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2011年7月29日 (金)

原発というブラックボックスを誰にでもわかるように開けきらなければ

雨が続く。オホーツクの上に暖かいブロッキング高気圧が居座って東の冷気を日本列島に東風として吹き寄せる 変な形の不安定な配置がこのとこる続いている。暖かいオホーツク高気圧というのが不気味なものがある。こんなのが南からオホーツクまで入り込めば豪雨も降るわいな、と思ってしまう。モンスーン気候帯だから雨は降るのが当たり前なのだけれども。

地表堆積セシウム汚染マップがやっと出てきた、もう5ヶ月近くたってしまった、どうみてもCesium 発表が遅すぎる。栃木の北部山沿いに延びる地帯にやや多いのが気になる、セシウムだから水溶性で雨に流れて希釈されていくのだろうか。起こってしまったことは戻らない。
セシウム137から出てくるβ線が体にどう悪いのか、内部被爆が害を及ぼすことになるが、ネットで見る限りどんな害を実際に及ぼしたのかはっきりとした証拠と呼べるほどのものはまだないようにも思える、それだけ分離が難しい事柄なのだろう。セシウムのγ線が不妊をもたらしうるともされるが、セシウム137崩壊後のバリウム137から出されるガンマ線は時間も短くよほどの大量でない限り実際に不妊を起こすだろうか、とも思ってしまう。でも何か不安だ。説明がされきっていないことが不安を募らせている最大の原因のようだ。専門家といわれる人々が正しく説明できていない。原発を巡るあらゆるところに専門家と呼ばれる人々に対する不信が避けがたく存在するようだ。知らないこと、解らないことは素直に解らない、知らないと言えない人々なのだろう、そのくせ一般の人を小馬鹿にしたがる人々なのだろう。こんな人々に命を預けていることへの危険性に気付いたのが脱原発を支える心情のように思える。原発というブラックボックスを誰にでもわかるように開けきらなければこれを支持すべきでないということなのだろう。命がかかっている。

雨はまだ降り続いている。全てを洗い流してくれる雨だといいのだが。

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2011年7月20日 (水)

突然パソコンが動かなくなる

なでしこを再放送まで見終わって気分よくなった翌朝 突然パソコン(Acer Aspire One)にバッテリー切れの警告が出て動かなくなった。電源ランプは橙色のランプが点滅している、ACコードは勿論つないである、ACコードを抜き差しするとランプ点滅の反応が変わるがやはり動かない、これは変だ。ファイルのバックアップは碌にとれてない、このまま動かなくなるとかなりマズイ、いい気分が一瞬にして暗転してしまう。サポートに電話しようとするがなかなかつながらず、とりあえず、別のパソコンでこの症状をネット検索してみると似たような書き込みが幾つも引っかかる、BIOSの更新が怪しいようだ。気になりながらも出社して時間を置いて帰宅後また続きをやる。バッテリーを抜いてACコードだけでつないでみるがやはり電源はこない、サポートに電話がつながってあれこれ相談してみる、サポートもまずはBIOSの更新を推奨する、しかしBIOSをかすかに残るバッテリーの力だけでは更新できるとは思えない、話しているとどうやらACコードの断線が怪しいのではないか、バッテリーを抜いてACコードだけつないで反応しないのはBIOSでもないようだ、修理に送ってもらってもいいが一律に技術費がかかり高くなって結局ACコードの交換だけということにもなりかねない、色々試して見られたら、という。そうかもしれない、しかし前ぶれも無く突然断線というのもしっくりいかない。電話を切って、最近はご無沙汰のテスターの埃を払って電池も換えてともかくACコードの出力電圧を調べる、コネクタの先が細くてリード棒が入らないのでコードをほぐしたものを押し込んで接触させて測ってみる、電圧が出ない。測りかたが悪いのかと色々やってみるが出ない。そのうちコードを振ったり動かしたりしていると時々針が振れる、やはり断線だ。電圧の出る位置でコードを固定してパソコンにつなぐと目出度く電源ランプがついて普通に立ち上がる。一件落着だ。なんのことはない。切れた当初の反応が今ひとつ合点が行かないがこんなこともあるのだろう、とにかくACコードを新たに発注する。
パソコンが突然動かなくなるのは悪夢だ、穏やかな日常に潜む落とし穴のようだ、考えてPhoto みれば落とし穴だらけの道を歩いていくのが生きていくことなんだ、と思えてくる、こんなのはかわいい穴なのだろう。

外は台風6号の前ぶれの雲が怪しく行きかっている。これは大きな穴のようだ。

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2011年7月19日 (火)

渦の最中では見落とすものが多い

昨日は朝からサッカーを見て久し振りに少しばかりHiになった。世界ではどう伝えているのPhoto_2 だろうとGoogle英語版のnews検索をしてみると、何故かWall Street Journalの記事が多い、読むとしっかりしている。おされてもあきらめないで最後に盛り返し勝利をつかむ姿に地震津波に圧倒されそれを跳ね返そうとしている日本の姿をかぶらせている。USAチームが日本のチームの背後にチームを超えた力を感じていたことを伝えている。これは本当に歴史的な勝利なのかもしれない、読んでいるとなんだか感動してくる。New York Timesも同じような視点で、日本の復活の力をこの勝利に感じて伝えている。
随分昔幼い頃サッカーのチームで地区大会を戦っていたころのことを思い出した、負けてくると力が出なくなる、ゴールに転がる球を眺めてしまう、最後までねばることは難しい。でも粘ることそれが大事だった、とにかく1点、と粘ると開けてくる、そんな感覚を思い起こした。
夜の再放送をまた見てしまう、ふがいなく見えていたものが落ち着いてみると日本も良く戦っている、いい試合だ、濃い試合だ。その時見えなかったものも見えてくる。

時は重層になって過ぎていく、渦の最中では見落とすものが多い、でも、巻き込まれて夢中になって見る浸りきった目も楽しい。クールでばかりではつまらない。

ガラガラと崩れたあとに見えてきた電力会社の虚構に満ちた寒々とした風景もあることだし、そんなことばかりはいえないのだが。

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2011年7月 8日 (金)

梅雨明け

9日にも関東は梅雨明け宣言が出てもおかしくない。ジェット気流は北へ上がり500hpの5880m高度のライン1が大きく関東付近まで覆うようなる、梅雨前線南側の湿舌も弱まる、低層の湿気はまだ抜けないため梅雨明けのギラギラした日差しは望めないが配置からは梅雨明けだ。九州で出た梅雨明け宣言はいかにも早すぎた、そんなこともありまだ出せないかもしれない、でもこれは梅雨明けだ。

楽しくも長い暑い夏となるのか。

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2011年7月 5日 (火)

利尻島へ

Risir2i 利尻にも行っておかねばもう行けないかもしれない、そんな思いに駆られていた。礼文から利尻島へ渡るフェリーは鴛泊行きでは午後の便しかなく沓形行きでやっと10時半発だ、沓形行きにしたものの、沓形からは海岸沿いのポイントを見て回るには動きにくくて結局利尻山の中腹までのトレッキングをタクシーを使って行うことにしていた。これが思いの外正解だった。当日は晴れのはずが朝から海霧が立ちこめ、沓形の町からは山は全く見えない、宿に荷物をおいて近くのラーメン屋で早めの昼食を済ませて タクシーで中腹の見返台に向かうと町から数十メートル上がったところですぐに霧が晴れる、上はかんかん照りの晴天だ。見返台についてとりあえず100段の階段を標高差50mくらい登って展望台に行くと一面の雲海だ、礼文はかすんで雲海の上に見える、仰ぎ見れば利尻の山がくっきりと姿を見せる、なかなかの絶景だ。海岸周回のコースでは霧でいまいちのようだ。景観を満喫した後せっかく稼いだ高度をまた見返台まで降りて利尻山への登山路を歩き始める。アップダウンがあり中くらいの石がごろごろしていて歩きにくい。しかしコマドリの声がうるさいばかりだ、姿は見えないが森の深さを感じさせる、近くの木ではアカゲラが2-3羽動き回る、クマゲラは残念ながら出てこないし花はあまり無いがうっそうとした森がRisiri2 いい、ダケカンバが中心のようだ。なぜかヤンバルの森に似た雰囲気を感じる、人の手が入りこめない深さを漂わせているからだろうか、ともかくここにはハブはいないし気楽だ。コマドリの声は遠くなり近くなりずっと続く、どんどん行ってしまいたい気持ちもあるがきりがない、森が切れ始めるあたりで時間も適当なので引き返す。下りではクロジの声があちこちから聞こえる、これも姿はみえないがいい感じだ。見返台に戻ってタクシーを呼ぶと程なく上がってきてくれる、登山者相手のいいビジネスのようだ、携帯の無い人でも呼べるように見返台には公衆電話まで設置してある。帰りにはまだ元気も残っていることもあり麓の森林公園に寄ってみる。ここは野鳥のポイントとして紹介されていて、周回の歩道は木道も整備されさすがに歩きやすいし深い森のイメージも出ている、鳥のほうはやはりコマドリ、それにエゾセンニュウの声だがやはり姿は見えない、クマゲラはまたも外れだ、秋口が多いらしい。まずまずの印象で そのまま歩いて宿に戻る、丁度いい時間だ。それにしても麓は涼しく山は暑い、サンフランシスコとヨセミテのような関係だ、霧が出やすいところはこうなのだろうか。
利尻はやはり山がいい、ただ、沓形コースは山に登る道としては快適でない、それに上はかなり危ないらしく上り口には警告が掲示されている。鴛泊から登りにまた来るか、真面目に考えるとたぶんそれはもうない気がしている、100名山踏破はどうでもよくて、こだわりの無い生き方が良く思えている。
利尻は見切れていない、しかしそんなものだ、見るべきものがこの世には溢れている、いい時代なのかもしれない。

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2011年7月 4日 (月)

サロベツへ寄る

利尻からの朝一番のフェリーで稚内に戻っているとオオミズナギドリやウトウ、それにクロPhoto アシアホウドリなどが次々に現れる、遠くに群れを成しているのもある。行きは午後の便でこんなに見なかったが朝の便はやはり多いようだ、それとも波がこの上なく静かなためだろうか。デッキでは船に並んで飛ぶウミネコにお菓子を手渡しで取らせてウミネコと戯れる人だかりが続いている。船の周りに出来る上昇気流を利用して殆ど羽ばたかないでたくみにデッキに寄せてくるウミネコのしぐさは見飽きない、やはり脚も姿勢制御に使っているようだ。
Umneco1 稚内では飛行機の出発まで4時間半ほどの待ち時間がある、「ちょいのりレンタカー」というのを借りてともかくサロベツ湿原へ短時間でも行ってみることにする、基本的に安い上にフェリー乗り場に迎えに来てくれて空港までの送りもあってかなり割安だ、離島のレンタとは大違いだ。昼食のコンビニ調達も含めて50分ほどでサロベツにつくが、道道444号からの曲り口には目立った標識も無く行き過ぎてしまう、何だか控えめだ。今年の4月末に開館したばかりの立派な湿原センターから遊歩道を歩く、センターの人の話ではツメナガセキレイやシマアオジもこの時間でも見られるかもしれないと言う、勇んで出発。エゾセンニュウの声を聞きながら林を抜ける、エゾカンゾウとノハナショウブが見事だ、花の写真を写しているとえらく立派なキセキレイのような鳥が近くに来る、写真やら録音やらとにかく撮ったり録ったりした後、大きな望遠で写してPhoto_2 いた近くの人と話すとキマユツメナガセキレイです、と教えてくれる、これがそうかと写真と図鑑をひとしきり眺めて納得する、そのうちノスリやオジロワシも現れノゴマの声もする、シマアオジはというと、少し行ったベンチのあるエリアに数台の大きなカメラで狙っている一団が居る。20mほど先ののブッシュに朝からもう4-5回出現している、という。短い時間だがそれならばと暫くおにぎりでも食べながら待ってみる。なかなか現れない、やはり昼間はあまり動かないのだろう、1時間しか居られないサロベツではどうしようもない、あきらめてまた次回にとばかり先へ行く。ノビタキや遠くにはオオジュリンらしき鳥影を楽しみながら程なくセンターに戻る、これだけでも随分な鳥に出会った気がする、湿原全体の広がりを思うとこれはいい所だ。名高いのもうなづける。
Risiri 飛行機の出発時間の50分前くらいにレンタカーを貸し出しているガソリンスタンドに戻って空港まで送ってもらう。セキュリティは混んでいるが十分間に合う、北海道では特に気なる満タン返しも悩まずに済むしこれは便利だ。
7月3日に羽田に着くようにしておけば787の姿がみられたかもしれないのに、うかつだった、と反省しながら南へ戻る。振り返れば利尻が雲に浮かんで見える、次はいつ来れるだろうか、北海道を去るときはいつもそう思ってしまう。

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2011年7月 3日 (日)

礼文にて

礼文島はオダマキとカラスの島だった。
礼文島の最大の港町、香深(かふか)は勿論海辺にある、文字通り海辺のカフカだ。しかし村上春樹の有名な小説とは何の接点もなさげだ、少年カフカの物語の舞台は四国だし、海辺の香深には何の不条理も無い、長い人間の生活の時間が続いているだけだった。どうであれ、もしかしたら村上春樹はここにきたことがあるのではないか、海辺のかふか 口にしてみるとちょっと語感がいい。
朝は4時半から一日かけて礼文島のあちこちをレンタカーも使って歩いた。観光バス向けのレブンアツモリソウ群生地には一輪だけがこの時期まで咲き残っていた、レブンウスユキソウの群生地は林道にクルマの侵入は自粛とありひたすら歩いて到達する場所だが丁度開花し始めた時期だった、一応両方見られたが何か感慨が無い。
Odamki 桃岩周辺の歩道や礼文林道、北の澄海岬、スコトン岬周辺といくつかの場所を歩いてみるとこの時期花は多い、確かに花の礼文島には違いない、しかし 僅かに残っていたレブンアツモリソウや咲き始めた小さなレブンウスユキソウの群落よりも 町の至るところで地面から力強く生え出しているミヤマオダマキがどうしても印象に残ってしまう。
礼文は旧石器時代から人が住み続けていたといわれる、最果ての花の島として都会から観光の人並みが寄せる様になったのはせいぜいここ数十年のことでしかない、島のあちこちから吹きだしてくるオダマキを見ていると これを遥かに超えるとんでもなく長い間人と自然のからまりが存在し続けてきたことをどうしても感じてしまう、Karasu 恐らく野生だ栽培種だ保護だと区別すること自体が愚かしいことなのだろう。そのままの礼文が面白い。
カラスも何か奇妙なところを感じる。ここのカラスは人から逃げない、野道を歩いていて手の届くところまで近づいても人を無視するように悠然としている。人を自分と同等以下にみているかのようだ。数も多い。島に居ついてもう随分になるのだろう、旧石器時代から人と共にそのまま居続けているのかもしれない。人とカラスが同列となる関係が長く続いてきたことを漂わせている。
人間臭さに溢れた礼文島、予想外だった、利尻に渡るフェリーまでの不要なほどのゆったりとした午前の時間を小さいカフカの散策に費やしながら、ただただそう思っていた。

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