キリマンジャロの雪
この間カナダの氷河を見て圧倒されるもの感じて、氷河が少しばかり気になっている、そういうわけでもないが、図書館で棚を眺めていたら キリマンジャロの雪のタイトルが目に入った、ヘミングウエイだ。昔一度読んだような気もするが、始めのところのキリマンジャロ山頂には豹の死体があるという書き出しだけしか覚えていない、読み直してみるかと、借りてきて読み始めた。短編だからすぐ読めてしまう。これは何と言う小説なのだろうか自虐的な悔悟の気持ちをたどる著者自身のドキュメンタリーのような雰囲気だ、ストーリーで押していく小説ではない。こんな小説だとは思っていなかった。少し調べると、著者自身、描かれているのと同様、裕福な妻の身内の支援でアフリカにサファリに行き急な病で病院へ小型機で搬送されている、この時に空中からキリマンジャロを見たのだろう、キリマンジャロが死と結び付けられて感じたのだろう。いい文章とも思えないが不思議なリアリティーがある。ヘミングウエイの著作は多くが自身の経験からさほど離れていないところを描いている。欧州で著作を続けた後米国に戻ったのは取り巻く人々を次々にモデルとして作品に登場させ居づらくなってしまったためとも言われる。書きたくて書いたというより作家として生きていくためにとにかく書いていたという面がどうしても感じられる。作家という職業が重かったのかもしれない。
家系に鬱病の気質が遺伝的にあったらしく,父親は自殺、本人も61歳で自殺、孫娘のマーゴもヘミングウエイの死後35年目の命日に自殺している。
根本的に内省的で難しい人だ,それだけに感じる力があったのだろう。
カナダで見た氷河の風景は日本の柔らかな風景と違い人の存在を超越する力を感じさせるものだった、氷河には死の世界を想起するものがある、そうかもしれない、風景に力がある。
キリマンジャロの氷河は最近では氷河後退が顕著に観測されていることでも注目されている、タンザニア気象庁のレポートを読むと、単純に地球温暖化だから、ともいえないようで、乾燥化による昇華、低降水化、火山の地熱の影響、太陽放射の増加、等が重なり合って起こっているのが現実のようだ。ともかくヘミングウエイが見た1930年代でもかなり急速に氷河はその面積を縮退しつつあって、グラフからは2020年まで持たないように見える。氷河自身の死に至る姿がそこにはある。
風景は見る人の心と響きあって存在の意味を発しているようだ
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