螺旋状に巡る春
もう先週のことになる、庭の梅もぽつらぽつらと咲き始め、なんとか梅のいい場所はないかと宇都宮から南に向かった。遠くまで行くのは疲れるので、行った記憶のない下野薬師寺というところに行ってみる、別に梅の名所というわけではないが奈良時代からの旧跡なら梅
くらいあるだろうという軽い気持ちだった。新4号から自治医大のほうに折れ、思いの外細い道で資料館の立派な建物にたどりつく。無料がうれしくてとにかくにわか勉強して遺跡を歩く。梅は遺跡の芝生にたくさんの植えてあり6-7部咲きの状態だ。のんびりしていて散策に丁度いい。回廊跡や戒壇院の跡に江戸時代に建てられていた六角堂などが残る遺跡では今尚五重塔跡の発掘がおこなわれている。
戒壇院は地方では大宰府の観世音寺とここの2つに設けら
れこれを東大寺が管轄していたようで、東の仏教
布教の中心地としてこの地が選ばれている。
この下野薬師寺は天武天皇が飛鳥に薬師寺を建てた数年後に建立されたとみられ、690年頃には既に建築されていたと推察される。
ゆっくり歩いていると薬師寺八幡宮という平安時代から続く神社もあって神仏混合がありありだ。それにしてものどかな農村に古の遺跡が点在する雰囲気はどこか奈良・明日香に似ている。同じような雰囲気のある場所に建立されたのかもしれない。盆地ではないが山を下りた幾つかの川が次第に集まっていく地形で海からも少し隔たったその形の感覚が何処か通じているような気がする。
1400年前の山の形はそのままで川の流れも大しては変わっていないのだろう、人のやっていることはたかが知れている。人にとっては長い時間であっても60代か70代の代替わりくらいだ、遺伝子に何が起こるというほどの時間でもない、ましてや地球の歴史からは瞬く間の時間になる。意味があるのは今の時間そのものだけなのだろう。
今年も新たな春をむかえつつある、新しい春ではあるが春はけだるくどこかうっとおしいところがあるのも昔から多分変わらないのだろう。時は単に螺旋状に回転しているだけかもしれない。
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