« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »

2012年1月31日 (火)

地球の一体感

気象の集まりがあるというので久し振りに出かけてみる、とても寒い日だ。エルニーニョの発見に至る歴史の話があってこれが結構面白く話してくれた田家康氏の著書を買って読んでいKisyounohonn る。「世界史を変えた異常気象」という本だ、どうにも題名が気に入らない、異常気象という言葉が受けると出版社は思っているようだがエルニーニョは異常とまではいえない。しかし中身はいい、丹念に文献を引用していく、こんな本は自分には書けないと思ってしまう。インカがスペインの探検隊といってもいいほどの僅かな軍勢にあっさり征服されてしまうあたりは気象の話のからみとは別に人間臭さに面白いところがある、しかし勝手なものだ、狙いは金銀の収奪だけだ、違う世界に住んでいる言葉も宗教も違う認識の共有できない人々から簒奪することには何の罪悪感も無かったのだろう。以前スペインのセビリア大聖堂にある黄金の祭壇を見たことがある、3トンもあるこの黄金は全てインカから運ばれたものだった、宗教は時に恐ろしいことをしでかす。本題の気象の話としてはたまたまエルニーニョだったためにペルー沖の北向きのペルー海流と風が弱くスペインのピサロ他はパナマ地峡から南下してあっさりペルーに到着できた、そうでなければこんなことは起こらなかったかもしれないという分析だ。他にも色々知らなかった話が出てくる。
今年の寒さの一因はエルニーニョが腰砕けになってしまったためともいわれているが ペルー沖の海水温の変化が地球全体の気候を表す見事な指標になっているという事実は地球が一体であることを如実に現している様に思えて感じるところがある。地球を巡る風にも海流にも国境は勿論関係ない、
エルニーニョのような世界規模の現象の認識を世界の普通の人々が共有し始める、そんなことが何かへ向かう小さな一歩になるのではないかとも思っている。

Futawarasan 先週末日光彫講座の帰りに日光二荒山神社に寄ってみたが寒く雪道で滑りやすいのにもかかわらず観光客の姿が目に付いていた。話している言葉が流れてくると、日本語ではない、中国語のようだ、そういえば春節の時期だった。楽しげに写真を撮りあっている若いカップルをみていると中国だろうが日本だろうが変わるところはない、移動の自由を手に入れれば人は地球上に拡散するように動き回りまじりあっていくのだろう、栃木の片隅にいても世界の風が当たり前のように吹いてくる。

地球の一体感。いつかは本当に国境のない世界が実現するのだろうか、切れ切れではあるが次第にそこへ向かって動いていっているような気がしている、いつかはたどり着けるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月26日 (木)

パソコンとビデオと

ハイビジョンビデオの編集がほとんどできないことやデジ1眼の写真の編集が重くなってきてパソコンの能力が足りないのを常々感じていたが 最近 大学の非常勤で教えていることもありアカデミックディスカウントが使えそうなのでビデオ編集ソフト、それに見合ったパソコンを買うか、と少し探しはじめた。
パソコンはと調べるとずいぶん安くなっている、プロセッサーはインテルのi5というのが付いていればまずまずのようだ、今使っているacerは1.6MHzだが2.4MHz位まで上がる。これにG57 RAMを6MBまで増設すればビデオは何とか見られるだろう。ビデオカードが大事なのだけれども新しいHD Graphics 3000というチップセットでなんとかなるのではないか、価格も考えてLenovo G570 433497Jという機種にしてみた、4万円以下で売られている、どうみてもこれは安い。4GBのRAMモジュール(204Pin SO-DIMM DDR3-1333(PC3-10600)4GB)も別途アマゾンに発注する、64bitのwindows7は少なくともこれくらいは補強しないと有難味が薄いだろう。フルハイビジョンのデジタルビデオがやっと編集できることになる。ソフトはアドビのプレミアエレメンツ10
(premiere elements 10)にして到着を待つ。

2-3日でパソコンもソフトもメモリーも揃っていじり始めるがまずはメモリーの補強から結構手ごわい。裏蓋のネジが1箇所硬すぎてネジ頭が滑り始める、これはいかんとねじ山の端を小さなマイナスでたたく、あかないネジの緩め方はは昔グライダーに乗ったり整備したりしていた時に散々経験させられた、その思い出がこんなところで顔を出す。2-3回たたいてプラスドライバーで改めてゆるめると今度はすんなり回った。蓋を開けようとするとプラスチックのロックが硬すぎる。レノボは何を考えているのだろう、メモリ増強をやりやすいようには全く考えていないと思えてくる。増強はうまくいって明らかに速くなった、ハイビジョンのビデオを見るだけなら問題ないようだ。次に編集を、と プレミア10をインストールして手持ちのaviのビデオデータをドロップしようとするがおかしなことに音声だけしか認識しない。これでは何の役にも立たない。2日ほど悩んでコーディックの補強をやればいいだろうとフリーソフトのffdshowを入れtweakerでWindow7での優先順位を変えてみて、やっとaviを認識した。とにかく動き始めるがこのプレミア・エレメント10というソフトは優しくない。以前は練習のチュートリアルが用意されていたらしいが今はもうない。ネットのあちこちで情報を集めて少しずつ学び始める、しかし疲れる。ビデオの編集はハンディカムのときからやっかいだと感じていたがハイビジョンではひとしおだ。メディアが高度になるとその分編集の手間もややこしくなる。アナログの8mm映画フィルムをカッターで切ってはテープでつないでいった時代が懐かしくしのばれる。本当に進歩しているのだろうか、失ったものも大きいのではないか、そんな風にも考えてしまう。
まだまだ編集らしいことは出来ないが試しに広島での旅の短いシーンのビデオを作ってみた。暫くは楽しめる、思ったほど楽しくはないとの気もしているが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月25日 (水)

また日光彫

寒い日が続く。今年の冬はここまで北半球の850hp高度での気温の最も低い点が日本よりのシベリア(沿海州)とカナダ北東部に居続けるパターンがあまり変わらず、北極より寒い場所が樺太の対岸あたりまで南下してきている、どうみても日本は寒くなる、特に北日本の寒さはめったにないレベルとなっていそうだ。北極振動もここへ来てマイナス側の指数(即ち極渦 が弱くなって寒気が北極から流れ出す)となってどこから見ても寒さがいやましのパターンとなってきた。
今年の冬も日光彫の講座に週末は日光まで通っている。先週末は日光も積雪で一面の雪がキレイだった。今年の第一作目の作品Nikkouboriが塗りあがってきていた、どんぐりの図柄の角盆だ。星打ち用の釘も自分で加工したものを使ったが無骨な感じが出てなかなかだ。次に彫りあがったコミミズク、及び庭のシャクナゲを塗りに出した、どんぐりは借りた図柄だが今回の図柄は自分のものだ、どう出来上がるか、昨年は震災でなんとなく尻切れで講座は終わった、少しは塗りも学ぶべきだが冬場はやっていない 春になったら塗りを教えてくれるところをあたってみるか。次は手鏡を彫っている、ぼたん柄だ。作品がたまってくる、それもいい。
雪をみると今年はスキーに行けるだろうか、考えてしまう。何かを始める、何かが終わっていく、時間は限りがある、どうしようもないことだが簡単には終わらせたくない。そうやって身の回りにはガラクタが溜って行く。しかしこんな風にして過ぎていく時間そのものが楽しくもある。冬はまだまだ続く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月20日 (金)

こうやって未来は

もはや昨年の年末のことになってしまうが ツイッターを眺めていたら栃木の河川の土壌で放射線が17000ベクレルとある。ちょっとビックリだ。

ここまで来たかと思いつつも元のデータを追っていくと環境庁の計測データだ、栃木の河川敷を幾つか測っているが、所々で相当に高Yukawa い。1位の17000ベクレル/kgは湯川の湯川橋となっている、netの地図で探していくと那須殺生石のところの小さな川の橋だ、観光スポットとなる場所ですぐ下は鹿の湯だ、ちょっとまずい、立ち入りが制限されるのだろうか。

2位の12600ベクレル/kgの場所は箒川の堰場橋となっている、調べると千本松牧場のすぐ西を流れる箒川の橋だ、このあたりはたしかに以前から線度が高いと言われていた。3位の8700ベクレル/kgの場所は大谷川左岸の開進橋とあり、探すと今市のかたくりの湯の1kmくらい上流だ、こんなところが、と思う。Nasusiob

しかしこの1万ベクレルというレベルをどうみればいいのか。放射線を発す る線源の強さということになるが、法的規制で調べていくと放射線を扱う事業者や医療機関が管理区域として外部の人の立ち入りを禁止しなければならないエリアの放射線強さに行き当たる。これが4000ベクレル/m2以上と表面積あたりの数値で決められている。環境庁の計測は表土だから表土は通常5cm程度を取って行われたりするようで深さ5cmと仮定し土の比重は1-1,3位というので緩い値になるよう1として計算すると800ベクレル/kg以上は管理区域にしなければいけないとなる。17000ベクレル/kgでは基準の20倍を超える。とんでもない値だ、県や国はどうする気なのだろうか。いまのところ管理区域が設定された等の話はない、法令違反を国や県が平然と行っていることになる、その説明すらしていない。

もう少し調べると2位の地点から直ぐそばの県営那須野が原公園では那須塩原市議会の調査で最大16.8マイクロシーベルト/hが計測されている、県の施設と言うのに県の動きが非常に鈍いことに(市議会は県に計測する気がないので止むを得ず市民の要請で行った)市民から怒りがでているようだ。もちろん管理基準を大幅に超えていて、法令違反が平然と行われている。子供たちが多く訪れるエリアだけに誰のための自治体か、政府なのか、と疑りたくなる。戦時中の情報隠蔽の大本営発表がまた繰り返されているようだ。思えば日本は自身として戦争責任の追及は行わずじまいだった。戦時中の公によるしてはならない行為の数々が国民の側から追及されずじまいに終っていた、そんな体質が結局はこんな事態を生んでいるのだろうか。国民を馬鹿にしているとしか思えない行政はここから引っくり返さねばならないのだろう。
震災直後の、これを機会に日本もいい方向に転じられるかもしれないという雰囲気はどこかへ消えつつある。
こうやって未来はやってくるのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月12日 (木)

広島と福島

年末広島の原爆ドームを訪れた。九州への旅の途中で宮島泊としたのがきっかけだが、原発事故の放射能もありどうにも気になっていた。広島インターで山陽道を降りてナビに導かれて簡単に到着する、駐車場は近くにいくらもある有料駐車場に停める、要するに町の中心部だ。保存工事がいまも行われGenbakud ている、崩れかけた建物をそのまま保存していくことはかなり難しそうだ。どうしても東日本大震災とそれに続く原発事故と較べてしまう。当然のことだが原爆ドームはキレイだ、これからどうなってしまうのだろうと言う心が虚しくなる空気がここには最早ない、歴史の遺物があるだけだ。しかしこれは人間の故意によるものだ、悪意によるものだ、それが恐ろしい。普通に暮らしていた人間たちがここまでの悲惨な残酷な破壊をやってのける、それを正当化しさえする、それが恐ろしい。東日本大震災の瓦礫とは違う気味の悪さがここにはある、それは未だに嫌な空気を発している。
Genbakd2 平和祈念資料館まで歩いていく、展示されているものはやはり歴史のかけらのようだ、しかし全てが人間の悪意がもたらしたものであるという気味の悪さは次第に見ていくことを辛くしていく。核だから、核兵器だから、という言葉ではないようだ。これは福島とは全く違う、福島原発が広島原爆の130倍の放射能を撒き散らしても、だ。

キレイすぎる遺跡と気分の重さ、複雑な思いで宮島に向かった。広島の町には年の終わりの少しの慌しさが漂っていた。こうやってまた年が過ぎていく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年1月 5日 (木)

志賀海神宮で初詣

初詣という習慣は何時ごろから定着したのだろうか、ともかく何もすることのない正月には運動不足解消にもなっていい。初詣というと三社参りが正統的な参り方と幼い頃より信じていたら、どうやらこれは福岡を中心とする九州地方に根強い習慣で全国区の習慣ではないらしいとごく最近知るに至った。更に調べると初詣の風習そのものも明治以降全国に定着した風習といわれる、電鉄会社の宣伝で広まったという見方もあるようだ。お参りなどと言うといかにも歴史的な背景がありそうだがそんなものなのだろう。だがそうでもないこともある。

今年の初詣も、福岡で正月を送ったこともあり、筥崎宮、香椎宮に続き何処かへドライブにと出かけた志賀島(しかのしま)で志賀海神宮(しかうみじんじゃ)という神社をみつけて参り 三社参りは達成されたが、この志賀海神宮という神社がなかなかの歴史を背負った神社だった。志賀島は万葉集防人の歌の舞台として古くから詠まれており しか の名前は当時からのものだ。筑前国風土記に神功皇后が三韓征伐の際に志賀島に立ち寄ったという記述があり神功皇Sikaumijinnjya 后の船を導いたのが志賀海神宮の祭司を代々務めている阿曇氏(あずみし)の始祖 阿曇磯良とされている。神社の起源は2-4世紀頃或いはそれより以前ではないかとみられる、相当の歴史があるようだ。「しか」の呼び名から鹿の角が多数奉納されているがおそらくこれは「しか」の名前にちなんだものだろう、続日本紀卷六述義二に近島(ちかしま)がなまってしか島になったとの記述がありこれが本当らしい。ここに鹿がいたと言う記録はないようだ。

それより、この阿曇氏というのが大変な豪族で、古代の朝鮮へ渡る海上交通を握っていたものの、どうやら磐井の乱に関わって朝敵となったようで、東国へ逃れ 関係する地名を方々に残しながら信州安曇野にたどり着いてそこに根を張ったらしい、安曇野の名は阿曇氏からきているといわれる、また穂高神社には綿津見命(わたつみのみこと)が穂高見神とともに祀ってあるがこの神は阿曇氏の祖神で志賀海神宮は全国の綿津見神社の総本宮となっているという。君が代の歌についても阿曇氏と深いかかわりがあるようだ。この歌は古今集の読み人しらずからとられているが、志賀海神宮には古くから君が代の神楽が毎年春・秋の例祭で奉納されており、阿曇氏の歌であったものが朝敵ゆえ詠み人しらずの形で伝えられたとの説がある、なにより奉納されてきた歌の歌詞が君が代そのものであることやこのあたりの地名や神社にさざれいし、ちよ、コケムスメ、いわら の名が残されておりいかにもつながりがあったことを想像させる。また 神功皇后は実在が確かめられてはいないが朝鮮に3世紀日本が進出していたのは大陸側の資料でも明らかで、卑弥呼の時代とも重なり、神功皇后が卑弥呼と同一人物(という説もあるがそう)でないにしろ少なくとも女性が国のトップに立つ時代であったのは本当らしく見える、また、朝鮮からの撤退に伴って国防上の理由から国の中心機能が西から近畿へ移っていった、それが東征といわれるようになったとも見たくなる。戻って調べていくとずんずん先が広がっていく。

九州の地に来て走り回っていくとどうしてもここに流れる長い時の流れをその証拠と共に感じざるを得なくなる。関東にいては感じられない歴史感覚がここにはある。新年に初詣とあらたまって参ってみると流れている時が何か空に漂って見えるような心地になって、広がっていく時空の感覚が面白い。

それにしても日本もまだまだ知らないことだらけだ。この世は興味深いことで満ちている。当分飽きることは無さそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年12月 | トップページ | 2012年2月 »