壊れたものは直せばいい
夏の井頭公園へ歩きに行った。静かな公園だった。野鳥はカワウ、ゴイサギ、コサギと大
柄な鳥が群れで飛び回っていて風情というものが無い。夏鳥の小鳥たちはどこへ行ったんだろう、暑い昼間は木陰で昼寝でもしているのだろうか、そのほうが健全かもしれない。池の鯉もフナのお化けみたいに色が無くちょっと不気味に集まってパクパクやっている。塗りこめられたような夏の公園はさわやかさもなければ心地よい風も無い。生い茂る草とイヌの落し物ばかりが目に付く。やすらぎというより空間を提供するだけの道具としての公園、そんな言葉が浮かぶ。しかしそれだけでも十分かもしれない。
帰って一休みしていると頼んでいたパラボラが届く。降り始めた雨が小止みになる頃を見計らってパラボラ交換を始める。窓の手すりにつけていた元ののパラボラをはずしてみるとフィードホーンの先端が黒くなっている。パラボラ面で雷から受けたエネルギーがここへ集
められて焦がしてしまったようだ。チューナが壊れなかったのは電気というより主に熱がはいったのかもしれない。アンテナ線ケーブルの端末を少し落として作り直してパラボラにつなぎ今度はベランダに固定する。このほうが触りやすい。1階からの声でテレビの見え具合を教えてもらいながら向きを調整してできあがり。案外とすんなりもとに復した。今度のパラボラは110度CS対応なので早速CSを見てみるがハイビジョンでもなく放送大学も見ることが出来ず、これではどうしようもない感じだ。10月1日よりBSが大拡張するようだからその時期に衛星放送は新しい展開を期待したほうがよさそうだ。
ものが壊れたら原因はどうであれ素直に直すのが一番だ。大震災の復興も それ新しいエコタウンの建設だと政治が四の五の言わないでさっさと復旧したらどうなんだろうか。高台につくるならそのようにさっさと政府が動けばすむものを何をしているのだろうか。理念がなくともいい、役目さえ果たせば最小限役に立つ道具としての政治、せめてそれくらいはとぼやきがでる。
次の台風がくれば夏もそろそろ終わりが見えるだろう、時は流れる。
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