« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月28日 (火)

渦潮のような東京

根津で同窓会を5年ぶりにやると言うので出かけてみた。根津だから千代田線だ、行き方を調べていると、栗橋で湘南ライナーから東武に乗り換えていくのがよさそうだ、宇都宮駅からでは新幹線と較べても30分位の差だ、自宅近くのバス停からのバスとも良く接合して、バスで行く限り時間は変わらない。ともかく随分安い。これにしようと決めて栗橋から久し振りに東武に乗ってみると冷房の風がきつい、節電で冷房は控えめのはずだったのに、赤子を連れた家族連れは困ってさえいる。JRは控え目がきっちり浸透していたが、私鉄はまだゆるいようだ、これでは15%節電も余裕でできそうな気がしてくる。東武動物公園あたりからはなんとなく東京に入った気がしてきてJRの重々しさがない、暗さがない、そのまま地下鉄に入っていくイメージがもうおよそ東京に着いたと思わせる。静かな津波のように東京の広がりが伝わってくる。北千住で千代田線に乗り換えると程なく根津だ。
昔に戻った時間が流れていく、それぞれにそれぞれの時間が流れている、そして結局はばらばらになっていく、吸い込まれていく。渦潮のように引き込んでちぎれ飛ばしていく東京らしい時空を感じてしまう。
そろそろ関東は終わりにしたほうがいいかもしれない、ふとそう思った。降りかかっていた雨はもうあがり、梅雨らしい暗闇を抱えた夜が広がっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月25日 (土)

慌しく旅の準備を始める

慌しく旅の準備を始める。貯めたマイルが1万マイルほど7月末で消えるのに気付き、急いで立てた計画が道北礼文利尻の旅だ、一度は行っておきたいところを順につぶしているだけかもしれない、しかしこんな機会でもないとなかなか行けない。礼文と言えば花だし、花なら6月中がいいとばかり、せっかく電力対策で木金休みになったこともあり2日つなげて6月末から7月初めの3泊4日と計画する。まず問題は「いっしょでマイル」で羽田―稚内が簡単に取れるか、だ。Webで見ると行きには空きが出ているが帰りが全く空きがない。便そのものの空席はたっぷりあるようで要するに安い切符に割り当てている席が一杯のようだ。あれこれ調べると 10日前になると各旅行社はそれまで抱えていた安い切符の残りをリリースするためこれが回ってきて突然空きが出るらしいことがわかる、落ち着いて考えれば当然のことだ。行きは10日前を少し食い込んでいるが帰りはまだ10日以上前だ、これは待つしかない、2日ほど待ってみると予想した通り帰りの便の「いっしょでマイル」に空席がたくさん現れる、行きの便の空席もまだ何とか残っている、成立だ。後は宿とレンタカーを押さえる、この時期の礼文はかなり混んでいる、利尻にも少しだけ寄ってみることにしてTenki0629 宿を取る、頂上はとても無理でも中腹位まで登って見るのも一興だ。稚内の空き時間でサロベツも少しだけでも寄ってみたい、色々詰め込んで怪しげだったプランが固まっていく、こんなことで時間が費やされていくのが旅の面白さでもある。レブンアツモリソウは少し位残っているだろうか、レブンウスユキソウはこの時期がピークのはずだ、色々思い巡らすが、天気が今ひとつだ。台風崩れの温かい空気の塊が拡散して雨交じりの天気が続く見通しで もしかしたら行きのフェリーの欠航も無いわけでは無さそうだ、まだまだ行く前にはらはら楽しめる、これだから旅は止められない。

外は雨だ、梅雨の時期らしい空の動きが却ってなんともなく安心の気持ちを与えてくれる。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月17日 (金)

雨がいい

庭のガクアジサイが梅雨らしく開いている。
この間健康の森を散歩していたら地面をとぼとぼ歩くカラスが目に付いた、どうやら幼鳥らしい、少しはなれたところに親ガラスと思しきカラスが待っている、巣立ってもカラスは暫くは親子で動くのだろう。会社を昼休み散歩していてもやはり余り飛ばない(飛べない?)カラスに出くわす。これも幼鳥のようでやはり親ガラスのようなカラスが近くに見える。なんだか一斉にカラスが巣立っているようだ、カラスなら留鳥だしそんなに子育ての時期は揃っていないだろうとなんとなく思っていたが、そうでもない。
今年の梅雨は梅雨らしい風景が続く。ペルー沖の海水温度は着実にあがってきていてラニーニャは脱したがまだエルニーニョと言うほどではない、ノーマルな気象になっているのだろう。
雨がいい。Gakuajsi

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年6月12日 (日)

この大震災の意味は

テレビでは、3ヶ月目の震災をあれやこれやと伝えている。政治家は、とりわけ自民党は、震災を政局に利用するのが使命のように立ち振舞っている、マスコミは伝えたいことだけストーリーにあわせて伝えてくる。本当の姿は未だに解らない、響いてこない。福島原発はまずは現場のライブカメラを幾つもネット上に公開しなければいけないはずが、一向にそのそぶりも見せない、ぼろぼろと1-2ヶ月遅れの言い訳を出してくる。東京電力は本当に一回潰れるべきなのだろう、JALがそうであったように、外から見て耐え難い体質がにじみ出てくる、政府はうまく東電をつぶすべきなのだろう、そうでもしなければこれは繰り返される。電力会社はどれも独占権力を握ってしまっているようだ。関西電力の有無を言わさない電力規制、あの計画停電の感覚と全く同じではないか、自分の無計画の結末を経済全体に押し付けて知らん顔をしている。こんな電力会社ばかりでは日本は潰れる。独占に胡坐をかいた人たちを面倒見る筋合いは無いのではないか。

次第に歪みだらけとなっていた社会の本当の姿が浮き上がってくる、この大震災の意味は、ここらあたりにあるのではないか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

K-5を持って

また飛行機に乗る、今回は突然の不吉な電話だ。人が集まれば写真も要るだろうと前の日の晩に届いたばかりのペンタックスのK-5を持っていくことにする。まずはマニュアルを理解せねば、と待合室でカメラを 眺めながら読んでいると、私も最近カメラを買ってこうでしたよ、1週間はマニュアルを見ながらいじってばかりでしたよ、奥さんはほっておかれますよ、と向かいに座った初老の男性が話しかけてくる。モノは人をどこかつなぐところがある、だからモノにこだわりたくなる人が多いのかもしれない、無機質なものの持つ面白いところだ。羽田のコンビニでSDカードを買う、これが高い、2GBで1650円もする。家の近くのスーパーでは軽く3個買える。買う暇が無かったのではしょうがない、でも高い、なんとなく付け込まれているようで嫌な感じだ。色々撮ってみるがやはりピントはオートだと結構外れる。ライブビューでズームにしてマニュアルでピント合わせしようとしてその大変さが解る、多分オートのピント合わせでは手ぶれ防止は効いていないのだろう、レンズ側に手ブレ防止を置いたカメラのほうがこれは有利だ。netで流れている赤い色が特にピントがGyogannfuu合いにくいというわけでもないようだ。でも機能が色々付いていてなかなか楽しいカメラだ、勿論K100Dより解像度は高くて撮りやすいし、RAWで撮ってもカメラの中だけで加工できるのも便利だ。飛行中も737-400の翼のボルテックスジェネレータを色々撮って見たり、画像を魚眼風に加工してみたり、漂う高積雲を撮ってみたり、遊びだすときりがない。

降り立つと九州には湿った生暖い風が吹いていた。この風となって漂っているのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »