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2011年8月28日 (日)

壊れたものは直せばいい

夏の井頭公園へ歩きに行った。静かな公園だった。野鳥はカワウ、ゴイサギ、コサギと大Igasira 柄な鳥が群れで飛び回っていて風情というものが無い。夏鳥の小鳥たちはどこへ行ったんだろう、暑い昼間は木陰で昼寝でもしているのだろうか、そのほうが健全かもしれない。池の鯉もフナのお化けみたいに色が無くちょっと不気味に集まってパクパクやっている。塗りこめられたような夏の公園はさわやかさもなければ心地よい風も無い。生い茂る草とイヌの落し物ばかりが目に付く。やすらぎというより空間を提供するだけの道具としての公園、そんな言葉が浮かぶ。しかしそれだけでも十分かもしれない。

帰って一休みしていると頼んでいたパラボラが届く。降り始めた雨が小止みになる頃を見計らってパラボラ交換を始める。窓の手すりにつけていた元ののパラボラをはずしてみるとフィードホーンの先端が黒くなっている。パラボラ面で雷から受けたエネルギーがここへ集Parabor められて焦がしてしまったようだ。チューナが壊れなかったのは電気というより主に熱がはいったのかもしれない。アンテナ線ケーブルの端末を少し落として作り直してパラボラにつなぎ今度はベランダに固定する。このほうが触りやすい。1階からの声でテレビの見え具合を教えてもらいながら向きを調整してできあがり。案外とすんなりもとに復した。今度のパラボラは110度CS対応なので早速CSを見てみるがハイビジョンでもなく放送大学も見ることが出来ず、これではどうしようもない感じだ。10月1日よりBSが大拡張するようだからその時期に衛星放送は新しい展開を期待したほうがよさそうだ。

ものが壊れたら原因はどうであれ素直に直すのが一番だ。大震災の復興も それ新しいエコタウンの建設だと政治が四の五の言わないでさっさと復旧したらどうなんだろうか。高台につくるならそのようにさっさと政府が動けばすむものを何をしているのだろうか。理念がなくともいい、役目さえ果たせば最小限役に立つ道具としての政治、せめてそれくらいはとぼやきがでる。

次の台風がくれば夏もそろそろ終わりが見えるだろう、時は流れる。

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2011年8月26日 (金)

雷がかすって

ひさしぶりの激しい雷雨となった、北関東は雷雨の激しさでは他にひけをとらないが、ここ数年は何故か今ひとつ激烈さに欠けていた。

激しい雷雨では雷の枝が伸びてくることがある。昔、退社時にきつい雷雨となりめげず駐車場まで傘をさして急いでいたら雷鳴と共に傘を持つ手にビリビリと電気が走った、傘を投げ捨てて車まで走って事なきを得たことがある、北関東の雷は油断できない。

1昨日夕方の雷は雷雲が南南西から北北東へ流れ続けるパターンで次から次へと雷雲が押し寄せる、周りにバリバリ落ちだして程なく停電する、これはすごい。そうこうしているうちに至近距離に落ちてバチッと室内で音がする、何か壊れたようだと見まわすと光電話のルータに赤ランプが点滅している、受話器を上げても通じない。コンセントを抜かなかったのがいけなかったようだ、テレビや冷蔵庫のコンセントは抜いておいたのに漏れていた。他にも何か、と調べると衛星アンテナが機能していない、アンテナまでは直ぐには切り離し出来ないし難しいところだ、幸いテレビは映っている。電話機能は切れたが無線LANは生きRts300hi_sている、まだ軽傷だ。とにかくNTTに携帯で復旧手配してnetでAmazonにアンテナを発注する。

次の日の午後にNTTからルータの交換に来るが人手が足りないのか現れたのはあまり解っていない年配の人だ、ルータが変われば無線LANの設定もやり直さなければならないがそれは全く解らないと帰ってしまった。危うく持って行かれそうになったマニュアルを頼りに無線LANの設定を始める、Acerともう1台の無線LAN内臓パソコンはややてこずった末にとにかくつながるがNTT純正のSC32KIのLANカードを挿したパソコンだけは何故かつながらない、話が逆だ。 調べていくと「Windowsでワイヤレスネットワ-クを構成する」のチェックが入らないのが原因のようだ、これは変だ。散々悩んだ末、LANカードのドライバユーティリティのインストールからやり直すしかないと他のパソコンを使ってドライバをnetで探してみる と、確かにバージョンアップしたものが見つかる。やっとの思いでインストールしなおすとこれが正解だった、つながった。頭が軽くなる。Acerを使い始めた時も無線LANにはかなりてこずった、インターフェースが入り組んでいる仕掛けはもつれだすとやっかいだ。うまくいかない時はとにかくドライバの更新か、当たり前のようだがまた学習させられた思いがする。

まだ衛星アンテナの交換が残っている。こちらもまた学ぶことが出てくるのだろう、新しい発見もあるのだろう、雷もなかなかだ。

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2011年8月22日 (月)

運河

熊切圭介 写真集 運河 という本を眺めている。
図書館から借りてきてこんな白黒の写真は魅力がないなと思って暫く置いていた。返却日Unga が近づき今日になってぱらぱら見始めた。東京の隅田川あたりに広がる水路を見ている、ただ見ている視線がなじんでくる、白黒のほうが余計なものが無くて良いように感じてくる。引き込まれてくる。
主張が無い写真がいい。押し付けてくる感じが無いのがいい。そこに居るような感じがしてくる、それだけなのかもしれない。ピントが遠くから少し先位までの間に全部あっている、焦点距離の短いレンズで絞り込んで使っているのだろうか。目で見る感覚に近い。次々に高速道路に覆われた運河が現れる。東京は思っていたより面白いところかもしれない、そんな風に感じ始める。
写真を撮ることにまた惹かれ始めた。うまく撮れないのだけれども、伝えることではなくて表すことなのだろう。

それにしても時が足りない。

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2011年8月17日 (水)

丸沼堰堤

奥日光に避暑に出かけたついでに前から気になっていた丸沼のダム(丸沼堰堤Marnma2 )を見に行った、何しろ重要文化財だ、電源設備のダムで重要文化財になっているのはここだけだ。勿論今でも丸沼を形作り水量を調整する機能を果たしている。金精峠を抜けて国道120号線の丸沼湖畔への分岐をやり過ごして少し先の道標を右に入るとゲートがあって前にクルマが数台停められる、ゲートの脇から遊歩道が大尻沼の湖畔に延びている。下って湖畔に着くとガイドロープに沿って動ける無人のボートが設置してある、これで対岸に渡れるという仕掛けだ。トラシマのロープMarnma1 を引くと対岸に行っていたボートを引き戻すことが出来るのだが半ばまで来たところで動かなくなってしまった、どうやらロープガイドの木製のU字プレートにロープを吊っている紐が絡まったようだ。これはまずい、ワイヤロープを左右に大きく振ったりしてからみを取っていくとなんとかほどけてこちらまで手繰り寄せることが出来た。戻ろうとした2人組もいたりして一時はどうなるかと思ったが事なきを得た。しかしなんだか不安だ。とにかく4人で対岸に渡る。渡りながらダムをよく観察する。バットレスという形式だが何のことはない、平板にリブを立てて強度剛性を増した形だ、全部をコンクリートで固めるよりずっと材料が少なくすむという考え方のようだ。材料費は安いが作るのに手間がかかる、作られた昭和6年なら安かったかもしれないが今では手間賃のほうがはるかに高い、こんな形式はもはや割に合わないらしい、それで貴重というわけだ。ダム下の大尻沼から導水管で一の瀬ダムとその下のダムで水の位置エネルギーは使われ計2万kwの電力を生んでいる。菅沼から丸沼にも導水管があって丸沼湖畔の丸沼発電所で電気が作られている、3つの沼は全てつながっていて水位がコントロールされていることになる。知らなかった、戦前のエネルギー確保の必死さが感じられる、またその感触が求められるようになるのだろう。

こうやって今まで気がつかなかったことが少しずつ明らかになる、今につながって見えてくる、これは果てしがない、飽きることがない。やはり時が足りない。

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2011年8月15日 (月)

シモツケコウホネに流れる風

あまりに暑い日が続く夏休みとなっている。南の背の高い夏の高気圧、いわゆる588ライン(500hpでの高度5880mの等高線ライン)がなかなか退いてくれない。普通に考えれば大気大循環で 赤道付近の 太陽をこの時期真上から受けるラインの上昇気流が中緯度で下りてきて出来る高気圧だから 割合に単純に時と共に南に下がるだけのはずが去年といい今年といい力強く居残っている。赤道付近では僅かに傾くだけの頭上の太陽だけにもともと秋の到来はゆっくりしたものになるのは原理的にはそうなのだけれども、ともかく暑い。目にはさやかに見えない上に風の音にも驚くことも出来ない。
Photo 避暑に奥日光に泊まりに行く予定で出かける前にぼんやりテレビを見ていると、シモツケコウホネの話題を生中継で流している、栃木で発見された新種の植物として話題になることはあったがまだ見たことがない、ちょうど花が咲いているようで、地図で調べると鹿沼と今市の中間の文挟の近くのようだ。大した回り道にならないとみて行きがけに寄って見る事にしてそさくさと出かける。近くに来るとテレビの中継車とすれ違う。なんとなく楽しい。場所は道標もついていて直ぐに解る。テレビに出ていた守る会の人が出てきてゆっくりみていってくださいといってくれる、テレビの虚の世界が現実に連なっているようで面白い。花を流れから突き出すように水路にたくさん咲いていてハグロトンボがとびかっている。尾瀬などで見かけるコウホネよりよほどしっかりしていて大きい、下野らしい力強さがある。のどかでいい眺めだ。
お礼を言ってついでに登録文化遺産になっている東武の下小代の駅への行き方を教わる、直ぐ近くだ。行ってみると文化財の旧駅舎は線路から外れたところに移築され 保存されている。写真をパチパチ撮っていると寄ってきて話しかけてくる初老の男性が現れる。人と話したがっている雰囲気がある、退職して暇をもてあましているようだ、近くのクリが実のなる時期には取り放題となる、またどうぞ、と教えてくれる。のどかな空気だ。

暑さでむせ返るような南方の空気の圧力がみなぎる昼間とは違って まだ朝方と呼べる時間帯にはこの土地特有の緩慢に流れる時と風があって心地よい。

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2011年8月 8日 (月)

出口が見えない

節電対策で6月末以来このところ木金休みで土日出社が続いているがまだなじめない。月火水にだけ仕事をしているような気分になる。1週間があっという間に過ぎる。

日本の政治状況もめちゃくちゃだがアメリカの状況もおかしくなっている、同期しているように思えるのは何か根本的な意味があるのだろうか。

先月米国連邦議会では連邦航空局(FAA)の事業継続予算法案を予算切れの期限までに成立させることが出来ず流してしまった、米国は個別に議会が予算を提案・承認する。FAAは運転資金を切られたため即刻職員4000人を一時帰休にした、給料が払えない。手持ち資金を食い延ばして航空管制だけは死守する体制だ。議会でこじれた原因は下院で多数を占める共和党がローカルなコミュニティ空港に対する補助が予算に入っていたことを不満としたためといわれる。なにもそこまでしなくとも、と思えるが何か民主主義の限界を示しているようだ。選挙に勝ちやすい政党の主張が似てきて選挙テクニックで大きく結果Usperl が振られる、2院制にねじれが容易に生じて議会が動かなくなる、政治が理念でなくテクニックとアジテーションの場に変わり果てる。大局を見通す声が通らない。戦前ならばここでファシズムが登場するところだがマスメディアの発達がそれを押しとどめている、出口が見えない。選挙で政治を2者択一できるほど簡単な政治メカニズムではなくなっている。フセインを倒したイラクでは底知れぬ不幸の連鎖が止まないようにみえる、ムバラクを倒したエジプトでも混乱は一向に収まらない、民主主義のスローガンだけでは幸せになれない、全てがつながっているようだ。移ろいやすい民衆の心の上に乗っているが故の民主主義の機能不全があちこちで頭をもたげる。京都五山の送り火に 陸前高田の被災者の思いがこもった松が使われるはずが、市民から寄せられたいわれのない放射能汚染懸念に 容易に主催者が屈してしまったことともどこかつながっている。結局は一人一人の心の中の問題なのだろう。

週の初めでもない歯切れの悪い月曜日がまた始まる。すべてが狂い始めていることを象徴している、心を強く持って目の前の現実に真正面から向き合う気持ちがいつになく求められているようだ。

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2011年8月 1日 (月)

被災地の今を見る

見なければならないと思っていた東日本大震災の津波の破壊の様を意を決して見に行った。見るだけしか出来ないことの後ろめたさがあった、しかし見ておかねばならないという気持ちはそれ以上だった。1日かければ宮城のどこかまでは行ける、それもしないのは何Wakabayasi か逃げているような気がしていた。東北道を仙台南から仙台南部道路へ曲がり2つ目のインターで降りて海のほうへ向かう。次第に瓦礫の集積が見えてくる、遠めに見ると建物は残っているが良く見ると1階はかなり破壊されていて家は放棄されている、T字路に突き当たったところで空き地に停めて写真を少し撮る、マニュアルピントが好きでマニュアルであわせたつもりがボケボケになる、何か正視できないものがある。報道カメラマンは鬼のように心を殺して撮っているのだろうか。幅広い松林が津波の勢いを弱めたようだ、しかし道に沿って見えていた荒地は戻って調Matusimaべると畑が続いていた地帯だった、地面そのものが痛められている。
海沿いに平行に走って塩釜、松嶋までくる。ここは何故か大した被害は目に付かない。いつもどおり五大堂には観光客が訪れ観光船が行きかう。松嶋の風景も昔見たのと変わりはないように見える。津波の力も色々だ。
国道45号で石巻に入る、街並みに浸水の後はあるが破壊の跡は目立たず町としての活動が復活しつつあるように感じる。ここも港にIsinomak向かって南下する。海の近くまで来るとかなり建物が破壊されている、仙台南は松林で勢いが弱められてひたひたと押し寄せる津波のイメージだったがここは一面の住宅が破壊され放棄され ている、建物の形はあるものの無残だ。
街なかを抜けて45号線を北へ向かう。道沿いのコンビニやたべもの屋も営業していて町は機能を取り戻しつつあるように思える、大きなパチンコ屋も開いているようだ。北上川を渡り暫くいくと通行止めとなり引き返す。戻って北上川にそって少し上流にのぼり高速道に乗る、頼りになる道はこれしかないようだ。終点の登米まで行き東へ曲がって南三陸町を訪れる。すごい、言葉もない。破壊力が格段にすごい。殆どの建物が根こそぎ壊されていMinamsnrk る。鉄骨だけ残った防災庁舎の屋上まで津波が襲っている、地面の高さからその高さ(13mといわれる)まで津波が覆いつくす場面をとても想像できない。5ヶ月近くたってもまだ一面に瓦礫が広がる。大物は片付いているが更地になるまではまだまだだ。しかし、はためく復興祭ののぼりから人の強い意志を感じる。45号線がここでは機能していて沢山の車が行きかっている、少しずつ町は機能をとりもどしていくのだろう。ただただ見るだけでまた戻る、言葉が出ない。
登米から高速を乗り継いで宇都宮に戻る、1日に800km以上走ったことになる。確かに見るべきだった、それ以上は整理できない。多分多くの人が見るべきなのだろう、感じるべきなのだろう。復興しようという力を感じ誇りにすべきなのだろう。長く記憶にとどめるべきなのだろう。
それにしてもなんという災害なのだろうか。

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