミクスの一部なのだろう、そんなことをはるかに超越するようなめくるめく種類の生き物の連鎖がまぶしくもある。
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