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2010年8月24日 (火)

乗鞍岳で雷鳥にあう

10日ほど前のことになる、夏休みの暑い日々が続きどこか高い山へと暑さから逃れるように乗鞍岳に登ってみることにした。無理はできなくなっていると感じていて、登り易い最も高い山というと乗鞍岳になる、100名山でもある。本当は北岳に登りたかったが、同行者が得られないし一人で早朝から走っていって1600mあまりを登り肩の小屋に泊まるのもなんだかしんどくてあきらめた、北岳へは何人かで楽しく行かないと持たないような気がする。ともかく乗鞍岳なら300mの登りで3026mの山頂につける。
天気は1週間前の予想通りの展開となった、初日は晴れている。ペルセウス流星群は雲もあって見損なったが予定通り朝5時に宇都宮の自宅を出た。北関東道、長野自動車道とのりついで松本から乗鞍高原に向かう、松本の街外れの渋滞でいくらか時間がかかったがほぼ計画通りに9時半頃乗鞍高原のバス発着所に到着する。駐車場はまだ空きがあったがバス待ちは長蛇の列だ、大丈夫かと思ったが何台もバスを連ねるようで次の10時発にはどうにか乗れそうだ。途中の三本滝から乗ることも考えてみたが、途中からでは満員で乗れないのではないかと懸念して始発からの乗車にしていた。実際には補助席分余裕があって、途中の三本滝からも乗ってくる。スノボを抱えた2人組もいる、雪渓で滑るようだ。テープで観光ガイドが流れる、この道ができたのは戦前で、旧軍の航空エンジンの高空性能試験場が畳平付近に作られたためとの説明だ、そんなことでもない限りこんな高い山に登山道路はなかなか作られない、戦前の航空機開発の必死さが伝わる。畳平の手前の雪渓の下でスノボ組みは降りていった、見ると雪渓では10人くらいが滑っている、昔から乗鞍の夏スキーは有名だが思っていたより雪渓が小さい、しかしこういう楽しみ方も良さそうだ。
畳平駐車場に着いたのが10時50分くらい、広場から少し下ったお花畑を抜けて山頂に向Komaks かう。ルートは最後に一気に上るがそれまでは平坦だ、しかし距離は結構歩く。お花畑の途中でフィールドボランティアのような人が、あちらに雷鳥が出ています、としきりに声をかけている、どこ、と聞くと右へ分かれて2-300mくらい先の人だかりを指差す、行きかけたが まずは頂上に行ってしまいたい との同行者の声に押されて帰りに寄る事にしてしまう、帰りまでおとなしく居続けるとはとても思えないが、しようがない。先へ行く。ハイマツが見事だ、コマクサ、ヨツバシオガマ、ミヤマキンバイ、ハクサンイチゲ、イワギキョウなどの高山植物も今が盛りでいい感じだ。広い平坦な道をたどって東大宇宙線観測Norikur 所あたりに来る、いろいろ施設がある山だ、ここで持ってきたおにぎりを食べて少しでも荷を軽くして登りにかかる。思ったよりきつくない。道幅がやや広くて自分のペースで歩けるのもある、白根山より楽だ、小さい子供も目に付く。遠くにイワヒバリも見ながら程なく山頂に着く、山頂の一番高いところには乗鞍本宮があってお守りやバッジを売っていて、3000mを超える山岳らしくない、不思議な山だ。山頂からは槍・穂高がよく見える、いつかは登れるだろうか。登ってきた斜面を下ってまたお花畑に差し掛かる、このまま行けば3時のバスに間に合いそうだが見送って雷鳥を探すことにする、しかしもう人だかりはない、行きに見ておくべきだったとしきりに愚痴りながらとにかく探していると、あれは鳥じゃないかしら、との声。視線の先に双Raicyou 眼鏡を向けると確かに雷鳥だ。背中を向けて丸まっているが時折クビを上げてのんびりしている。このあたりのハイマツに居ついていると見える。前に雷鳥を見たのは北アルプス赤牛岳付近だった、数十年前になる、次に見れるのはいつのことになるだろうか、これが最後かもしれない。通る人に教えてあげるがやはり子供たちの反応がいい、年は感動する心を錆びさせるようだ、心して磨かなければと感じるがたやすくない。
乗鞍高原の宿について多すぎる食事を終えた頃雨が降り出した、予定通りだ、明日の9時には上がるはずだ、明日は3本滝でも見るか、と思いながら一日を終える。しかし乗鞍岳はいい山だった、生き物が良くて高山の景観がいい。
空の動きを見、風を感じながら自然の中を歩く、そんな生き方が何か合っている様に思えている、年を経てくると楽に生きていけるやり方が自然に掘り出されてくるようだ。また山に登るか。

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2010年8月23日 (月)

キリマンジャロの雪

この間カナダの氷河を見て圧倒されるもの感じて、氷河が少しばかり気になっている、そういうわけでもないが、図書館で棚を眺めていたら キリマンジャロの雪のタイトルが目に入った、ヘミングウエイだ。昔一度読んだような気もするが、始めのところのキリマンジャロ山頂には豹の死体があるという書き出しだけしか覚えていない、読み直してみるかと、借りてきて読み始めた。短編だからすぐ読めてしまう。これは何と言う小説なのだろうか自虐的な悔悟の気持ちをたどる著者自身のドキュメンタリーのような雰囲気だ、ストーリーで押していく小説ではない。こんな小説だとは思っていなかった。少し調べると、著者自身、描かれているのと同様、裕福な妻の身内の支援でアフリカにサファリに行き急な病で病院へ小型機で搬送されている、この時に空中からキリマンジャロを見たのだろう、キリマンジャロが死と結び付けられて感じたのだろう。いい文章とも思えないが不思議なリアリティーがある。ヘミングウエイの著作は多くが自身の経験からさほど離れていないところを描いている。欧州で著作を続けた後米国に戻ったのは取り巻く人々を次々にモデルとして作品に登場させ居づらくなってしまったためとも言われる。書きたくて書いたというより作家として生きていくためにとにかく書いていたという面がどうしても感じられる。作家という職業が重かったのかもしれない。
家系に鬱病の気質が遺伝的にあったらしく,父親は自殺、本人も61歳で自殺、孫娘のマーゴもヘミングウエイの死後35年目の命日に自殺している。
根本的に内省的で難しい人だ,それだけに感じる力があったのだろう。
カナダで見た氷河の風景は日本の柔らかな風景と違い人の存在を超越する力を感じさせるものだった、氷河には死の世界を想起するものがある、そうかもしれない、風景に力がある。
キリマンジャロの氷河は最近では氷河後退が顕著に観測されていることでも注目されている、タンザニア気象庁のレポートを読むと、単純に地球温暖化だから、ともいえないようで、乾燥化による昇華、低降水化、火山の地熱の影響、太陽放射の増加、等が重なり合って起こっているのが現実のようだ。ともかくヘミングウエイが見た1930年代でもかなり急速に氷河はその面積を縮退しつつあって、グラフからは2020年まで持たないように見える。氷河自身の死に至る姿がそこにはある。

風景は見る人の心と響きあって存在の意味を発しているようだ

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2010年8月21日 (土)

心拍計その2

ジョギングに使う心拍計を買って1年がたつが突然作動しなくなった。販売元に状況を伝えて現品を送ると電池の接触が悪いようだ、蓋と電池の間にスペーサとして紙をかませればいいようだ、と送り返してくる、ともかくその様にして数回トレーニングに使ってみるがまた動かなくなる、よく見るとベルト送信部の接着が剥がれてきている。これ以上手を入れてももはや無理との感触だ、買いなおそうとネットで心拍計の検索を始めて驚いた、1年前に較べ随分と商品がヒットする、それも安いものから順にバラエティに富んできているし全体としても低価格化している、ここに市場があると見て色々参入してきた図式だ、どうやら健康機器Solus に需要が動いているようだ、そんな時代なんだ。ともかく最もシンプルで価格も手頃なSOLUSの腕時計タイプをAmazonで発注するとすぐに届く、中国製らしい、で大丈夫かと早速トレーニングしている健康の森で施設の心拍計を借りて比較しながら運動してみる、機能はまともで値もいい、使えそうだ。ネットでもう少し調べるとSOLUSという腕時計ブランドは心拍機能で勝負しようとしているらしい、そこそこのものの感じがする。
こんな風にしてデフレが進行しているのかもしれない、とふと思う。壊れて買いなおすと同じ程度の機能であれば大抵安くなっている、それを当然のように受け止める。価格検索サイトでも大体が時と共に価格は下がってくる。デフレでは借金の重みが次第に増していき投資意欲を損ない経済が縮小均衡に向かう、資本主義社会では始末に悪いというのが教科書的な見方だが、製造品に限れば いいものを安くとの技術が進みそのようなことは常に起こる、一方で価格でなく消費する財のトータル価値は上がり続けている。考えてみれば随分前からそうだったのが古典的な需要ー供給のアンバランスのもたらすインフレで覆い隠されていただけで バランスが取れてくると本来的な価格低下が隠しようもなくなったとの気がしてくる。経済のものさしを変えねばならなくない時代にさしかかっているようだ、GDPでなく、幸せの尺度を使わねばならない時代なのだろう、考えてみるとノーマルな時代になってきたようだ。
物が壊れると時代を読めてくる、落胆からどこかわくわくする感じに変わっていく、その気持ちの移ろいが面白くもある。

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2010年8月17日 (火)

カナディアンロッキーのハイキング

デジタルな機器をいじっていると時々間違いが起こって大事なデータがスポッと消えてしまう場面に出くわす。4日ほど前、乗鞍岳に遊びに行ってGPSデータで軌跡をとろうとガーミンのtrackをみると99%fullになっている、ついこの間パソコンにおとしたはず、と、エイッとデータクリアして使っているうちに、もしやこの間のパソコンへのダウンロードは保存し損なっていたのではないかと気になってくる、次にパソコンを立ち上げた時にはトラック表示が出ていなかった気がする。カナディアンロッキーで記録したものを消してしまったかもしれない、帰って昨日パソコンを確かめてみると恐れていたとおりだ、保存されていない、何かの手順をミスしたようだ、ファイル復活ソフトもこんなのには使えない。あきらめるしかない、とはいえ抑えていても残念さが頭をもたげる。しかしどうせ殆どのデジタルデータは50年もたてば無に帰してしまうはずだ、今頭の中に記憶しているものが本来全てのはずなのだろう、再びカナディアンロッキーの旅のディテールを思い起こしていく。

カナディアンロッキーでは1日はハイキングを入れようと思っていた、やたら高度を登るコースがある中サンシャインメドウズのコースは2000m高度を高原歩きして野生にふれるようで好ましく思えた。バンフのすぐそばのスキー場の夏のビジネスだが(駐車場から出発地点までを専用バスで結んでいてこれで稼ぐ形)かなり良さそうだ、しかしどうもグリズリー熊の生息地域らしい、熊よけスプレーを調達しないと、と思うがうまく現地調達ができるかどうか解らない、迷ったあげくガイド付きツアーへの参加(一人35ドル)を申し込むことにした、他に参加希望者がなければ専属ガイドとなる。White Mountain Adventuresという、スキー場運営会社がやっている現地サービスで勿論英語だ。日本からネット予約して、どういうことになるだろうかと一抹の不安を抱きながら現地へ行く。
当日の天気は事前の予想通り 晴れで風も弱い好天となった、この旅の天気の推移は全体に直前の192時間全球予測計算結果とほぼ合っていた、スパコンの計算も満更でもない。専用バス発着所のロッジ受付に行くと 待ってました、とばかりのにこやかな態度で迎えてくれる、感じがいい、暫くして現れたガイドは歯切れのいい発音の長身のイギリスからの移住者で冬はスキーのインストラクターをしているという、ツアー参加者は他にはおらず期待通り専属のガイドの形となった。ちなみに熊よけスプレーはロッジの売店で売っていた、かなり近づいてから熊の顔に風上から吹きかける、というのが使い方だが、少々勇気が要る、最後の手段だ、勿論ガイドは常備していてトレーニングもしている、ともかく熊スプレーだけのお守りよりも、熊への対処に詳しいガイドのほうが何十倍も心強い。

冬はスキー場となる草原を横切ってRock Isle lake,Grizzly Lake, Larix Lakeと巡る、花がいいし、Colombia Ground Squirrelという地リスあちこちに現れては立ち上がって鳴いていたりする、これまでのロッキーの岩山とは違いフィールド全体が柔らかなFmn 感じがしていい。ガイドの英語は解りやすくて、花の名前とそれにまつわる話や、4種類の木の話、あれがアシニボイン、むこうがモナコマウンテンといった山の名前、地リスの巣をグリズリーが襲って食べる話、餌が豊富なためこのあたりにグリズリーが多い話、氷河から流れ出る水は何故あんな青なのか、そのほか四方山話をしながら歩いていく、なかなか楽しい。花はアルペンアネモネや赤いインディアンペイントブラシが多くていかにもお花畑だ、忘れな草(forget-me-not)の青い花が心に残る、花は種類も多い。鳥は数種出るが姿がしかとはLarix_lake 見えず名前が判然としない、奥日光よりは鳥の声が聞こえない感じだ、野鳥を含めたフィールドの良さは日本はかなり素晴らしいものを持っている、と改めて思う。途中で日本に居たことがあるとの感じのいいカナダ人夫婦と行き会う、トロントから来たという、やはり日光は素晴らしいハイキングコースだった、と語っていた、そうなのだろう。
グリズリー熊には出会わなかったが、道の途中で地リスの巣を掘り返した真新しい痕跡に行き当たった、数日前まではこんな痕跡はなかったという、やはり熊が多いことに間違いはなさそうだ。
旅の最後の日にセットしたハイキングだった、予想以上のフィールドの素晴らしさと刺激がそこにはあった、心地よい疲れと緩やかな対話のもたらす充実感もいい。こんな風に続く旅はかけがえがない、こんな旅をまたできるだろうか。
翌日朝早くからカルガリー空港に向かって走り始める、空港近くにガススタンドはうまく見つかるだろうか、レンタカーを飛行機の出発時間に余裕を持って返せるだろうか、朝のラッシュは大丈夫だろうか、旅らしい不安を抱いてクルマを走らせる。不安とその見返りのような充実の繰り返し、これもそろそろ終わりだ、その先にはまた日常が待ち構えている、旅の終わりのこのないまぜとなった感触はなんともいえない。ともかく旅は止められない。

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2010年8月 6日 (金)

暑さが続く

暑い日が続く、どうしてこうも続くのかと少し見てみると西太平洋からフィリピン南のあたりの対流が活発で、上昇気流で雲の生成が盛んな領域がしばらく停滞している、マッデンジュリアン振動(MJO)として西へ進むこともない、これが原因しているようだ。西太平洋からフィリピン南での上昇Kouubunnpu 風はハドレー循環とよばれる対流で巡り日本付近に下りてきて高気圧をもたらす、夏の高気圧となり日本の暑さを与えている。また赤道付近でこの上昇風帯に向かって吹き込む風が貿易風(東風)の強まりとなりラニーニャ現象の要因ともなっている。なんで上昇風帯が停滞するか、西太平洋の海表面温度が高いためとされる、海水温の高い理由はとなると東風の影響も大きい、ここまでくると何がたまごで何が鶏かわからなくなる。平衡パターンにはまってしまったということだろう。こんな時は日本からアラスカ・カナダに向かって高気圧・低気圧・高気圧・・・と気圧配置が並びなかなかこのパターンが崩れない(PJパターン)、今まさにそうなっている。予測ではMJOはこの先更に弱まっているというから気長に日射が弱まり夜が長くなって平衡が崩れてくるのを待つほか無いようだ。全世界的にもパターンが暫く固まっているようでモスクワの暑い日もまだ続くようだ。こんなこともあるんだ。
変わり行くことに面白味がある、固まっているのは苦しい。
Stutglac カナディアンロッキーを旅していくつもの氷河を見た。山の上に厚い層になっていて崖のように崩れてまた氷の流れを作る。スタットフィールド氷河の眺め、アサバスカ氷河―コロンビア大氷原の眺め、圧倒的だ。山岳氷河は思っていたよりも単純でない、硬い氷がじりじりと姿を変えていく、そこが面白いし見飽きない。
何であれ、常に変わり続けて行くことが肝心のようだ

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2010年8月 2日 (月)

オルセー美術館展

暑い日々になかなか終りが来ない。夏らしくていいやと思い込むのにもそろそろ疲れてきた。

別に暑さのためではないが、オルセー美術館から100点以上の作品が来ているというので六本Orsay木の国立新美術館まで出かけてみた、勿論クルマだ、気になる駐車はなんとかそばのコインパークに停める、15分200円とかなり値が張るがしょうがない。
オルセーというからてっきり印象派展だと思って見始めていたらどうも色あせた感じが否めない、生彩がない、なんだか変だと思って展示会のタイトルをよく見るとポスト印象派とある。ポスト印象派とは随分アバウトなくくりだ、とにかく1880年代末から1900年代初頭の欧州絵画と思うほか無さそうだ。点描派に代表される技巧に走っている姿が目に付く、いい絵というより歴史の遺物のような絵が続く、とにかく当時としては新しい手法で画家のアイデンティティを示そうとしている姿勢が前面に出ているようだ、理屈で押している、何のために描いているのだろうか。中で目立つのはロートレックの手法にとらわれない生き生きとした描写だ、理屈をいわずに描きたいものを描きたいように描いている、ロートレックという人はこう捉えるのか、初めて解った気がする、ゴッホもゴーギャンもセザンヌも技巧偏重からの離脱として自身を確立していっているように見えてくる、パリに居ては自分を見失う。どこか写真技術に押されまいとする努力も感じる、何を何のために描くのか、問うている時代そのものを感じる。難しい時代だったんだ。
いい絵を見たいだけだったのが歴史の勉強をさせられた、そんなちょっと複雑な思いでカフェテリアでサンドイッチをパクつく。それにしても随分な混雑だ、それに絵を前にして絵を見ていない人がこんなに多いのは何故なんだろう、今の時代は更に難しい時代になっているのかもしれない。
美術館の外はむっと暑い真夏の大気で満ちていた。秋はまだ随分遠くに居て気配すら感じさせてくれないようだ。

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