« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »

2010年12月29日 (水)

四万十川を抜けて荒れた天気の旅を走る

宇都宮から福岡までこの数年年末にクルマで移動しているが今年は予想通りとんでもなく落ち着かない天気となる、寒気の張り出しが暖かい地方にまで及び不安定さを強調しているようだ。初日の25日は四日市を経て雪に驚きながら25号線を奈良へ走り薬師寺の新しい建物群や興福寺の阿修羅なんぞを見物して宇治まで移動 この日はなんとか無事終わる、それにしても不意打ちのような雪だ。次の日は宇治から淡路島経由桂浜を経て四万十川中流のホテル星羅四万十まで走るが結構な距離だ。松山では激しい雪で松山道がRyouma 閉鎖と高速道路途中で情報が流されており四国の西側はこの日特に不順な天気だ、東側の徳島でも低い雲が立ち込めるものの高知に入ると一変していい天気となる、高知は風下側の下降気流で雲は消滅するという事前の予測計算結果とよく合っている、少々怪しいと思っていたがそうなんだ、ともかく低い雲が主役で地形の影響が大きい。四万十川の愛媛に近い宿泊地ではまた雨模様に変わる、高知も西の山沿いでは西風を斜面に受けてどうしても雲が厚くなるようだ。
四万十川は予想していたような人里離れた自然の中の川ではなく、のんびりと流域の町々を抜けて流れていく、要するに里山の川だった、それも滅多に見ないほどの穏やかさだ、Simanto2 上流で一旦海に近づく川というのも珍しい、蛇行ばかりでいやましに傾斜が緩い、川遊びが安全に出来るというものだ。川魚が面白そうで、鳥といってもサギやホオジロくらいで珍しい鳥が見られたわけでもない。ちょっとは変わったいい川だが普通の川との印象を受ける。
高知の見所の1位は四万十川で2位は桂浜だとガイドブックにある、とにかく両方とも行ってみたが、これが1位と2位では高知は売るものに苦心しているように思えてくる。竜馬が去るとさびしくなりそうだ。それにしても高知は四国の中でも他からはアクセスしづらくて独立心が育まれやすい成り立ちのような感じが漂う、それがいいところなのだろう。
次の日は宇和島経由佐多岬からフェリーで佐賀関に渡り熊本の小国の温泉に宿する。朝、ホテルで今日も松山道は閉鎖と聞かされる、どうなるか旅らしい不安だ。風も強そうだ、フェリー会社や宿に様子を携帯で聞きながらみぞれ交じりの四国路を走る。愛媛に入って宇和島から北上するが雪は案ずるほどでもない、風もまだ強いもののフェリーは問題なく動いている。乗り場で九州自動車道、大分自動車道は大雪のため閉鎖と教えられる、着いても動けるか不安のまま予約の2時間も前の便だが前倒しでとにかく九州に渡る。うつらうつらして佐賀関に着いた頃には高速道のほうは大分から日田までは開通したとわかる、除雪の努力が急ピッチで進められているらしい、宿は日田の手前から一般道で熊本側へ峠を越えたところだ、不安はあるが一応道は開けた、ともかく行けるところまで行こうと走り始める。大分道は十分除雪されていてチェーン規制も無い、気をつけながらOguni2 走ればどうということはない、高速を降りての峠越えもなんとか過ぎ結局宿への最後のアプローチ道路が一番凍結していた これもスキー場に行くくらいの感じでどうにかたどり着く。進めば道は開けてくると教えられるような旅だ。翌日の小国-菊池-熊本-福岡ルートは山道には融けかけた雪が残り、やっとの思いで降りてくれば15mを超える突風に大粒のにわか雨が降りかかる、寒冷前線のせいにするには余りに激しい天気だ、かいくぐるようにともかく福岡に到達する。
今年の冬はやはり大雪だった、つばめが例年に無く早く南に帰っていって、こんな年は大雪になるといわれていたがその通りだった、一方で長期予報で秋口から大雪を予測する声は無かった、まだまだ鳥たちの経験のほうがスーパーコンピュータを駆使した予測よりも信頼できるようだ、何しろ種としての命がかかっている、必死さの度合いが違うのだろう。旅をすると肌で学ぶことが多い。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月23日 (木)

系外惑星

つい1週間ほど前宇都宮で太陽系と系外惑星と題する惑星科学の講演があり、なんだろうと聞きに行った、結構面白い、以前宇宙研にいた松井という方の話だ。21世紀の天文学の2大テーマ;宇宙の起源(ダークマターの追求ほか)と生命を育む惑星 のうちの後者となる太陽系外の惑581g 星に生命を追うという話が中心だ。そもそも太陽系の外の恒星に惑星があるとどうやって見つけるのかと思っていたら、恒星が惑星の質量のために振られるその振れを見つける、という。太陽が木星の影響で僅かに振れるといった具合で、そんなことができるのかと思うが、結構見つかっているようだ、相当大きな惑星を持つ恒星を探していることになる様にも思う。探し始めた当初は年単位の周期になるのではと想定して探していたが全く見つからず たまたま4日周期の振動を見つけたことから短い周期だと気がついてその気で探していったところ次々に発見され、いまや300を超える惑星を持つ恒星が見つかっているという。その中でも生命の可能性がある条件を恒星の温度と惑星の恒星からの距離から(水が液体として存在しうる)ハビタブルゾーンとして求め これに該当する惑星を探しているというのが現在の状況で、当てはまる惑星も見つかリ始めているようだ。ただ、生命といっても何が生命の定義かについてはまだ議論があるようで、この間のNASAから発表された砒素で生きていく生命体が地球上で見つかっていることもあり、ハビタブルゾーンの設定も妥当かどうか これを外れても存在しうるのではないか、色々思えてくる。地球の普通の生命でも月に持ち込まれたブドウ球菌が月面で長い間生存し続けていたとの事実もあるようだ、存外に生命は強い気がしている。
解らない世界を少しずつ広げていくとその先に更に解らない世界が広がる、それを更に追いかけていく、その努力は試行錯誤に満ちていて聞いていても生々しいところがとりわけ面白い。考えてみれば日常と思っていることにもこんなことがいくらでもあるような気がしている。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月21日 (火)

琉球の歴史と宗教が解らなくて

沖縄の旅から帰ってまだ沖縄が抜けきれない。斎場御嶽(せいふぁーうたき)、座喜味城、中城城などの写真を整理しているが沖縄の歴史や宗教の知識が余りにもないことが気になってきてネットや図書館で少し調べている、だんだん解ってきた。縄文や弥生の土器はKutaka 宮古島、先島諸島には及ばなかったがそれより北の琉球には伝わっていて、なにかにつけて本土の文化が北から伝わっているようだ。琉球の宗教も基本的に神道で日本本土の神道の古い形が保たれているということらしい、琉球で神社の役割を担う御嶽には社殿も鳥居もないがそれが本土の原初の神道の形でもあったようだ。本土の宇佐神宮や伊勢神宮といった古い神宮では巫女が重要視されていたが琉球の神事では女性のみがその核心を担う。琉球での天孫降臨の地、久高島では最近まで島の女性が神女となるイザイホーの儀式が行われていたという。比嘉康雄の撮ったイザイホーの写真を見ると何か別の世界の広がりを感じるがそれが日本の古い時代の雰囲気だったのだろう。言葉も明らかに日本語と琉球語は同一の語族をなし、琉球語とアイヌ語のつながりはみられない。日本列島は先住民たる縄文人に弥生人が朝鮮半島から侵入し縄文人を北と南に押しやったと思っていたが南では本土と同じように文化の融合がなされ弥生を受け入れたような感じがする。古い日本が南の風土の中で緩やかに形を変えながら生き残っているというのが沖縄の文化のベースのように思える。日本の文化そのものが南方由来のものと北方由来のものが渾然一体となっているところがある以上琉球の文化が日本の文化を支えてきたと理解するのが正しいのかもしれない。沖縄に惹かれるところを感じるのはそういうこともあるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月13日 (月)

大田原の羽田沼に久し振りに行ってみると

この土曜日の午後に奥日光に行ってみたらもう赤沼駐車場はクローズしていて困ったクOknk ルマが何台か駐車場横に路上駐車している。まだ歩けるし駐車場を閉めることはなかろうと思うが管理する側の事情もあるのだろう。ひとまず赤沼茶屋の駐車場において湯川沿いを少し歩いてみる。木道は雪を大分かぶっていて少しでも傾斜があると滑りやすい。気を付けながら歩いていくと雪道にしては人によく出会う、外国人もいて一応挨拶してくれる、ルールと思っているようだ。キレンジャクがどこかにいるはずだがと思って見ているが現れない、エナガやツグミが時折現れる、こんなものだといい加減なところまでで引き返す。冬の奥日光は鳥は少ない、しかし薄い雪をかぶった有様が心地がいい。
次の日ハクチョウが渡って来るので知られた大田原の羽田沼に久し振りに行ってみる、Handnm 餌やりをやめて随分ハクチョウが減っていたがどうなっただろうと思っていると、一羽もいなくなっている。現金なものだ、餌が出なければこんなところに用は無いということだろうか。オナガガモやマガモはそれなりにいる。どこへ行ったんだろうと話していると大きなカメラを抱えた中年の人が近くの田んぼに45羽くらいいますよ、と教えてくれる。お礼を言って教わった道順で小学校のすぐ北東側の小道を北向きに1kmくらい行くと左側の水を張った田んぼにオオハクチョウやオナガがたくさんいる。ここで餌をやっているらしい。しかしオオハクチョウもオナガガモも時々一斉に首を上げて警戒姿勢をとる、田んぼでは隠れるところも無いためピリピリしているようだ。夜は羽田沼で過ごすのかもしれない。渡っOotawarahk てきたところでともかく冬を越さねばならない、生きていくことの必死さがなんとなく伝わってくる。餌やりを止めて自然にまかすのがいいのか、餌をやって生きやすいように助けてやったほうがいいのか、難しい。しかし難しいことは言わずに付き合っていくのが昔ながらの鳥と人間のかかわり方のように思えている。ハクチョウの餌やりばかりでなく鷹匠が生き残っているようにおみくじを引くヤマガラも残っていってもいいのではないかとも思っている。野生と人は隔絶したものでは有り得ないのではなかろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月12日 (日)

787とF35と遅れてばかりの航空機開発が

このところ航空機の開発が遅れる話がやたらと多い。昔から新しい航空機の開発は予定通りにはいかないことは多々あったがこのところのボーイング787やエアバスA380の遅Za1787 れは新しい時代の影の切り口を見せているようで興味深い。787は当初の予定より最初の顧客である全日空への引渡し予定が既に3年遅れてまだできず飛行試験が続いている、ここへきて電源系統パネルから飛行中に出火し(それも米連邦航空局:FAA のパイロットによる検査飛行の最中に)既に1ヶ月飛行試験が止まっている、新たなスケジュールの公表すらまだない。電源パネルに何か金属片のような異物が付着したのではないかとの説明がボーイングからなされているが今ひとつしっくりしない。主要構造を大型旅客機としては初めてカーボンの複合材製とし、系統もオールエレキに近い斬新なシステムで 更に開発製造もこれまで以上に全世界のサブコントラクタに分散するという新しい手法だらけの機体だが、ボーイングなら何とかできるだろうと世界中のエアラインから15兆円にものぼる空前の受注を集めていた。複合材といっても接合部には金属を使用せねばならない部分がどうしても出来てここに熱膨張率の低い(複合材は殆ど熱膨張しない)チタンを多用することになるが、この部分を接合する特殊なファスナーボルトの製造が全く間に合わず機体の組み立てが大幅に遅れた、こんなことから始まって、落雷対策で(複合材は電気を通さない)雷の通り道をつけるメタルバリアを構造のそこここに張り巡らす改修や 強度不足の露呈やエンジンのタービンの破裂と次々に問題が起ってここに至っている。新しいものを取り込みすぎたとの感じがしてならない。工業製品は加速度的に複雑化している、恐らくそれはコンピュータ利用の設計が高度になってできることが増えぎりぎりまで攻めることができるようになったその結果なのだろう、掛け算ではなくべき乗で複雑化が進んでいる気がする。エアラインは遅れを見ながら路線計画を次々に変更したり別の機材を急遽発注したりで、もううんざりしている、勿論多額の補償要求がボーイングに出ている。大変だ。
ミリタリーの分野でも世界の戦闘機の次の主役を約束されている米国ロッキードのF-35戦闘機の開発もなにやかやと遅れている、コストも膨らみ遂に海兵隊が使う予定の垂直着陸型F35Bの開発をキャンセルしてはとの提言がこの11月に大統領付きの委員会から出されるに及んでいる。大騒ぎだ。この機体もステルスはあり、垂直着陸はでき、勿論超音速で飛べ、最新の電子機器は搭載、大量生産でコストも抑える、と何でも取り入れた機体だが、やりすぎたようで無理がでたようにみえる。遅れが出ているため米国の戦闘機が必要な数に不足する事態が目の前にあり急遽F16の延命のための疲労試験が行われつつある。

こんなことと世の中で鬱病が広がっていることはどこかでつながっているような気がしている。出来るはず、と思って次々に背負い込むとそうは行かない、以前より何十倍も複雑な世界が展開していて個人の努力では破綻をとても支えられない。
ここらで一休みとの気もするが元気で八方破れの中国が力を増してきているとそうにも行かないように思える。後は中国の不動産バブルが崩壊するのを待つほか無いのかもしれない。まもなく、だろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月10日 (金)

12月8日

やっと寒くなってきた、この間誘われて五十里湖西の葛老山という山に登ったら低山でももう登山道の所々は雪をかぶっていた。山はそろそろ雪の季節だ、今年は雪が多いような予兆がある、それはそれで楽しみだ。
12月はじめ、12月8日というと太平洋戦争開戦の日かと思う、遠い昔の話かとの気がするが、まだまだ第2次大戦の影はそこここに残っている、最も露骨なのは国連の敵国条Attackonpearlharbo 項だ、これが消されない限り戦後は終わらないのだろう。敵国条項によれば、第2次大戦中に連合国に敵対した(日独等の)国が国連憲章に違反した場合は加盟国は国連決議を経なくとも単独で無条件に軍事制裁を課すことが認められている。極めて弱い立場に日本は依然としてある。第2次大戦は本当はどこに道義があるか定かではない帝国主義同士のぶつかり合いであったにせよ、戦争を始めて敗れるということはこんなことだと思う、尖閣にしろクナシリ・エトロフにしろ、少し風向きが変われば圧迫されるのは避けようが無いように感じる。いつの日かこの条項を根拠に些細なことで仕掛けてくる国が無いとも限らない、国連で敵国条項の廃止に強く反対したアジアの某国もあるようだ。国内で威勢のいいことばかりはいってられないだろう、日本の置かれたほかとは違うシチュエーションがある。
風刺の塊の様なガリバー旅行記には空想上の国々と行き来する現実の国 日本が出てくる、18世紀のイギリスにとって日本は現実の国々のへりに感じられていたのだろう。空飛ぶ島ラピュタからの戻りに日本に立ち寄ったガリバーが長崎で踏み絵を逃れる話が語られる、18世紀当時は欧州では踏み絵は有名だったのだろうが、読むと空想上の国に較べればそれほど奇怪なことに思えてこないし見逃す日本のおおらかさも見えてくる、どこか日本の特異さを面白く受け入れている様にも思える、とはいえ空想と現実の境目にいる18世紀の日本という国の欧州からの異次元のような眺めが感じられてくる 。

日本はこれからも強いられたように特異な国であり続けるのだろうか。寒い12月と暑さの8月になるとこの国の行く末にどうしても思いが及んでしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年12月 5日 (日)

電動歯ブラシ

電動歯ブラシというのを贈り物でもらって使っているが思いのほか便利だ、パナソニックのEW-DS11というのだが、以前からなんで歯ブラシまで電気なんだといぶかっていたものの使っDs11 てみると細かい動きで歯の汚れが旨く落ちるように思える、大きさも普通の歯ブラシより軸がやや太い程度で違和感も無い、大分進歩している。替えブラシというのが2本で450円くらいで売っていて普通の歯ブラシくらいの費用で後は使い続けられる仕掛けになっている。最近の4枚刃髭剃りのように替刃を少し高めに売って替刃で稼ぐタイプのビジネスモデルでもないらしい。素直なビジネスだ。しかしヨドバシの売り場に行くとやたらと替えブラシがぶら下げてあってどれが適合するのか探すに一苦労する、新製品が出るたびに種類が増え続けているようだ、こんな形がいつまでも続くとは思えない。交換品がなくなるのがユーザーとしては一番気になるところだがこんな情景を見るとどこかで終りが来そうだ、もっとも、便利なものだからシンプルな形に収束して生きながらえるという気もする。
昔、練り歯磨きというのは美容の意味合いが強くて歯の健康には特に必要でないという話とデータをどこかで読んだことが頭にあり、電動歯ブラシにしてから、よく磨けることもあって練り歯磨きをつけないで磨いている、勿論何の不都合も起こっていない、慣れてみるとこの方が健康的のように思えてくる。
古代エジプトから歯磨きと練り歯磨きはセットになっていたといわれパピルス文書に練り歯磨きの調合法まで残っているらしい、相当な歴史だ、少しずつ形を変えて、この先も人類が滅ぶまで恐らく続くのだろうと思ってしまう、練り歯磨きも電動歯ブラシくらいで彫らんでしまうこともあるまい。歯磨きごとき、と思っているが身近なものに恐ろしく長い時の流れが染み込んでいて、そんなものに囲まれて生きていることを今更のように面白く感じてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2010年11月 | トップページ | 2011年1月 »