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2012年5月31日 (木)

またまた旅の準備

また旅の準備をしている。今度はスイスのハイキングだ、カナディアンロッキーの旅が予想以上に面白かったのもあり、次はスイスかな、というほどの単純な動機だ。ツアーはおよそ高すぎて団体で歩くというイメージもちょっと。。という気がして、自分で組めばいいやととりかかる。 アイガーの麓のグリンデルワルドとマッターホルンの麓のツェルマットの2箇所に泊まることにして飛行機便と宿をインターネットで予約して 後は列車で移動することにする。列車の切符は計算するとスイスパスでは却って割高で、現地で110CHFの半額パス(Swiss Half Fare Card)を購入することにする。スイスはさすがに観光立国というだけあって色々割安そうなメニューを取り揃えているが良く計算してみると大して割り引いていない、しっかりビジネスしている感覚が伝わってきて面白い。
ハイキングコーMapfishprintbachalp20kスは沢山あるようでなかなか決まらない、日本人が結構多いようだ、円高だし日本人ツアーだらけの予感もする。天気も不安定なので、一応候補を絞っておいて現地でその日の具合で決めていくことにする。スイス内で6泊で十分だろうとまずは飛行機便を予約したが、なんとなくもったいないような気がしてくる、もっと長くすべきだったのだろう、でも変更のきかない安い切符だからあとのまつりだ、そんなものなのだろう。
地図をnetからいくつも焼いたり、DVDやビデオを図書館から借りてきてはイメージを膨らませたりしている。ちゃんと切符は買えるだろうか、列車や登山電車に間違えずに乗れるだろうか、宿の部屋はどんなだろうか、北米のフランクさとは欧州は随分違ってあしらわれるような気がするが楽しめるだろうか、不安がいくつも湧き上がるのをあれやこれや調べてつぶそうとする、旅らしい。さてどんなことになるか。

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2012年5月29日 (火)

我々はすべからく遺跡の上に生きている

この春、下野薬師寺や国分尼寺跡を巡っていたら6-7世紀あたりの北関東の状態が知りたくなって幾つか調べている。こんなところに立派な伽藍が奈良時代以前に建造され五重塔さえ建てられていたという、その背景はなんだったのだろうか、その時代の雰囲気はなんなのか。

宇都宮から下野国分寺あたり一帯には6世紀頃と思われる古墳が多数見出されておりここらに有力な豪族が居たのは明らかなようだ。北関東道の宇都宮南インター付近からは当時の豪族の居住跡と見られる遺構が大規模に発見されている、旧石器時代から平安に至る住居跡があり古くから人が住み続け、関東の有力な支配層を形作っていたのだろう。下野国分寺が東国を代表する国家戒壇としてこの地に設置されたのもそんな背景がうかがえる。

下野薬師寺跡から出土した大量の瓦は殆どが現在の宇都宮市戸祭の窯跡で焼かれたらしい。また、宇都宮市の南、上神主にある政庁跡からも多量の名前入り瓦が出土しているがこれも戸祭の窯跡で作られていたことも解ってきている。戸祭と呼ばれる地名は土祭りと昔は書いていたとの説があり、どうやらここらあたりは古くから焼き物にいい土が出ていたようだ、土に一種の力を感じていたのかもしれない。次第に当時の状況がリアルに浮かんでくる。

飛鳥・奈良時代の政庁跡(市町村役場くらいか)である上神主の茂原官衙(かんが)遺跡に行ってみようと2度ほど試みMobarakngたがいずれもたどり着けなかった。国指定遺跡だが表示や案内板に行き当たらない。地理が解ってきたこともあり3度目のトライでようやく遺跡跡にたどり着いた。現地に説明版はあるが途中に道案内となる看板はやはりない。古墳の上に神社が残るほかは遺跡は発掘後全て埋め戻されている。ここらは良く見れば河岸段丘の上にあり統治者の建物を建設するに適しているようだ。このあたりの河岸段丘は掘れば縄文が出るとの説明を以前縄文遺跡の現地説明会で聞いた、遺跡を掘り出して一々そのまま地上に展示していたら新しい建設は難しくなる、宇都宮環状道路の工事が手間取ったのPhoto_2 は大抵が遺跡だったとも聞いたこともある。北関東自動車道に接するようにあるこの上神主の茂原遺跡も道路建設のため急いで調査され埋め戻されたのだろう。北関東道は宇都宮から西は昔の東山道とほぼ同じ位置にあってあちこちで遺跡を掘る羽目になったようだ。昔から人 が住みやすいところは変わらない。

我々はすべからく遺跡の上に生きている、目に見えるものであれ見えないものであれ。だからどうというのだろうか、遺跡を掘り返すのは結局は単に知りたいだけ、文字通り何の上にのっかってどこへ向かっているのか知りたいだけなのだろう。過ぎてしまえば薄い地層の一部となってしまう今にきちんと向き合いたいだけなのだろう。こんな風に歴史を追い始める熱っぽい時間が時々雲のようにやってきてそのうち去っていく、それも面白い。

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2012年5月25日 (金)

日食との相性が悪くなっている

日食の日は法事があって熊本に居た、金環食は見たかったが見ることが出来なかった。かなり欠けた部分食なら見えるはずだったのだけれども、雲が厚くて太陽は姿を見せない。それでもピークの時間帯に差し掛かるとさらに厚い雲でもかぶったように空の明るさが20120521sora 一段と減じてうす暗くなり太陽の力が弱まっているのがはっきりと感じられた、見えようが見えまいがそんなことにはお構いなくきっちりと宇宙を動く天体の定めが伝わってくる。雲があっても日食の発するえもいわれない雰囲気をともかく受け止めることは出来た。日食は格別だ。

次の金環食は来年5月10日のオーストラリア北部だが殆ど同じ地域でそれより前の今年の11月14日に皆既食が見られる。カネとやる気があれば日食を見るチャンスは次々にやってくるようだ。しかし3年前の皆既食にしろ今度の金環食にしろ結局見れないのはどうにも相性が良くないように思えている。多分熱意が不足しているのだろう。子供の頃に初めて体験した日食は 起こると決まっていることが起こっただけでなーんだというほどの印象しか与えなかった そんなことがずっと尾を引いているのかもしれない。

調べてみるといつ日食が起こるかは古代メソポタミアから何がしかの予測がされており紀元前2世紀頃のギリシアでは現代の予測に近いほどまでの予測法が完成していたといわれている。簡便にはサロス周期と呼ばれる18年10日の周期で地球上でほぼ同じ食が経度120度ずれて発生する周期を使えば厄介な計算をしなくとも凡その推測はできる。今回の金環食は2030年6月1日にギリシアから北海道までの広い範囲の金環食となってふたたび現れる。赤子が大人になるサイクルだ、およそ世代に相当するサイクルが何か人間に影響を与えているようにも思える。更には54年と1ヶ月でまたもとの地域で起こることになり、普通に生きていればおよそ生涯で1回は皆既にしろ金環にしろ遭遇できることになる。こんなことを調べたり考えたりしていると、人の力を超えたサイクルの存在が人にとっての20120521skytree 日食の重さの真髄かもしれないと思えてくる。
それにしても自分とって次はいつだろうか、権利を使い果たしてもう見られないかもしれない、羽田から栃木へ向かうバスの窓から開業を翌日に控えたスカイツリーを見ながらそんなことを考えていた。日食などもう過去に飛び去らせたかのように目まぐるしくも人の作る時は動いていた。

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2012年5月16日 (水)

ス-パージェット100の墜落

ロシアの航空界の期待の星、スホーイ・ス-パージェット100(SSJ100)がインドネシアのジャカルタ南Sukhoisuperjet100 方の山腹に墜落した。5月9日現地時間14時50分頃(0750GMT頃)だ。販売のための デモ飛行中で45名の乗員乗客は全員死亡した。交信記録からは10000フィートから6000フィートに降下しようとしてその途中で交信が途絶えているが、飛行していた付近の 山の高さは7000フィートほどであり6000フィートまでの降下は無理があったのではないかとも思える。降下申請はまだ平地上空を飛行中のときに出されており050908ex管制もこれを許可した。当時の気象は曇りで山地には雲がかぶっている。恐らく雲中で山に当たったのだろう。それにしても対地の警報が鳴るはずだ、何か普通でないことが起こっていたとも思える。次第に状況が伝えられてくると、パイロットは飛行時間10000時間といわれる超ベテランのテストパイロットでスーパージェット100の初飛行を行ったまさ にそのパイロットだったという。運動性にも優れているとの印象を与えようと意図的に対地警報装置を050906ept切って山に近づいたらしい、事故フライトはこの日の2回目の飛行だが1回目に乗った人が撮った飛行中のコクピットの写真では確かに切れているという。

フライトレコーダやボイスレコーダが不完全ながらも回収されており追って原因がわかってこようが、それにしてもロシアが西欧の基準で開発した殆ど最初の旅客機でありこれからロシアの民間航空機産業を推し進めようとしていたその先頭になっていた機体の墜落だけにロシア側の衝撃は大きいものと推察される。

南国特有の高温多湿の不安定な天気だったとようで、デモ飛行で能力を誇示するにはあまりいい条件ではない、気象条件が悪くなりだしたが操縦に自信があったことから雲中に入りながら計画通り際どい飛行したのだろうと推測される。山腹の急斜面に残された衝突跡からは右に急旋回を切って何とか衝突を逃れようとしたがかなわなかった様子が伺える。当日の1回目に乗った乗客からはマニューバ能力の素晴らしさが感じられたとの感想が語られており、大きな運動を伴った飛行を当初から計画していたものと推察される。機体そのものに何か欠陥があったようにはみえない。ロシアの航空界の今後がこの機体の販売が伸びていくかにかかっているように思われ恐らく大統領をはじめとする上層部の期待も強く感じて、開発に深く関わっていたパイロットだけにそれに応うべく技量の最大限まで見せようとしたのではないだろうか。
飛行機そのものは良いような印象があるが、製造は順調な立ち上がりとは言えずまだ初期的なトラブルも出ているようだ。旅客機ビジネスは本当に難しい。この躓きはプログラム自体の存亡に関わっているようにも見える。旅客機市場は世界でメーカー4社が殆ど全てで、この70-90席クラスは更にそのうちの2社しか生き残っていない市場だ、そこへ割って入ろうとしたロシアの意気込みとその落胆はどうしようもなく響いてくる。頑張れ負けるな、と声をかけたくなる。センチメントではどうしようもできないビジネスであることは解っているのだが。難しい。

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2012年5月 7日 (月)

ドンデン山

201205tenkizhk 連休後半 新潟の島に行った。大荒れの連休後半だった。天気の推移はマクロな天気図のレベルでは予測とそれほど違っているようではなかったが、低気圧中心の真下となったここの地点での風が強いか雨が強いかは予測の微妙な違いが相当に違った結果を生むように思えた、4日間も過ぎていくと実際には何か随分と外れていったような気がしていたが見直してみるとそうでもない。
低気圧の中心近くでの雨風の予測は不安定で大まかなものでしか難しいのかもしれない。

粟島に続いて誘われて佐渡のドンデン山というところに行ってみた、佐渡へは随分以前に1度行ったきりだ、今回はこの時期アオネバ渓谷のシラネアオイが見ごろでオオミスミソウや多くの花が見ごたえがあるとの情報に引きずられてのことではある。最近は、人がいいというところへはとりあえず素直に信じて行ってみたほうがいいと思っている。

Donden 5月6日の早朝は前夜の嵐が嘘のように晴れ上がりドンデン山荘から見渡すと佐渡の東の空に美しい日の出が繰り広げられていた。ここまでの連休後半の悪天の日々から解放されたような心地よさを与えてくれて、これだけで来てよかったと思えてしまう。旅心はピュアなところがある、いい体験に出会うとそれまでの重い空気が一気にかなたへ飛び去る。
6時半の朝食までの間にドンデン山荘周辺を少し歩いてみる。900mにも満たない標高だが斜面には雪渓がやたらと残って遊歩道は全く使い物にならない。舗装路はここから先は車両通行止めになっていて歩いて行くと所々でなだれが道を覆っている。ホオジロやウグイスのさえずりに混じって少し離れた斜面や谷からコルリ、クロジ、コマドリの声が流れてくる、時折ドンデンと場違いな音も遠くから響く。舗装路の散策では花は多くないが雰囲気はいい。が、満ち足りた心地で宿に戻った頃には空はもう暗転して雷雨となる。これは随分な不安定ぶりだ、ドンデンと音がしていたのは遠くの雷だった。4日前の予想計算より上空の寒冷低気圧の張り出しが顕著なようだ。一団の嵐は1時間ほどで通り過ぎるが不安定な雰囲気は漂ったままだ。とも かく予定通りアオネバ渓谷に向かう。谷に沿った道を上り始めるとニリンソウの群落が続く、中にトリカブトが混じっていて、なるほどこれでは間違ってつんで事故が起こりそうだと納得してしまう。それにしてもニリンソウを食べるというのはどんなものなのだろうか、栽培種でもない限り野の花や葉を摘んで食べるというのは保護地域でなくとも抑さえるべきことの様に思える。ぬかるんだ斜面の道を固定ロープを頼りに登ったりしながら暫く行くとシラネアオイが現われ始Oomisumisouめる、最初は珍しく思えてじっくり写真撮ったりしていたが次々に現れてきて半ば当たり前の景色になっていく。不思議なものだ。結構流れのある沢を渡り更に進むとオオミスミソウが所々に見えてくる。もっと雪渓の間際まで行けば大分見られそうだが時間の余裕もないし疲れたのもあってここらで引き返す、とにかく花は多いし可憐さがあって見ごたえがある、十分過ぎるくらい見た。雨は時折降りかかるが、概ね曇りといってよい、この不安定な天気の元ではラッキーだ。
キビタキやオオルリが姿を現せて美しい声を聞かせてくれる。オオルリはもう結構上手になっている、この時分は渡ってきたばかりで疲れて鳴かないのも多いのだがこれは上手だ。クロツグミも居るしコルリ、クロジ、ミソサザイも声を響かせる。
足場さえ気にしなければなかなか贅沢な谷だ。山荘から見えた金北山は雪を残してあたかも日本アルプスのような本格的な山のたたずまいを見せるしこの谷も小川くらいに思っていたが来てみると轟々と水が落ちていく立派な渓谷だ。古い記憶はかすれて、佐渡という小さな島のこじんまりとした風景を思い描いていたが大違いだ。こんなことがあるから実際に来て見ないと解らない。多分世界的にもこのような花の豊かさは少ないのではなかろうか。

日本の自然はまだまだ世界にアピールされていないところが多いように思えていたがまた一つそんな所を見つけた気がしている。100人近い団体とすれ違う、そのうちにここにも外国語ガイドが出没するようになるかもしれない、そして世界はフラット化を深めていくことになるのだろう、いいことかどうかは別にして。

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