気を抜くとすぐにぺったりした平面的な生き方に
今朝起きがけに3時のSYNOPデータでパソコン上に天気図を書かせてみてちょっと驚い た、ウラジオのあたりにすごい低気圧だ、それによく見ると前線の通過した後の朝鮮半島では一面に6番の砂塵が出ている、黄砂だ。書いてみるものだ。面倒になってあまり書いていなかったが黄砂の舞うG20か、中国の影響が次第に強くなってきている世界を図らずも具現しているように思えてくる。世界が少し立体的に見えてくる。
北関東でも朝から空に少々どんよりしたところがある、もう黄砂が来ているようだ。車を会社の駐車場へ停めて見上げると見事な高積雲が漂って、近くに目をやると電線にカワラヒワが12羽位とまっている、このところ毎朝5羽くらいが来てキリキリとか細く鳴いていたが今日になって倍増している、また新しい仲間が増えたのだろうか、人見知りしているように声も立てない、それにしても中国から黄砂を運ぶくらいだから国内を渡る鳥を運ぶ位は風にしてみれば造作も無いことなのだろう、羽根を広げると黄色いマークが見えるカワラヒワが黄色い砂と共にやってくる、黄色ずくしでなんだか面白い。風は空間的な広がりで何でも運んでくる。
鳥やきれいな雲を見ると写真に残したくなる、しかしあいにく通勤にはカメラを持参していない、携帯では旨く写りそうに無い、見るだけであきらめる。鳥はすぐ飛んでいってしまうし、雲のほうも10分もすると形を変えて薄汚くなってしまう、雲は思っている以上に次々と形を変えていく、3次元の造形が形を変えて流れていく様はなかなかいい。何もすることが無くなったら雲を眺めて暮らせばいいや、結構それも面白そうだ、そんな風にも思ったりもする。
写真を撮るといえば、いつもしっくり来ない風に撮れてしまうのは何故だろうとずっとひっかかっていた、思いついて最近Autoを止めて全てマニュアルにして見たらこれがなかなかの感触を思い起こさせてくれる。絞りとシャッター速度を変えながら何枚も撮っていく、ピントも自動を止めてマニュアルピントにする、ファインダーの中でピントがあった感触もよみがえる。手間がかかるが1枚1枚が重くなる、自分の責任で写したとの思いがしてくる。なかなかいい。何枚も撮るとカンで露出がおおよそわかるようになってくる、昔の写真の撮るさまを思い出す、厄介といえばそうだが面白いというべきのようだ。いいかと思う露出は大概アンダーだ、しかしautoで撮るべったりとした平面さが無くなる。タカが露出だがこれが面白い。立体感が肝心のようだ。
今使っているK100Dは600万画素しかなく、パソコン画面で大きく拡大していくとあらが目立つ、次第にのめりこめなくなる。不思議なものだ。細部が一方では立体感を支えているともいえる。ともかくカメラも買い換える時期に来ている、ペンタックスならK-5が良さそうだ、しかしボディでも12万位というのではお安くない、元値は半額以下といわれるのではためらいも出る。どうするか。
気を抜くとすぐにぺったりした平面的な生き方に染まってしまう、いつも抵抗しなくてはと思っている、いつまで続くだろうか、もう絡め捕られているのだろうか。
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