疲れるキョロロのアート
この前の休み、越後松之山の美人林そばのキョロロ森の学校というところでキノコを採集するイベントに参加することになっていて、開始までの待ち時間をつぶすために館内を見ていたら塔の160段
の階段を登って展望所へ上がれるとある。160段とはかなりのものだがそれだけ上がればブナの森の展望も素晴らしかろうと上がり始めた。塔には窓がなく足元の階段の段を示す青いLEDがあるだけで真っ暗にしてある。これは不気味な階段だ。現代アートの作品の1つのようだ、ガラングァランと小さな音で音楽のようなものもなっている。最初は段数を数えていたがあまりに多く数えるのも止めてただただ暗闇の中を右回りに上がっていく。どこかで予期せぬ終りを迎えるのではないかとの不安が生じてくる、それよりも、上がっても上がっても同じ暗闇の繰り返しで、楽でもなく馬鹿馬鹿しくなる、もう止めたくなる、しかしここまで来たしと止められなくなる、現代アートも危ないところがあるがこんな不安さいらだたしさがアートのはずもない、とぶつくさ思いながらやっと上の方に明かりが見えてきてほっとする。日の光に満ちた展望所に登りつめる、少し汚れたアクリル板越しに外の景色が見えるが何と言うこともない景色だ。感動はない、どうにも報われた感じがしないまま暫く眺めていると階段の下から子供の声がする、子供が上がってきているようだ、程なく元気のいい男の子が2人飛び出してくる、勢いがいい、その後からやや疲れた親が現れる。大人にはつらいアートだ。交代するようにしてこちらは下り始める、下を覗き
込むと四角い螺旋階段のLEDの青い灯りがなかなかいい、これを見せたいがためのアートのようだ。鑑賞できる人を選別するのも作者のねらいかもしれない。少し気持ちにゆとりが出てくるが真っ暗な下りの階段も楽ではない、消防から指導がありそうなつくりだ。1階まで戻ってきて下を覗くと塔の地下の暗がりにも水面とほの赤い光がレイアウトされてこれは別のアートのようだ。松之山は集客に色々と仕掛けを用意して活気のある温泉街のビジネスモデル構築に成功していると聞いてはいたがこれもその一つなのだろう。
頑張っている気持ちは伝わるがアートそのものは今ひとつ伝わらない。当たり外れは あるのが当然だし濃密な押してくるアートよりも頭でっかちでどこか抜けているようなところがむしろここにはあっているのかもしれない。そんなことを思って前の日の棚田歩きより何倍も疲れて一休みしながら、過ぎ行く秋をそのままに感じていた。こんな日も悪くない。
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