イザベラバードの日本奥地紀行
湿った雪が降り春の気配がかすかに近づいてきた。
日光彫を学んでいるが何か頼りになる本はないかと探していたら 「日光彫―東照宮花の木彫技法」 という本があることがわかって早速取り寄せた。実際に即してよく書かれてい て星打ちの釘までも写真でわかりやすく示してある、これはいい本だ、と思ってなにげなく参考文献のところを見ていくと、イザベラバードの「日本奥地紀行」 が引かれている。イザベラバードの名前は日光でも聞くし温身平から新潟へ向かう峠でも聞いた、また山形の金山が気に入っていたとも読んだことがある、北関東から東北の文化を語るには避けて通れない人のようだ、ここらであきらめてこの本も読んでみるかとまた発注する、いずれもAmazonの古書で、このほかにも江戸時代の気象の本である「北越雪譜」も取り寄せる、次々と面白そうな本が届く。「北越雪譜」は文体も古くちょっと読みにくいがイザベラバードのほうは翻訳でそんなことはない、すぐに読み始めた、少々分量があるのでまだ読み終えないが 大久保利通暗殺直後にあたる明治11年の関東の街並みが眼前に広がり見慣れた地名を追って奥地へ入り込んでいく感じがいい。しかしよく観察して書きとめているのに感心させられる。今見ても自分には東照宮のことをこんなに的確に描写できないように思う。読んでいくと当時の日本の旅での一番の問題は蚤の大群ということがわかる。これは戦前の世界ではその後も続いたのだろうか、敗戦後進駐軍がDDTの白い粉を片っ端からかけていた写真が思い起こされる。読むにつれ まるで現在の人が明治の初めの汽車もない時代の東北をひたすら旅しているような錯覚に陥る、見るもの全てが珍しく新鮮だ、確かに面白い本だ。
しかし明治初期の日本の生の姿が外国人の目を通してしか伝わってこないのも妙な気がする。この頃の有様を描いた画でも残っている多くはビゴーのような外国人が残したものだ。当たり前のことを当事者が第3者的に書き残すことは実は難しいのだろう。当たり前のことに難しさがひそんでいる。
昨日は日光彫に日光を訪れた、日光は春の雪に覆われていた。女峰山から連なる沢や森を眺めていると100年以上前のイザベラバードが見つめた時代が当たり前のようにそのままそこにあるかのように思えてくる、雪は時をも覆ってくれる。
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