« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »

2011年5月31日 (火)

一般開放された那須御用邸の森へいってみた

那須の御用邸エリアの一部解放がやっと始まった。那須平成の森というようだ。今回整備解放された部分は 北側のふれあいの森と南の学びの森に分かれている、ふれあいの森は無料で出入り自由だが学びの森のほうはガイド付きツアーのみで入れて3000円かかる。少々高いがここは奮発して学びの森ガイド付きツアーを申し込んでおいた、ともかくどんなところか気になっていた。当日は台風の影響で一面の雲から弱い雨が落ちてくる、雨の森もまたいいだろうと出かける。集合場所のフィールドセンタに着いて受付する、施設は立派なものが出来ている、ガイManabi0 ド2人に参加者15名で雨具をまとって出発するが参加者は予想通りほとんどが高に近い中高年だ。ふれあいの森から鍵をあけて学びの森に入る、トウゴクミツバツツジが所々に咲いてシロヤシオも開きつつある、若葉の季節の森はいい、普通の栃木の森だがどこか奥床しい感じだ。キビタキの声があちこちから聞こえ続けツツドリの響きにサンショウクイ、カラ類のさざめきが入り混じる、団体で結構速いペースで下っていくManabi1 のもある、鳥の姿は青葉にかくれて殆ど見つけられない。普通の山歩きのペースに時々説明が入るくらいだ、こちらは遅れては急いで追いつくの繰り返しだ、なかなかペースが合わない。森はミズナラの多い自然の森だが動物の痕跡が少ない、守られた森なのだろう、大きな自然の庭なのだろう。所々にブナもある 森を余笹川に沿って3km近く歩き(図のFC3からFC2)、途中天皇も愛用したあずまや(清森亭:FC4)で休憩したりしながら下りきったところで戻りのクルマを待つ、来たのはタクシー4台だ、これでは確かに費用がかかる。いい森だけにただで解放すれば人で溢れるだろう、この雰囲気は壊れるだろう、沖縄のヤンバルの森Manabiが守られたのは米軍演習地だったこともあったと思い出される、難しいところだ、鉄線で厳重に囲われた森に沿ってタクシーで戻りながら少しばかり複雑な思いにかられていた。いつもより早い梅雨の小雨がかえってみずみずしい木々の印象を残している、もう6月だ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月29日 (日)

T-tailのDeep-Stall

教えなければいけないということになって、このところ航空機の気になる話を見直している。そうだったんだ、ということを今更のように見つけて感心している。
T-tailのDeep-Stallという話題がある、話題というほど気安いものではない、事故で命がBac111 失われている。有名なものは1963年のBAC111のテスト飛行中の墜落事故だ。操縦不能のDeep-Stallに入って脱出できず墜落した。失速後 主翼及びリアマウントのエンジンナセルの剥離ウエークが水平尾翼を覆い 尾翼の効きを著しく奪ってパイロットによる回復操縦を困難にしたものだ。対策が施されて最近はもうこんな事故は無いと思っていたら、2005年にDC-9が明らかにDeepStallから脱出できずに墜落した話がウエブに出ている、この場合は積極的な頭下げの操舵をしなかったことが悲劇の原因でもあるようで操縦ミスらしいが、727も1度試験で(意図的に)Deep-Stallに入って操縦困難に陥っている。この時はロール舵を使ったら頭下げとなり脱出できたということのようだ。それで思い出されるのは全日空機の羽田沖墜落事件だ。結局事故報告書では原因不明とされたが、経緯がDC9の場合と似ているところがある。深い降下角から引き起こそうとしたら(バックサイドで)失速に入り更に操作を誤って引き起こし舵を緩めなかったためにDeepStallに入り脱出不能となり海面に激突したというシナリオだ。飛散状況からはそれなりの前進速度があったようだから完全なDeepではないにしてもStallだったことは十分想像される。この時期パイロット同士がスピードを競っており 着陸降下開始をギリギリまで延ばした結果もたらされた深い降下角による無理な着陸降下だったとの見方が当時あったように記憶している。
それにしても現代のビジネスジェットはリアマウントエンジンT-tailと揃っている、DeepStallの事故をきかないのは失速防止のスティックプッシャーが強力に働いているからだろう、失速警報センサーに連動して失速しそうになると強制的に操縦桿を押し舵にする装置だ。BAC-111もこの対策でその後DeepStallの事故は起こっていない。
最近では小型の機体でもT-tailで安全に飛べるようになっているようだ、迎角センサーと飛行速度から適切な作動開始タイミングを比較的簡単にマイクロプロセッサーで処理して スティックプッシャーのアクチュエータに信号を送ることが出来るようになったためだろう。すこしずつ前進している。これも調べ直してそうなんだと気がついたことだ。
教えることは学ぶことでもある。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月25日 (水)

庭のシャクナゲが

Syakung 庭のシャクナゲがもう満開になって、移ろい行く季節の早さに遅れてしまいそうに覚える、
原発は未だに熱い力を鎮めていない。緊張感が底に漂っている。
梅雨に入りそうだ、この週末から来週の初めには台風の影響も出てきそうだ。梅雨は長く続くのだろう。
時がするすると流れ続けていく。

すべてのことは受けTenki110528入れて生きて行きたい、咲き誇るシャクナゲをただただ眺めるように、そのままで生きて行きたい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月23日 (月)

真田の里にて

連休に軽井沢に行ったがまだ桜がどこかにあるはずと上田周辺を調べていたら、上田の北の長谷寺(ちょうこくじ)の樹齢150年のシダレザクラが満開とでていた、真田幸村の祖父真田幸隆が開いた寺らしい、ネットの満開情報は大体ちょっと遅いかと思いつつも足を延ばして真田の村を巡ってみた。長谷寺のシダレザクラは確かにもう大分散っていたがそばのソメイヨシノは満Cyokokuji開だ。信州はこの時期花がいい。寺は何度も焼失して現在の建物は30年前くらいに建てられたものの様だが入り口の石のアーチが目を引く、これは創建当時 のものらしい、六文銭が刻まれていて呪術的なものを感じてしまう。戦国の世のことだ、これはと思うものは焼け落ちることの無い石でつくっておいたのだろう。本当に残したいものは大抵の災害にも負けず残るものでなければならない。

寺から少し南に真田本城跡などというのもある、丘の上の土手のような形で残っており本城跡にしては少々小さい。真田なのだからなんでもありかと上がってみる、確かに真田の村やあたり一帯を広く見回すにはかなりいい場所だ、自然が守るにいい形を与えてくれているのがわかる。見下ろすと斜面に鯉のぼりが延びている、今となってはのどかなものだ。
更に少し南に下ると真田歴史館と真田氏館跡がある。歴史館では入り口で真田幸村を大河ドラマにという署名を集めている、そうだろうなと思いつつ、白石の話をしてみるが、奥州白石に落ち延びた真田幸村の子女の話は知らないようだ、少々奇異な印象を受ける。やはり奥州の真田は密かに伝えられたことなのだろうか、信州の真田氏が本家という地元の誇りがあるのだろうか、歴史から遊離した何か勝手な雰囲気を感じる。伝えうるものは石のアーチの様に壊れずに生き残れるモノだけなのかもしれない。

真田の里を動いていくと尾根の入り組んだ信州の里は小さい手勢で戦うには都合のいい地形のように思えてくる、自然が人に歴史を促しているようだ、自然から受け取りながら命をつないでいく、それが普通の生きるということなのだろう。

今は何を促されているのだろうか、旨く受け止めているのだろうか。考えてしまう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月18日 (水)

ツボレフが

ツボレフが離陸直後大きくダッチロール状に乱れている動画がYoutubeに出ているというので探してみたら見つかった。探してみるものだ。Tupolev

http://www.youtube.com/watch?v=1-Z2dO14ApE&feature=player_embeddedだった
これは危ない。10年間使用していなかったTu154を試験的に飛ばしてみたらこんなになったということらしい。空気密度の高い低高度ではいくらなんでもダッチロールモード不安定ということはなかろうと思える、ヨーダンパーが逆効きにでもなっていたのだろうか。
飛行機事故といえば2年前ブラジル沖で墜落したエアフランスのエアバスA330のフライトレコーダが遂に回収されデータが無事に読み出されたという話がある。勿論位置を知らせる電波発信はとうに終了していた。3000m以上の深海底の捜索だから2年かかったのは不思議ではないが良く見つかったと思う、驚くばかりだ。ニュースでは今回は最後の発信地点を正確に割り出しそこから細かいピッチで捜索していったことが発見につながったらしい、かなりの執念だ。200人以上の死者が出たフライバイワイヤ機の操縦不能での墜落だけに真の原因の解明が期待される、これまではピトー系統の不具合が疑われているが単一の故障だけではあるまい、幾つかのトラブルが重なっていたに違いない。本当の姿が明らかにされること、これが肝心だ。
福島の原発事故は、これほどの死者はまだでていないものの遥かに大きな不安をもたらしている、恐らくどうなるか解らない得体の知れないところが不安を拡大しているのだろう、本当のことを知らねばならない、本当は再臨界に近づいているのだろうか。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月10日 (火)

コルリに出会った

コルリは声はともかくめったに姿は見られないと聞かされてきた、連休に軽井沢野鳥の森Koruri2 を歩いていてそのコルリに出会った。枯葉の斜面に青い小鳥がよたよた歩いていてなんだろうもしやコルリではと思ったが今ひとつ自信が無い、写真にとって後で調べると間違いなくコルリだった。姿を消した後ややあって鳴き声がする、渡ってきて間もないのかあまり旨くない。コルリのメスと思われる姿もみられた、こちらは茶色の小鳥でこれこそなんだろうという風情だが写真で調べるとコルリのメスだ。これは解らない。初めてみる姿はやはり写真にとって図鑑と照合しないと難しい。コルリは以前1度だけ桧枝岐の先で鳴いている姿を遠めに見ているが逆光でシルエットの印象だけだった。
写真に撮れなかった解らない鳥は本当に謎となる。しかし解らないところが鳥見の面白さの一つのようにこの頃は思えている、なんでもすらすら全て解れば面白くも無いのではないか、あれ?、とか エッ?とか思う不安定な気持ちが何かを刺激しているように思う。
とにかくいい季節になった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年5月 5日 (木)

大地が動いている

5月の空は黄砂のかすみで始まった。連休だが遠出できない事情が出てきて近いところばかりをめぐることになっている、休みも始まってややたったところで大分持ち直したと知らせが入るがともかく今年は近場で、とごろごろ過ごす。のんびりだがそれなりにやることがある、そんなものだ。井頭公園に震災後初めてでかけてみる、鬼怒川より東側は結構被害が出ていると聞いていたが Igasir 行ってみると原種のボタンが赤く見事に咲いていたりして気がつくような壊れたところは無い、ただボート池の水位が随分低い。後で奥日光を回ってみると井頭公園のボート池ばかりでなく、中禅寺湖も丸沼も随分水位が下がっている。もしかしたら地震の影響ではないかと思ってしまうが、丸沼ダムは洪水調節用の放水機構が無く増水期に備えて水位を落としているらしいし、中禅寺湖もやはり調整の能力が低く増水期を控えての低水位のようだ、しかし井頭公園はなんなのだろう、やはり雨季を控えての低水位なのだろうか、解らない、こちらは地震の影響かもしれない。
余震がまだまだ続いていて震源が心なしか内陸部に入ってくる、大地がふにゃふにゃしているように感じている、地下の水脈も変わってしまうのだろう。
3ヶ月前の霧島・新燃岳の噴火が何かの先駆けだったのか、大地が動いている、今度はカムチャッカ半島キズィメン火山の活動が活発化して航空路が影響を受けそうだという。
そこはかとない不安が連鎖していく、生きている地球の上でくらしている日常はこうなのが実は普通なのだろうか、今までが異常に静かだったのだろか。

2日ほどで黄砂も消えて五月の空は何事もなかったように明るく広がっている。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2011年4月 | トップページ | 2011年6月 »