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2011年4月30日 (土)

臨界点はいつ来るだろうか

米国のニュースで最近おやと思った話に ボーイングが工場の移設を国の機関であるNLRB(全米労働関係委員会)から訴えられた という騒ぎがある。ボーイング社がシアトル工場での長期ストに懲りてストがないことを理由に 新しい787787 の組み立てラインをサウスカロライナ州に持っていったことは 労働法で保証している労働者のスト権を否定している、として 違法との判断のようだ。

こんなことでは企業はたまらない、との声もあるようだ。しかし確かにこのところの新興国の台頭によって国際的な価格競争が激化し労働者の立場が弱められてきていて,結果的に国内消費が弱められている、この世界的な大きな波を何とか押しとどめようとする国の意図があるようにも思える。グローバル化で日本の労働者の雇用条件も中国を始めとする新興国の賃金レベルと競争関係におかれていて、労働コストの安い大量の派遣労働者が産業を支えるしくみに変わってきている。米国でもリーマンショック以来失業率が一気に上がったが景気は回復しつつあるのに失業率は高止まりしている、雇用が米国から逃げ出して、人件費を削減することで企業はもとの繁栄を取り戻しつつあるように見える。歪みはたまる一方だ。インターネットによって価格の比較が容易に行えるようになって価格競争があらゆる分野で激しくなっているのも原因しているようにも思える。過当競争というべきだが安い人件費の国がある限り簡単には納まらない。職業に貴賎なしというが職業による身分社会になりつつある、NHKのニュース報道でも事件の容疑者は会社員といわず派遣社員という、派遣会社の会社員という認識はなく1ランク下だ、と公言しているような言い方だ。どこかで爆発しそうだ。ナイジェリアではないけれど爆発の仕方が解ればすぐに伝染するだろう。

ボーイングをNLRBが訴えたところで何とかなるとはとても思えない、臨界点はいつ来るだろうか、津波があっさりと原発を破壊したように突然世界のどこかに姿を現すのだろうか。ぎすぎす、と社会が地震警報のような音を立てはじめているようだ。

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2011年4月23日 (土)

花開くような未来

庭のヤマブキが咲きはじめた。今年の花はなんだかスピードが速い、見る見るうちに花開いたかと思うと散っていく。気のせいかもしれない、年をとったのかもしれない、あるいはゴSumire ムのように伸び縮みする時空が本当にそこに漂っているのかもしれない。
本当に久し振りに横浜まで出かけた、大学の講義を引き受けてしまったその1回目だ。駅のエスカレータは至るところ節電で停止だし照明も薄暗い、おまけに東京駅のコンコースはなんだか工事している、曇った日の日暮れのようなうす闇の世界があった。横浜駅の西口からバスに乗ってやっと大学に到着するとさすがに若者で溢れている、少し頼もしくなる。昼過ぎから講義を始めると時間と共に机にかぶって寝だす姿が出てくる、聞きたくなければそれでもいいや、聞きたい人だけが聞いてくれればその方がいいとばかりに話し続けるがそのうちこちらも疲れてきて休憩にする、再開すると今度は誰も寝ない、しゃんとして聞いている、気のせいか目が少し輝いている、少しは伝わっているようだ、ともかくこのほうがはなしがいがあるというものだ。
確かに若さには未来がある。
花開くような未来がある、いつしか過ぎ去ってしまう未来がある。

春の雨が時折通り過ぎていき5月がもうそのかどに確かな姿を現わそうとしている。流れていく時にそのままゆだね続ける心地よさを近頃は感じるようになってきた。やるべきことの連なりから開放されて連綿とつながる時の一部になりきる感じがいい、ここが花開くような未来なのだろうか。

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2011年4月16日 (土)

キレイ事の世界とリアルな世界

春たけなわとなっている、なにかとぼんやりするといわれる季節だが 米国では航空管制Kanse 官がつい居眠りをして止む無く旅客機が管制なしでロナルドレーガン空港に着陸したなどという話も伝わってくる。深夜の話だからしょうがないか、という気もするがそれにしても人が無線で航空機に着陸を指示するやりかたにはなかなか終りがこない。アメリカが先頭になって世界中で進行しはじめている次期管制システムへの入れ替えがこの先に見えるが、次期管制システムの中核となるADS-Bは離着陸以外では各機が情報を出し合って飛行でき管制は基本的に監視だけとなるものの 離着陸管制の自動化はまだまだのようだ。
そんなことより国内では 未だに首都圏のすぐ西側は広大な米軍横田管制エリアとなっていて日本の航空法があいまいな いわば治外法権の空域が広がっている、米軍が管制の責任を担っている法的根拠もどこにもない。松山空港に至っては未だに岩国の米軍基地の進入管制で離着陸しているという有様で 独立国とは思えない状態が戦後65年以上たっても続いている、管制の自動化よりも何よりもまずこちらを糾さなければ、との思いに至る。キレイ事でない世界がいたるところで広がっている。

海外の今回の地震に対する反応を見ていると、こちらも考えさせるところがある。私たちはあなたと共にある、というスローガンが世界のいたる所で発せられる。そのくせ、放射能に対する警戒から日本に寄港しない船がいくつも出てくる、特に欧州からの船は信頼ならない、日本から外国人は先を争うように逃げ出し、観光は激減した。結局は放射能を含めた震災被害者と共にあることを極端に拒否している。ことばの上滑り、エエカッコシばかりが世界から届く。日本公演を中止する催しが続出する一方でプラシドドミンゴがあえて公演を行う、こんな時にこそ、という気持ちが伝わるがこんな例は少ない。

キレイ事の世界とリアルな世界、本当に感じるようになってきた、事実を見つめよ、これも震災を介して地球が発するメッセージの一つのようだ、しっかり受け止めねば。

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2011年4月 7日 (木)

目が覚めるとウグイス

目が覚めるとウグイスの声がする。まだあまり上手ではない、ガラス戸を開けるとさえずりをやめてジッジッと地鳴きに変える、さえずりなれていない感じが面白い。今年は4月7日がここでの初鳴きとなるが、去年は4月8日、そのまえは3月15日、更にその前は3月20日、で去年今年と相当に遅れている。桜の花が遅れているのにあっているようだが、気象庁の調査では桜の開花の早まりとともに初鳴きの遅れが起こっているそうだ、特に都市部ではヒートアイランドによる温暖化が初鳴きを遅くしているらしい、なんだか逆のようだが事実はそのように進行しているという、これはこの夏の猛暑を予見しているのだろうか、ともかく何か理由が潜んでいそうだ。こんなペースが続くと梅に鶯とはいかなくなってしまうのだろう。

暖かくなった、これで少しは世の雰囲気も明るくなるといいが。

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2011年4月 5日 (火)

問題は今年の夏の暑さ

やっと暖かくなって宇都宮の桜も開花した。予想の2日遅れだ。開花日付近で朝が冷え込むとどうしても開花は遅れる。
桜の後で気になるのは夏の暑さだ、勿論電力だ。クーラなしでどこまで頑張れるか試される夏となりそうだ。あまり当てになるまいとは思いつつも夏の予測を色々調べてみる。エルニーニョ・ラニーニャが今年はどうなるかが一つのポイントとなるだろう。去年のようにはっきりしたラニーニャでは夏は猛暑で冬寒い、エルニーニョなら冷夏と暖冬ということにな2011summer る。米国NOAAの計算や気象庁の予測では去年からのラニーニャは収束しかけているがこのあと一気にエルニーニョまでいかずにどちらでもない平年並みの状態、という答えになる、欧州の予測はラニーニャが終わりきれずまだペルー沖の海水表面温度は低いままと予想している。これは微妙だ、昨年ほどの猛暑はなさそうだがふだんの年よりやや暑い夏というあたりが最もありそうな今年の夏ということのようだ。11summ
さてどうなるか。時がたてば必ずはっきり答えが出るところが気象の面白さでもあるしどこか薄っぺらさが漂うところでもある。

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2011年4月 1日 (金)

もう4月になった

もう4月になった。随分といろいろなことが3月には起こった。庭の梅が今年は切り込みすUme11 ぎて花つきが悪い,しかし寒さのためかまだ咲いている,梅を見るのも暫く忘れていたような気がする。

大学で航空機の設計について講義することになり錆びかかっていた昔の記憶を必死によみがえらせて資料をこしらえている、流れていった時が次第に光を戻してくる感じが面白い。何が伝えられるだろうか、多分教えることには不向きなところがあるとも感じている。解るという感覚は自分で何かしなければ得られないと思っている、教室で話を聞いてわかることができるのだろうかとも。

通っていた日光彫Nikkbrも地震以来おしまいになっていて、ガソリンが入ったこともあり、地震前に塗りに出していた作品を日光まで取りに行った。なかなか立派に仕上がっている、塗りが肝心という気もしてくる、塗りもどこかで教わったほうが良さそうだ。せっかく学び始めた日光彫だが秋まで講習はないので暫くは自分で適当に彫ってみるほかない。今は庭のしゃくなげを彫りかけているが全て自分でやってみようとするとまだうまくいかない、何でうまくいかないのか解らない、繰り返して試行錯誤するしかないのだろう、そもそも学び取るという行程が未だに解っていない気もする。

久し振りに日光まで来たので地震の後で気になっていた日光の社寺をぶらぶらとみる、拝観料を払わずに見れる範囲だけとして五重の塔や石燈籠の並びをみながら二荒山神社、大猷院と歩く、地震の影響は景観には感じられないが、とにかく人が少ない、最も影響されているのは人の心のようだ。大猷院横の道を少し上がってみるとミソサザイが少し甘ったるくないている、今年の春にまだ鳴き始めたばかりなのだろうか、地震も放射能もどこ吹く風と鳴いているのがいい。こんなことは恐竜の時代から生き抜いている鳥たちには、それでどうした、というくらいなのだろう。連綿とつないでいる鳥の命の全体が一つの生命体のように思えてくる。人も多分そうかもしれない。教えることおそわることは大きな生命体を維持し続ける一つの機能でもあるのだろう。大きな生命体から見れば結局は地震も放射能も、それでどうした、ということにもなるのだろう。

春は何か新しいものが始まる。今年の春は格別なようだ。

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