琉球の歴史と宗教が解らなくて
沖縄の旅から帰ってまだ沖縄が抜けきれない。斎場御嶽(せいふぁーうたき)、座喜味城、中城城などの写真を整理しているが沖縄の歴史や宗教の知識が余りにもないことが気になってきてネットや図書館で少し調べている、だんだん解ってきた。縄文や弥生の土器は 宮古島、先島諸島には及ばなかったがそれより北の琉球には伝わっていて、なにかにつけて本土の文化が北から伝わっているようだ。琉球の宗教も基本的に神道で日本本土の神道の古い形が保たれているということらしい、琉球で神社の役割を担う御嶽には社殿も鳥居もないがそれが本土の原初の神道の形でもあったようだ。本土の宇佐神宮や伊勢神宮といった古い神宮では巫女が重要視されていたが琉球の神事では女性のみがその核心を担う。琉球での天孫降臨の地、久高島では最近まで島の女性が神女となるイザイホーの儀式が行われていたという。比嘉康雄の撮ったイザイホーの写真を見ると何か別の世界の広がりを感じるがそれが日本の古い時代の雰囲気だったのだろう。言葉も明らかに日本語と琉球語は同一の語族をなし、琉球語とアイヌ語のつながりはみられない。日本列島は先住民たる縄文人に弥生人が朝鮮半島から侵入し縄文人を北と南に押しやったと思っていたが南では本土と同じように文化の融合がなされ弥生を受け入れたような感じがする。古い日本が南の風土の中で緩やかに形を変えながら生き残っているというのが沖縄の文化のベースのように思える。日本の文化そのものが南方由来のものと北方由来のものが渾然一体となっているところがある以上琉球の文化が日本の文化を支えてきたと理解するのが正しいのかもしれない。沖縄に惹かれるところを感じるのはそういうこともあるのだろう。
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