シュナイダートロフィー
本当に春めいてきた。たまたま昔の航空雑誌でシュナイダートロフィーの話を調べていたら、面白くてついつい読みふけってしまった。戦前の1930年代初めまで続いた水上機によるスピードレースだ。今のアメリカンズカップに似ているがもっと国威がかかっていた。始まりは第1次大戦前で 一人のシュナイダーというフランス人が水上機をもっとしっかりしたものにしたいと願ってFAI国際航空連盟に水上機のスピードレースを提唱、トロフィーと資金を寄贈したことによる。1913年に第1回のレースがモナコで開かれた、1国1チームとされて参加したのはフランスとアメリカのみだった。コースは計280kmとなる周回コースがとられ、後に350kmとなった、当時としては長丁場だったと思われる。その後仏、米、英、伊の4カ国の間で戦いが行われていき、それぞれの国の大幅なバックアップでレース毎にレースに特化した新しい機体とエンジンを開発、速度は陸上機を上回るレベルに達するようになっていった。1930年初めまでは引き込み脚が実用化されておらず、フロートを付けても長い滑走距離で高翼面荷重の許される水上機のほうが結局はスピード記録を出しやすくレースが白熱化したようでもある。一時は米国にトロフィーが渡り米国のカーチスに乗るドーリットル(後にB17編隊で空母から発進し真珠湾の5ヶ月後に日本初空爆を行って中国に強行着陸し帰還したアメリカの英雄)が優勝、米国が3連勝しそうなところまでいったが(5年以内で3勝するとトロフィーを永久保持できるすなわちレースは終わる)ここでイタリアのムッソリーニが大号令でイタリアチームに発破をかけ、1926年のレースではイタリアにトロフィーを取り戻しており国を挙げての戦いとなっていった。最後の1931年のレースではエンジンも2800hpや2基タンデムで3000hpとなるエンジンまで登場している。エンジンは液冷だが高出力エンジンの冷却が大問題となってラジエターを翼面は勿論フ ロート表面まで配置するなどレースマシーンとして高度化、レース用として製作されたイタリアのマッキMC72は最後のレース後の速度記録挑戦で709.2km/hの速度記録を達成した、これは1939年の陸上機ドイツ・ハインケルHe100V-8機によるまで破られず今尚プロペラ水上機としての最高速度記録となっている。回を重ねて白熱化するレースの有様は読んでいて引き込まれてしまう。
航空機の歴史を進めるものは狂おしいばかりのこんなレースであったり戦争であったり、そして現在のスポーティーゲームと呼ばれる巨額の金が動く国を挙げての旅客機ビジネスであったり、どこか常識では捉えきれないところがある、こんなことでしか技術は進まないのかと少しばかり情けなくなるところもあるがそれが事実だ。考えてみれば過去の文明の隆盛と衰退も 理性から少し外れた駆り立てるようなもの、そんなものが文明を前に進めていてそれが無くなると衰退していったようにみえる、そんな雰囲気を航空機の歴史にも感じて面白さにのめりこむのかもしれない。
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