台風が北へ去って
台風が北へ去って秋が深まってきた。この間の台風12号は発生直後時点での予測計算がその後の動きを驚くほどよく当てていた、1日半ほど南の海上で停滞・発達後いきなり加速北上した。台風が走ると予測計算の信頼度が落ちるというこれまでとは様変わりしたような印象だ、気象庁も計算精度の向上に努力を重ねているのだろう。信州白樺峠では25日は台風通過後の北風で一気にタカが渡っている、サシバは1日で3000羽以上と言うから驚く。強い北風と天気の回復、いかにもタカが渡る気象だ、タカの渡りのタイミングもこんな感じでは予測できそうにも思えてくる。
前の週末は紅葉もそろそろ東北の山には見られ始めるか、とばかり蔵王に出かけた。最も楽な百名山でもある、少しは数を稼げるか、とも思っていた。白樺峠のタカもかなり気になったがつい先日乗鞍に遊びに行ったばかりだ、またか、という感じで賛同が得られずに北へ向かうことになった、乗鞍高原側からの林道が現在不通で多分奈川の宿がとりにくいだろうとあきらめてしまったのもある、今から思えば残念でもあるがまた来年もある。
25日の朝は台風は全く予想通りに接近し宇都宮に平均10m以上の強風をもたらした、北への移動は台風と一緒に北上することになるが蔵王付近は地形の関係でピークでも大した風は吹かないとの予測計算を信じて出かける。東北道はさすがに風が強いがハンドルを取られるほどでもない、雨も殆どない。予定通り3時間ほどで白石インターを降りる、風は気になるほどでもなくて、予測はよく当たっている。山はいくらなんでも無理と白石城やウーメンや武家屋敷やこけしや、ともかく白石を一通り見て回る。街並みの寂れは隠しようもないが随分と町おこしに努力していて、お金も使っている。白石城は平成に再建した城だが全くの更地だった城址に石垣を築くことから始めて天守閣を初めとする城の構えを再現していると の説明だ、更地からとは恐れ入った。確かに城でもなければただの田舎町なのだろう。それにしても町に六文銭の旗がはためくのは何故だろうと思っていたらやはり真田だ。真田幸村(信繁)が大阪夏の陣で敵として戦った(白石の)片倉小十郎に子息を預けその血を伊達蕃につないだ史実を始めて知った、このあいだ見た那須・大沢に獅子舞を伝えた大阪方残党とは真田の残党のことではなかったか、片倉を頼って真田の家臣が白石まで落ち延びた事実もあるようだ、ちょっとした旅でも思いもよらず話がつながっていく様は面白い。片倉の城をなんとかして再建せねばとの市民の熱意もなんとなく解る気がしてくる。
翌日は蔵王の最高峰熊野岳に登る、風も収まって霧も晴れ、なだらかで本当に散歩だ、登山とはとてもいえない、鳥も殆ど出ない、しかし心地よい、お釜の青が日差しで刻々色を変えるのも見飽きない。海外に旅するのも刺激的だが日本の歴史に染みた街並みとそれを取り巻く自然に捨てがたく惹かれるものを感じる。渡るタカのように几帳面に風を読み季節を刻んで移ろうことはないが、動き回ることがとにかく楽しい。
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