寒さもいよいよ終わりに近づいている
寒さもいよいよ終わりに近づいている。27日から先は日増しにぐんぐん暖かくなる、地震も放射能も春が覆い尽くしてくれるようなイメージが広がる。
自然に圧倒され自然に癒される
とにかく春だ。
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寒さもいよいよ終わりに近づいている。27日から先は日増しにぐんぐん暖かくなる、地震も放射能も春が覆い尽くしてくれるようなイメージが広がる。
自然に圧倒され自然に癒される
とにかく春だ。
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地震の影響からまだまだ逃れられない。
海外の目がリビア危機を押しのけて日本へ向かっている、特に米国のテレビを始めとする報道が空前のものとなっている模様は村上龍のJMMに冷泉彰彦氏が2度にわたって寄稿しているレポートから生々しく伝わってくる、欧州のメディアとは違う皮肉さがないアメリカらしい素朴なメンタリティが日本に向かっている様子がアメリカという国をまた見直す気持ちを与えてくれる。依然として日本という国は最前線に立っているようだ、日本のバブル崩壊の有様を見つめてきたバーナンキがそこで学んだことからFRB議長としてリーマンショック後の回復に立ち向かっているように、この地震・津波・原発という3重の災害と全力で戦っている日本から世界は学ぼうとしているようだ。今回の原発の事故は温暖化問題を原子力である部分解決しようとしていた世界の流れに大きな影響を与えるだろう、或いは電気自動車にも疑問符がつくかもしれない、答えがない問いかけに答えを求め続け
なけねばならない宿命をいつからか日本という国は背負い込む役回りとなったように思える。
今度はどんな偉大な教訓を残せるだろうか、それとも力尽きるだろうか、ともあれ時が結末に導いてくれるだろう、これではまだまだ死ねない。気楽な日々がなつかしくもある。
また余震だ、人は真に地球の一部であることを繰り返し思い知らされているようだ。
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余震も大分収まってきたので、本が崩れて足の踏み場もなくなった部屋の片付けにかか った、本箱の上に載せていた本は皆落ちてきた。この際だからともう見ない本や雑誌や資料は捨てることにして仕分けをしていくが、面白い本に出くわすとつい読んでしまう、そういうのがかえって楽しい。一休みして気分変えにスーパーに買い物に出かけて驚いた、スーパーの隣のガソリンスタンドに本日分は完売しました、との紙が張られていて閉めてある、、向かいのスタンドはまだ開いているが長蛇の列だ、そうか、鉄道も高速も閉まればアブラはこない、こちらのクルマはたまたま満タンだから大事に走ればしばらく持つだろう、慌てることもない、とスーパーに入ると客が多い。こちらはパンと牛乳が全ての種類にわたって売り切れになっている。パンも牛乳も買ったばかりだから当面困らないが、ちょっとしたショックだ、やはりこうなるか。帰ってテレビやラジオをつけっぱなしにしていると原発がまずいことになっている、メルトダウンが起こりつつある。チェルノブイリの再現となればここまで避難範囲が及ぶかもしれない、チェルノブイリは方向によって200km以上まで危険なエリアが広がっていた、ここは100km少しだ。そのうち爆発が起こる、これはほんとにマズい。そういってもどうすることもできない、無力感からひたすら片付けて捨てるべき紙の山を作る。
地震が起こってから何かが違ってきた。社会が少しばかり今までとは違う亜次元空間の世界にいりこんだようだ、今となってはこの現実を楽しむほかあるまい。そう思ってみると気が楽になる。夜には大半を片付け終えた、地震前より大分すっきりした、確かにいいこともある、悲しんでばかりいられない。
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とんでもない地震だった、宇都宮での始まり方は緩やかでも終わりの来ないような揺れ方でこのまま建物が壊れだすまで強まっていくのだろうかと不安がよぎった。北アメリカプレートが太平洋プレートに引きずり込まれるところで起きている、こんな地震が起こると新潟側の北米プレートとユーラシアプレートの境界で起こる地震も気になってくる。そのうち新潟側でもまた起こるのではないだろうか。地震や津波とは喧嘩できない、こんなところが、自然の征服ではなく自然との調和が尊ばれる風土を生んだのだろうか。
まだ、ひっきりなしに細かい余震がくる。地球にとってのささやきは全ての人を脅かせる。もうこれくらいで、と折れる心がこの国で生きていくには肝心なのかもしれない。
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7年間に渡ってもめ続けていた米空軍次期空中給油機の選定はボーイング767と決定した、殆どサプライズだった、寸前までEADS提案のA330ベースの機体が勝利するものとみ
られていた。ボーイング支持のワシントン州議員も敗色濃厚とみて、業選発表後すぐさま おかしいとの声をあげるべくメールも準備して、“決定はおかしい”と題して送る寸前にあった、ところが発表はボーイング勝利となり、慌てて決定を歓迎する内容に本文を書き換えて発信したもののタイトルは直し忘れて“決定はおかしい”とのタイトルのまま流れてしまったとの一幕さえあった。ほとんどの関係者がEADS勝利疑いない、と思っていたようだ。ボーイングがここへきて勝利した理由の大きなものには北アフリカの騒乱による原油価格急騰だったとみられている、小型の767のほうが燃料費のインパクトはややゆるい、選定のための複雑な評価計算で結局原油高騰がボーイングに勝利をもたらしたようだ。
しかし素直に考えると主要な兵器は自国製が望ましいのは当然だ、空中給油機は空の前線を支える要だ、いざ戦いになれば外国製では本当に支えきれるだろうか、と思う。このグローバル化した時代にそんな考えは無理なことがあることはわかっているにせよ、だ。
ともあれ北アフリカで翻った反旗はもう米国と欧州にボディーブローのように効き始めている。世界は瞬時に響きあうようになってしまった、どこまで行ってしまうのだろうか、混乱が結局は形を変えたナチズムの再来までに行ってしまうのだろうか、うねりながらこの後数千年も続くであろう人類の歴史に思いが走ってしまう。
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雪の奥日光を歩いていたらこれがオオカメノキの芽です、と影絵のキツネのような小さな木の芽を指差して教えられた。オオカメノキ、もしやオオカミノキではなかろうか、ふとそう 思った、耳を立てたオオカミにも見える、昔はここらに生息していたに違いないニホンオオカミの姿がその後ろ側に見えるようだ。オオカミノキの呼び方が気に入って私的にはこれからそう呼ぶことにしよう、と思った。帰ってネットで試しに調べてみると、オオカメノキ(大亀の木、または大神の木からの転訛) との説明がある、勝手に名付けてみたオオカミノキの呼び方は昔からあったようだ。Wolfのオオカミは勿論大神からきている、カミと名づけられた自然物の呼称はカミナリ(ナルカミ)とオオカミくらいだからカミを体現したものの数少ないひとつだったのだろう、そこに怖さとともに人間の知恵を超えた力を感じていたに違いない。雪に覆われた山の林は格別の世界だ、オオカミの徘徊していた時代そのものをも保存しているように思えてくる。
今朝はまた寒さが戻ったようだが真冬のキリキリとくる寒さではない、寒さの裏側に春がはっきり感じられる季節となった、山の雪も溶け出し、オオカミの幻想が去りまた日常がそこに戻ってくるような気がする。
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