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2011年10月28日 (金)

震災以来何か安心できない空気が地球を覆っている

眠い、うまく眠れない、ぼんやり生きているからだろうか。

日光東照宮の裏山を歩いていたら、犬のような声がする、誰かがイヌを連れて登っているのだろうかと思うがなきやまないし道から大きく離れたところから声がし始める。変だ、と思っていると、同行者からサルだ との声が上がる。こんなに鳴き続けるサルは聞いたことが無い。Saru 眺めの良いところで昼食をとっていると数十メートル先をサルの集団が横切っているのが見える、ちょっと不気味だ、食事の際に襲われると厄介だ、と気になって食べるのも心なしか忙しくなる。食事も終わって幸い何事もなく元の道に戻るとまだサルがうるさい。一体何が起こっているのだろうか。
鳥もカラ類の鳴き声はやたらとするのだが姿をはっきりとは捉えられない、とにかく慌しく飛び回っているし とまる時も見えにくい位置にとまる、警戒心が高い。一体どうしたのだろうか、何かがいつもと違う。
夏の終りから荒れ模様の日が多い、山にも倒木が目に付き荒れているように見える、札幌のヒグマ出没の話もある、この冬に向かって不安の伝播が広がっているのかもしれない。
欧州の経済不安がいつなだれを打つか解らない、不気味なサイバー攻撃が続いている、何かが揺らいでいる、震災以来何か安心できない空気が地球を覆っているといえば大げさだろうか。

時だけは正確に前に進む、確かなものは時の刻みくらいしかないようだ、しかしそれすら不思議に思えてくる、とにかく眠い。

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2011年10月25日 (火)

世界は知らないことで満ちている

宇都宮はギョーザの街で売ったが今は自転車の街としても少しは名が通ってきたような気がしている。この週末、市内でジャパンカップサイクルロードレースが開かれ、イタリア、デンマーク、カザフスタン、オーストラリア等の世界の強豪チームが現れた。ツールドフランスで争っているトップチームも4チーム参加している、ハイレベルな競技だ。
本番の前に街なかで通りを通行止めにしてスピードレースを行うクリテリウムという競技が開催されたので見に行った。野外で行う競技はとにかく無料で観戦できるのがいい。小雨だがJapancup2011 たいそうな人が集まっている。目の前を過ぎる自転車が早い、どれがどれだかわからない、声援が大きい片山右京の姿はばてかけているのかゆっくりになっていて解りやすい、でもそれくらいだ。後で優勝者はオーストラリアのチームと解ったが見ているときはイタリアとばかり信じていた、事前に少しは勉強しておかないと楽しみの深さも半減以下だ。でも最後の周回でゴールに殺到する有様は迫力がある、それまでは駆け引きをやっていたのが最後にJapancup2011a 遂に全力疾走になる、自転車レースのおもしろいところだ。
本レースも終わってネットで色々見ていたらアジア最高峰の自転車レースとの解説に行き当たる、もう20年も毎年開かれているがそこまでのイベントとは思っていなかった、コースのそばに住んでいながら情けなくなる。本当に知らないことばかりの世界を漂っている、いつまでたってもそう思う。世界は果てしなく多層で深い、だからこそ飽きずに生きていけるのだろう、嘆いてばかりいてもしょうがない。

もう冬もそこまで来ている。同じ冬だが毎年違う、今年の冬はどんな空気を運んできてくれるだろうか。

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2011年10月19日 (水)

ウオール街を占拠せよが解らない経済専門家

村上龍のメルマガを見ていたらウオール街を占拠せよ運動の解釈を経済の専門家があれこれ書いているがどうにも解り難い運動という表現に行き当たった、分析も何だか的を外れている。しかし普通に生きている目線から見れば、企業の業績を上げるためにレイオフが横行、失業率が高止まりしているが、人を切って業績を上げることを要求しているのはウオール街であり、これで恩恵を受けているのはほんの一握りの経営陣と金融街でしかない、多くの失業者の上に企業の繁栄が成り立っている、これはおかしい、という全くストレートで解りやすい運動と思える。盛り上がりを見せているのはもはや耐えうる限界を超えているということなのだろう、こんなことを感じない経済の専門家というのもなんだかどうしようもない人種に思えてくる。
日本でもどこでも行政の赤字削減でも 人を減らして(業績を)改善するという発想が行き渡っている、これは根本的に変だ、何のための経済の活動なのか、人の生活を良くするためではなかったのか、という疑問なのだろう、警報なのだろう。こんなことをしていては消費がふえるはずもなく、特に消費への依存が高いアメリカ経済は簡単に立ち直れるわけも無い。

警報が発せられるのにこれを感じない、津波の逃げ遅れのようだ。

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2011年10月15日 (土)

殲轟-7の墜落

西安の国際ビジネス機ショーで展示飛行をしていた中国人民解放軍の戦闘機JH-7(殲轟Photo -7“飛豹”)が墜落した。墜落の映像を見ると 緩い旋回から急に頭を下げてスピンのようになるが旋転は止められその隙に1名は脱出できている、しかし時間的に残りの1名は脱出できないまま地面に激突している。前後はわからないが何らかの機動をおこなおうとして失敗、高度が低かったため脱出しかなかったとも見える。
中国・西安では先ごろJ-10Bが試験飛行中に墜落したとの報がネット上に流れたが人民解放軍はデマとして全面否定するという騒ぎがあったばかりだ。今度は公開の場だけに疑いようが無い。JH-7はエンジンは英Jh7 ロールスロイスのSpey MK202だが機体は中国で開発された国産戦闘爆撃機だ。公開されたのは1998年でまだ製造が続いているらしい。中国の戦闘機は以前は旧式のソ連製がほとんどで性能は低いのを数で補っていたが近年は新しい機種への更新が進んでおり急速に戦力がアップしている。さらに膨張は止まらず空母を揃え攻撃的な色合いを強くしつつあるようにも見える。ロシアから購入した空母1隻を改修中だがあと2隻国産空母を建造中との情報が流れている。一方では台湾のF16更新に対しては米側に強い反対の意志を伝え圧力を掛けている。ちょっときなくさい雰囲気がある。
墜落事故を起こしたビジネス機ショーはこのところ中国が民間航空機産業に力を入れ始め鉄道や自動車と同様海外メーカとの共同開発で技術を獲得しこれをもとに一気に海外へ売り込もうというシナリオの一環となるものだった。
幾つかの物語の筋が入り組んでいる。

墜落事故そのものは単純なミスかもしれない、しかしこれを取り巻く渦巻くような情勢にぱっと光を当ててくれる、航空事故には特別な何かがあるようにいつも思えている。

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2011年10月12日 (水)

小説月山

月山・羽黒山・湯殿山からの旅から戻ってそのどろどろとした宗教的な雰囲気がなかなか抜けず、森敦の月山を読み返し始めた。舞台は湯殿山の西裾にある注連寺という寺だがここへは今回行っていPhotoない、小説では じさま が一人いるだけの破れ寺となっているが今は立派な寺になっているらしくHomePageが開設されている。次の機会に湯殿山を訪れる時は行ってみなくてはなるまい、いつになるか。小説月山は芥川賞を受賞した時に文芸春秋で読んだきりで、セロファン菊という言葉くらいしか蘇って来ない。戦後間もない昭和26年に作者がひと冬をこの寺で過ごした体験をもとに書かれている。月山は死の世界の象徴という語りは未だ心に響いてこないが庄内の方言のリズムと主人公の標準語のリズムが2つの世界の存在を際立たせている、作者が向かう世界には宗教の世界の整理されたロジックはそこにはなくどろどろとした生きる力があるだけだ、月山は牛のようにどっしりした置き物でしかない。実際に月山に向かうと羽黒山や湯殿山の渦巻くような宗教の世界をはるかに超えてただただそこにあるという重さが感じられた、思い返せばその雰囲気は小説にはよく出ているようにも思える。作者の意図とはずれているかもしれない、しかしどうしようもなく動かない月山がある。月山を登ったあと山裾に沿って湯殿山の入り口にまわってみたが途中は殆ど人家の無い山道で未だに不便なところだった、翌日羽黒山の宿から高速に乗るまでの集落を抜けていく普通の農村風景の道筋にもガソリン給油所も全く見当たらない場所でもあった。生きぬくことをいつもきちんと心に留めておかねば生きていけない、小説月山に漂うそんな雰囲気が今も感じられる、しかしちょっと重い。

また行けるだろうか、鳥海山に登りに来れば帰りに寄ることもあるだろうか、そんなことを暫くは考えていたが、次第に薄らいできた。解き放たれるように生きていく、それが実は性に合っているように思えている。

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2011年10月 1日 (土)

月山

月山に登った。登る前は月山はスキーツアーの山、夏スキーの山という印象が8割がたで、森敦の月山の世界は浮かんでくることもなかったが、月山に登り、羽黒山に行き湯殿山神社にいくと、これは恐ろしいばかりに宗教的な世界が広がっていることを感じずにはいられない、森敦の月山を読み返して見なければと思いはじめている。
月山へは最もアプローチの楽な姥沢のリフトを使って登ることにした。リフト乗り場までの山道では1台の車にも出会わない、こんな日に本当にリフトは動いているのだろうかと心配になる。宇都宮から丁度4時間で予定通り10時にリフト手前の駐車場に着くと数十台の車が停まっている、なんとなく安心する。しかしあたりには昼食のおにぎりを調達できる店などない、思い返すと寒河江SAが最後のお店だったのだ、有名な場所だからと気を抜いていたら買い損ねた、今日のお昼は手元にあるわずかばかりのパンとバナナ1本であきらめることにする。ともかくリフトは動いていた。真っ赤なナナカマドの実や時折姿を見せるブナが美しい、15分もかかるリフトにゆられて上がり暫く進むと分かれ道に出る。姥ヶ岳経由で稜線歩きのように進むルートと牛首から月山に直接向かう右ルートの分岐だ。少し迷っていると、ブローニサイズの立派なカメラで三脚を立てて月山を写していた男性が、右へ行けば20-30分は早い、しかし姥ヶ岳ルートは眺めがいい、と教えてくれる。まだ元気があったのもありエイッと姥ヶ岳ルートをとることにする。そうですか、私もそちらで行きますよ、とくだんのカメラ氏。ほかにも賑やかな笑い声を立てる3熟女もこちらを選らぶようだ。平日だが登山者は思ったより多い。とにかく登り始める。木が一本も無い。空には何本もの卷雲が流れる、気持ちの良い青空だ。クルマに乗りっぱなしで歩きたいという気持ちが走る。しかしボウルを伏せたような姥ヶ岳では そこが山頂と思って勇んで登るとその先に山頂のようなものがまたみえる、こんなことを繰り返す、そのうちリンドウがぱらぱらと目に付くようなってさすがにもうというところで山頂に着く。眺めがいい。柔らかい山腹が月山の山頂まで続く様が何にもさえぎられずに見える。思ったよりマッシブな山だ。これは結構時間がかかりそうだとの予感が走る。牛首へ直接向かう道もよく見える。分かれ道で牛首に向かった女性単独の人の姿も見える。この山は女性が多い。
一旦下って湯殿山からの道と合流する。若い人が7-8人湯殿山ルートで上がってきている、こちらはかなり長いルートだ、しかし芭蕉は奥の細道の旅では弥陀ヶ原から登って月山山頂Gassann1 でビバークし湯殿山に下っている、正統的にはこちらなのだろう。
稜線沿いではハイマツ位の丈の低いカエデが紅葉している。真っ盛りではないが、なかなか綺麗だ。12時丁度に牛首につく。これくらいが普通のペースという感じだ。月山というとどこかに雪があるとも聞いていたがこの時期は全く雪がない、歩きやすくはある。ここからは月山頂上へ向けた登りとなる。登りにかかると後方から ほら貝の音が響く。修行僧が登っているのだろうか、いかにも修験の場らしい。程なく追いついてくる、普通の格好にほら貝を抱えている、聞けばやはり行で愛知から勤めの合間に来ているのだという。ともかく登る、登りはほぼ直登できつい。やっとの思いで13時に9合目と教えられた延命地蔵尊(鍛冶小屋跡)に着く。更にもう一Gassan1 登りして頂上部にたどりつくとその先に小高い砦のような月山神社が見える、確かに普通の山頂ではない、人が積み上げた山頂のようにも見える、あそこが最高点だ。
ここが山頂という立て札も無ければ最高点の三角点も見つからない、聞けば三角点は神社の北側らしいが入れなくなっているし神社より低いようだ、後で国土地理院の地図で調べると三角点は1979.5mで最高点は1984mとなっている、やはり神社のほうが高い。不思議な山だ、聖域なのだろう。翌日雨の中 羽黒山神社と湯殿山神社を訪れる、宗教の強さが溢れんばかりだ、出羽三山は観光地という言葉とはかなり離れたところにあるようだ。湯殿山神社本宮は建物は一切無い、神社本来の姿をしている。即身仏という言葉もあり 神も仏も区別があいまいな世界が立ち込めている。
月山はただの百名山ではなかった。
また何も知らないことを思い知らされてしまったようだ、日本を知るだけでも最早時間が足りない。冬がまた近づいてくる。

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