日食との相性が悪くなっている
日食の日は法事があって熊本に居た、金環食は見たかったが見ることが出来なかった。かなり欠けた部分食なら見えるはずだったのだけれども、雲が厚くて太陽は姿を見せない。それでもピークの時間帯に差し掛かるとさらに厚い雲でもかぶったように空の明るさが
一段と減じてうす暗くなり太陽の力が弱まっているのがはっきりと感じられた、見えようが見えまいがそんなことにはお構いなくきっちりと宇宙を動く天体の定めが伝わってくる。雲があっても日食の発するえもいわれない雰囲気をともかく受け止めることは出来た。日食は格別だ。
次の金環食は来年5月10日のオーストラリア北部だが殆ど同じ地域でそれより前の今年の11月14日に皆既食が見られる。カネとやる気があれば日食を見るチャンスは次々にやってくるようだ。しかし3年前の皆既食にしろ今度の金環食にしろ結局見れないのはどうにも相性が良くないように思えている。多分熱意が不足しているのだろう。子供の頃に初めて体験した日食は 起こると決まっていることが起こっただけでなーんだというほどの印象しか与えなかった そんなことがずっと尾を引いているのかもしれない。
調べてみるといつ日食が起こるかは古代メソポタミアから何がしかの予測がされており紀元前2世紀頃のギリシアでは現代の予測に近いほどまでの予測法が完成していたといわれている。簡便にはサロス周期と呼ばれる18年10日の周期で地球上でほぼ同じ食が経度120度ずれて発生する周期を使えば厄介な計算をしなくとも凡その推測はできる。今回の金環食は2030年6月1日にギリシアから北海道までの広い範囲の金環食となってふたたび現れる。赤子が大人になるサイクルだ、およそ世代に相当するサイクルが何か人間に影響を与えているようにも思える。更には54年と1ヶ月でまたもとの地域で起こることになり、普通に生きていればおよそ生涯で1回は皆既にしろ金環にしろ遭遇できることになる。こんなことを調べたり考えたりしていると、人の力を超えたサイクルの存在が人にとっての
日食の重さの真髄かもしれないと思えてくる。
それにしても自分とって次はいつだろうか、権利を使い果たしてもう見られないかもしれない、羽田から栃木へ向かうバスの窓から開業を翌日に控えたスカイツリーを見ながらそんなことを考えていた。日食などもう過去に飛び去らせたかのように目まぐるしくも人の作る時は動いていた。
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