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2011年4月 1日 (金)

もう4月になった

もう4月になった。随分といろいろなことが3月には起こった。庭の梅が今年は切り込みすUme11 ぎて花つきが悪い,しかし寒さのためかまだ咲いている,梅を見るのも暫く忘れていたような気がする。

大学で航空機の設計について講義することになり錆びかかっていた昔の記憶を必死によみがえらせて資料をこしらえている、流れていった時が次第に光を戻してくる感じが面白い。何が伝えられるだろうか、多分教えることには不向きなところがあるとも感じている。解るという感覚は自分で何かしなければ得られないと思っている、教室で話を聞いてわかることができるのだろうかとも。

通っていた日光彫Nikkbrも地震以来おしまいになっていて、ガソリンが入ったこともあり、地震前に塗りに出していた作品を日光まで取りに行った。なかなか立派に仕上がっている、塗りが肝心という気もしてくる、塗りもどこかで教わったほうが良さそうだ。せっかく学び始めた日光彫だが秋まで講習はないので暫くは自分で適当に彫ってみるほかない。今は庭のしゃくなげを彫りかけているが全て自分でやってみようとするとまだうまくいかない、何でうまくいかないのか解らない、繰り返して試行錯誤するしかないのだろう、そもそも学び取るという行程が未だに解っていない気もする。

久し振りに日光まで来たので地震の後で気になっていた日光の社寺をぶらぶらとみる、拝観料を払わずに見れる範囲だけとして五重の塔や石燈籠の並びをみながら二荒山神社、大猷院と歩く、地震の影響は景観には感じられないが、とにかく人が少ない、最も影響されているのは人の心のようだ。大猷院横の道を少し上がってみるとミソサザイが少し甘ったるくないている、今年の春にまだ鳴き始めたばかりなのだろうか、地震も放射能もどこ吹く風と鳴いているのがいい。こんなことは恐竜の時代から生き抜いている鳥たちには、それでどうした、というくらいなのだろう。連綿とつないでいる鳥の命の全体が一つの生命体のように思えてくる。人も多分そうかもしれない。教えることおそわることは大きな生命体を維持し続ける一つの機能でもあるのだろう。大きな生命体から見れば結局は地震も放射能も、それでどうした、ということにもなるのだろう。

春は何か新しいものが始まる。今年の春は格別なようだ。

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