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2011年1月28日 (金)

流氷が気になる

もう随分前のことになる、夏の北海道をレンタカーで回った時オホーツク沿岸の小さな飛行場を覗いていたら飛行場の職員と思われる人が手招きしている、行ってみるとどうやらRyuuhyou5 暇で話し相手がほしかったようだ、お茶を入れてくれる、定期便もない空港だから殆どやることがない風だった。話していると一枚の写真をくれた、流氷の写真だった、一面の流氷になる有様を淡々と語っていた。それ以来手元に残った写真を見るたび北海道の流氷が気になっていた、極寒のオホーツクのイメージが気になっていた、とても行けないと感じつつもいつかは、と思っていた。
Ryuuhyou1 今年になってそろそろ望みを果たす限界の年になってきたと思い始めている、年を重ねるごとに何かと億劫になり寒さの極まる北の地には来年では最早たどり着けないような気がしている。調べると流氷のピークは2月20日すぎだ、どうせなら釧路湿原の冬のタンチョウも見てみたい、そのあたりを目指してネットで探していると丁度はまる短いツアーを見つけた、価格も手頃でこれは良さそうだ、冬の地吹雪となるかもしれない中をレンタカーで走り回るのは少しばかり腰が引ける、ここはツアーに乗ろう。天気がどうなるかの不安も強い、流氷もタンチョウも全くの空振りに終わるかもしれない、しかし吹雪の極寒の北海道もそれはそれで魅力的な気がしている、空振りでも感じることが多いだろう、行くことに決めた。

海を埋める流氷に思いをはせて写真集を眺めている、ニュースで流氷が紹介されるたびに見入ったりもする、旅の準備がやはり楽しい。

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2011年1月24日 (月)

なんということもなく時が流れていく

せっかく日光の近くに住んでいるからと始めてみた日光彫も やっと1作目が出来上がっNkkbr3 た。すかし彫りによるお盆だ。図案は練習用のものから選んだものだし塗りは依頼したものだから彫っただけといえばそれまでだが、出来上がったのを見ると自分で彫ったとは思えないくらいだ、よく彫れている。
花はラッパズイセンのようだがあまり見かけない形をしている、彫りあがった後でそもそもこれは一体何の花だろうといぶかるのもおかしいが、まあ練習だからこんなものだろう。
日光は近くといっても40分くらいかかる、でかけるのが億劫になる、が、これはもう少し続きそうだ。

渡良瀬遊水地の土手にコミミズクが毎日出て飛び回っているとの話が有名になって先週には下野新聞の1面に写真がでるまでになった、ちょっと遠いが今日は温かくて風も弱くてそれにそろそろ騒ぎも下火になってきたかもしれないと出かけてみた。湿地資料館で情報を仕入れて1時半頃にくだんの土手に様子を見に行ってみると既に沢山の人が待ち構えている、しかし何回か来ている人が多いのかのんびりしていて必死さがないのがいい。ともかくまだ出てくる時間でもないので鷹見台に行ったり葦原を歩いてチュウヒの飛んでいるのを眺めたKomm15りして3時半頃に土手に戻る、今度は見物人が大分増えて、もう満喫した風さえある、見ると土手の下のくいにコミミズクがとまってキョロキョロしている。カメラを構えようとするとやにわに飛び始めた、一斉にシャッター音がして、一つ右のくいまで飛んでまたキョロキョロしている、見物人を眺めながら面白がっているようにさえ見える、毎日こんな調子なのだろう、なかなかの余裕だ。
鷹見台で時間をつぶしている時 前橋から来たという人が話しかけてきて、宇都宮、それは近いですね、とくる、かなり頻繁に来ているらしくコミミズクはもう3回目だという、1時間半くらいの遊水地が遠く感じるようでは、少々年をとったかと思ってしまう。
なんということもなく時が流れていく、いつまでこんな調子で流されていくのだろうか、時々そう思う

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2011年1月19日 (水)

殲20

なんとなく中国の動きがきになるようになってきたところへステルス戦闘機の初飛行だ。殲20と称されている、このまま英語に置き換えればF-20なのだがなぜかJ-20と欧米のJ20 報道では表記されている。写真から推定した三面図を見ると 大きなカナードがついて全浮動型のかなりカントした双垂直尾翼と相俟っていわゆるスリーサーフェスの形態といってもいいだろう。多分大迎角ではデファレンシャルカナードでヨーコントロールすると思われる。ステルスには少々不向きの形で全体に1980年代終りのころのレイアウトの雰囲気がある。ダイバータなしのインテークや前部胴体の形状はステルスを考えているようだが果たしてどの程度のステルス性となっているのだろうか。ともかくF35より大きく、デモンストレータというよりプロトタイプという位置づけのように見える、このまま改良して実戦配備へ向かうのではないだろうか。胴体が太めなのは兵器内装と燃料搭載スペース確保のためだろう、大きなカナードの配置は超音速クルーズを意識しているようにも思える。F-22のようなスラストベクタリングは エンジン技術がまだ十分でなく付けられなかったのでスリーサーフェス機能で運動性を稼ごうという考えかもしれない。ステルス性能は結局コーティングに大きく頼っているように思えるがコーティング技術はどのくらいのものなのだろうか。一方で陸上から空母を攻撃できる長射程の地対艦ミサイルDF-21D(東風21)の実戦配備が間もなくはじまるとの米軍司令官の発言もあり極東のミリタリバランスは米軍を加えても拮抗に近づいている雰囲気が出てきた。
事実上の一党独裁とねじれ議会に悩む政治基盤の弱い国とでは こんな経済が崩れている時代には政治意志遂行能力に優劣が際立ってくるのだろう。大恐慌時代にナチズムが伸びてきた構図とどこか似ている。また歴史は繰り返されるのだろうか。中国が一党独裁を止めてより民主的になるかあるいは内部崩壊が起こるかしない限り近未来にはあまりよい世界が描けないような気がしてくる 一方では少しは人類の知恵が増えているほうにも期待したくなる うまくソフトランディングできるだろうか。

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2011年1月18日 (火)

JR日光線

久し振りに平地でも雪が降る。湿った低気圧の雪だ。寒さが続くが北極振動の予測ではマイナス側への振れもこの先緩やかに収まってきて年末から続いていた北極からの寒気の噴出しも次第に後退して行くようだ。やっと一息というところか。
日光でちょっとした集まりがあったが雪模様だ、クルマが修理に入っていて代車があるもののノーマルタイヤで雪道には使えない、止む無く電車にした、初めてJR日光線で日光まで出かけたことになる、これがことのほかいい感じだった。少しばかりレトロな雰囲気を出そうとしJrnikkou てか宇都宮の日光線ホームはここだけが茶色で統一されている、そこへ茶色のツートンに色つけられた日光線の電車が入ってくる。乗客は栃木の田舎らしい雰囲気で見栄を張った茶色の電車にはどこかミスマッチだ、そこがリアルな、本当はこうなんだ、と言わしめているようでそれがかえっていい。夕方の宇都宮を走り出す。線路はいつも走っている道を次々に横切っていく、その向こうに広がる豊かな農村風景が新鮮だ、堂々とした大谷石の蔵が視界を時折流れていく、まだまだ残っている平地林も心強い。鹿沼で席を埋めていた生徒たちは大方降りて車内はひっそりしてくる。文挟で団体列車と離合する、落ち着いた大人のツアーJrnikko2 がゆっくりと行き違って行く、旅の雰囲気が漂う。今市まで来ると風花が舞っている、少し暗くなる、もう随分走ったような気分になる。日光につく頃には降りしきる雪があたりをかすませて地面を白く覆っている、予想通りの雪となった。日光の駅は木造駅舎のままでレトロな雰囲気にも無理がない、むしろゆったりとした雰囲気だ。ほんの短い旅だが旅らしい新しい視点がある、日常のほんの少しずれた次元の風が冷たくも心を刺激する、この先ずっと向こうに広がっている単調に見える日々もこういう風にして時を運んでくるのだろうか、それも悪くない。

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2011年1月12日 (水)

イランでまた航空機事故

寒くなってきたところで イランでまた航空機事故だ、前回は2009年7月テヘラン北でツボレフが堕ちて168人が死んでいる、今度はテヘラン北西の街オルミエの空港付近でのイラン航空ボーイング727-200の墜落だ。雪が70cmくらい積もっていたこともありおよそ30名は助かった模様だが77名が命を落とした。それにしても727をまだ使っているのには驚く、それも37年前に中古機として買ったものだという、相当な代物だ。事故がおきたのは1月9日の現地時間午後7時45分頃、GMTでは午後4時15分頃だ、オルミエのMETARで当時の気象を見ると、激しい雪が降り続いており視程が800mとなっている、(オルミエは標高1500m近くある、当時上空の寒気がカスピ海の西に降りてきていた)とても降りられる状態にない。事故機はテヘランからオルミエに向かっていたが降りられないので引き返そうとしてオルミエから5km離れたところで墜落した ということのようだ。イラン当局は早速天候が悪かっJiko1 たための事故とコメントしているが、パイロットからの交信では機器のトラブルを伝えていたというから機体に何か問題が生じていた可能性がある。複合的な事故かもしれない。
イランは国連決議による経済制裁を長く受けており航空機の新規購入や部品の調達が正規にはできない状態が続いている、そのため旅客機の多くがイスラム革命以前の古い機体でこれを闇ルートの部品で整備して飛ばし続けている、事故が多いのは当然だし今回の事故も整備が行き届かない結果である疑いもかなりあるように思える。制裁を国民の命で購う形となっていて、何とかならないものかと思うが、このところのイランの核開発の勢いは収まらずすぐには解消されそうにない。
こんなことが続けば民意は離れていく、イラン政府も新しいエアバスやボーイングの旅客機をサードパーティー経由で調達しようとしていたところでもある。
イランの国民は普通の人が殆どで制裁の被害を直接受けるのは痛々しい。国境を越え宗教を超えて人間としての価値観を共有しそれを共同で護る時代になんとかしていかねばと思う、携帯を利用するとか些細な共通する経験を少しづつでも積み重ねることで前に進んでいくことはできるだろう、そしていつかはたどり着けるのではなかろうか。
寒さはまだ続きそうだ、しかし寒さには終りがある。

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2011年1月 9日 (日)

関東は日本の特異点

この年末年始は関東を離れ四国経由九州で過ごしたが、晴れた日は殆どなく、雪や雨や強風に見舞われていた。樺太の北のオホーツク海上空に暖かい高気圧が入り込んで停滞しこれが寒気を押し下げた形が固着してしまったのが原因といえばそうだが、ともかく不順だ。
Tenkzz2 それにしても福岡からみる関東の天気はまぶしい。このとき関東以外の日本中が大雪や不順な天気に悩まされているのだが関東からのニュースはどうしようもない晴天だ。異様な感じがしてくる、関東は日本の特異点だ。テレビを見ていてもそんなことに気遣いのない喋りがキー局から流れてくると、なにか虚しい思いがしてくる。総人口の3割以上がこの特異点に集中しているこの形が認識のずれを色んなところに引き起こしているような気がしている。
コンクリートから人へのスローガンは一見妥当そうに見えるが四国や九州を走ると道路整備の必要性はまだまだ高い、高速道が延びれば利便性は一変する、わけのわからないところに予算を使われるくらいなら道路に使ったほうがよほどましに思えてくる、しかし関東にいてはこれは直感できない、マスコミが関東で街の声を聞いてもこの雰囲気は勿論返ってこない、関東の中に浸っていては見えてこないものが余りに多い。この国の都は明治維新でも遷都はされず東京奠都の状態のままでいまだに本来の都は京都にあるのだが、もしかしたらもう一度首都機能も京都か奈良に移したほうがまともな国になるのではないか、そんなことさえ本気に思えて来る。
この先まだまだ1000年はこの国は続いていくのだろう、こんな不安に満ちた時代だからこそ様々なことを落ち着いて考えるべきなのかもしれない。

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2011年1月 1日 (土)

雪見障子

雪見障子というのが福岡の家にあって、こんなものもあるか、と思っていたら本当に雪だ。雪見障子を上げて縁側越しに庭木に積もった雪をただ眺めている、確かに庭の雪を見るのに風情があっていい。雪が降ってくると次第に変わり行く庭の様が気になるしかしYukimi 障子を開けてみると寒い、外が見える障子があればと思いたくなる、雪見障子との名前の由来はわからないが、こんな情景で名付けらけられたのだろうか、いいセンスだ。見るとも無く眺めていると時折灰色の雪雲が伸び上がって来て雪の降り方がきつくなる。故障だらけの家だがのんびりした雰囲気で年の暮れをやり過ごすのに丁度いい、こんな雰囲気はなかなかだ。
今年はどんな年になるのだろうか。

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