礼文にて
礼文島はオダマキとカラスの島だった。
礼文島の最大の港町、香深(かふか)は勿論海辺にある、文字通り海辺のカフカだ。しかし村上春樹の有名な小説とは何の接点もなさげだ、少年カフカの物語の舞台は四国だし、海辺の香深には何の不条理も無い、長い人間の生活の時間が続いているだけだった。どうであれ、もしかしたら村上春樹はここにきたことがあるのではないか、海辺のかふか 口にしてみるとちょっと語感がいい。
朝は4時半から一日かけて礼文島のあちこちをレンタカーも使って歩いた。観光バス向けのレブンアツモリソウ群生地には一輪だけがこの時期まで咲き残っていた、レブンウスユキソウの群生地は林道にクルマの侵入は自粛とありひたすら歩いて到達する場所だが丁度開花し始めた時期だった、一応両方見られたが何か感慨が無い。
桃岩周辺の歩道や礼文林道、北の澄海岬、スコトン岬周辺といくつかの場所を歩いてみるとこの時期花は多い、確かに花の礼文島には違いない、しかし 僅かに残っていたレブンアツモリソウや咲き始めた小さなレブンウスユキソウの群落よりも 町の至るところで地面から力強く生え出しているミヤマオダマキがどうしても印象に残ってしまう。
礼文は旧石器時代から人が住み続けていたといわれる、最果ての花の島として都会から観光の人並みが寄せる様になったのはせいぜいここ数十年のことでしかない、島のあちこちから吹きだしてくるオダマキを見ていると これを遥かに超えるとんでもなく長い間人と自然のからまりが存在し続けてきたことをどうしても感じてしまう、
恐らく野生だ栽培種だ保護だと区別すること自体が愚かしいことなのだろう。そのままの礼文が面白い。
カラスも何か奇妙なところを感じる。ここのカラスは人から逃げない、野道を歩いていて手の届くところまで近づいても人を無視するように悠然としている。人を自分と同等以下にみているかのようだ。数も多い。島に居ついてもう随分になるのだろう、旧石器時代から人と共にそのまま居続けているのかもしれない。人とカラスが同列となる関係が長く続いてきたことを漂わせている。
人間臭さに溢れた礼文島、予想外だった、利尻に渡るフェリーまでの不要なほどのゆったりとした午前の時間を小さいカフカの散策に費やしながら、ただただそう思っていた。
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