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2010年10月 3日 (日)

ゴッホ展をみる

東京へ久し振りに電車で出かける、なんだか疲れるし久し振りで乗り継ぎが手間取ってしまう、東京へもう電車では行く気がしなくなっている。大宮から湘南ライナーで渋谷まで来て、しまったと思う、ここは随分恵比寿よりにしか湘南ライナーのホームは無い、確かに渋谷駅はデパートにはさまれて縦にしかホームを増設できない、新宿で山手に乗り換えたほうがずっと楽だった、もう忘れている。参宮橋を経て乃木坂へ向かうのだがJRから乗り換えやすい銀座線でいいものを半蔵門線まで行って乗ってしまう、本当に忘れている。次第に疲れてくる。
たどりついたのはこの日始まるゴッホ展だ、こうして私はゴッホになった と副題がついている。数年前北の丸で開かれていたゴッホ展とは何が違うのだろうか、と大した期待も持たずに、せっかく東京に出てくるついでだから、ととにかくみる。今回は農村の労働を繰り返し描いている姿、ミレーの影響、そして描くことをとことん詰めていった つかれた様な姿を感じる。ゆるいとこGohho ろがない。これでは身が持たない。北の丸のゴッホ展より強烈だ。比較のように出展されている静謐で透明なラツールの静物画にどうしようもなく惹かれてしまう。
別のところで高名な日本画家のスケッチは写真から起こしているとの話を聞いた、装飾的な日本画にはそういうところも許されるのだろう、ゴッホのような圧倒的に押してくる絵ばかりが全てではない、それにしても随分な違いだ。
生ぬるく生きていくしか最早なくなっている自らをつい見つめてしまう、こんな瞬間も時には必要なのだろう。

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