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2012年6月24日 (日)

ホタルと時代と

ほたるの季節になった。のんびりと怠惰な土曜日を過ごしていると、去年はほたるを見損なっていたように思い出されて久し振りにほたる観に出かけることにした。場所はいつもの美術館裏だ。薄暗くなって外に出ると風が少しばかり爽やかで、ほたるが出やすいといわれる梅雨のむっとするような生暖かさがない、これではあまり期待できないか、とも思うがこの先次第に気温は下がる予想でタイミングとしては今夜だ、とばかり出かける。長岡百穴の裏の道を使って目的地に向かうが、細い道にしては結構クルマとすれ違う、土曜出勤の帰宅時間という風情だ、ノンビリ過ごしている人ばかりではない。T字路を左へ折れて暫く進むと左手に見覚えのない建物群が暗がりに浮かび上がる、老人福祉施設のようだ、かなり大きい。ここ数年 類似の施設があちこちに作られて目に付き出している、このあたりなら確かに都市部に近い割に静かで自然が色濃くていい立地かもしれない、なにしろホタルが飛び交うくらいだ。団塊の世代が老人ホームに入り始めるのはまだ10数年先のことだろうが、こんなビジネスがこれから国内需要を下支えするようになっていくのだろうか、そんな時代が目の前だ。
すぐ先の美術館裏に来てみると、人が多い。駐車場所には1台だけだが、どこからか歩いてきているようだ、ちょっと騒がしい。小川沿いに少し下ってみてもホタルは1頭も出ない。この人だかりに恐れをなしたか、環境が変わったか、或いは気温・湿度(相当温位)のせいか、と考えながら少し戻って佇んでいると木陰に光るものが飛ぶ、いた。時間がどうやら早かったようだ。人が集まってくるので少し場所を変えてまたじっと眺めていると、茂みに光がみえる、こちらは弱々しくて休む時間も長い。暗闇が増してくるとともにひっそり飛び出して次第に数が増してくる、田んぼの上にも数頭飛ぶしゆっくり歩いていると寄ってくるのもいる、2年前より僅かばかり増えているような気がしてくる。それが伝わってこんなに人が集まってくるのだろうか。殆どが子供づれだしホタルを取ってせがむ子供もいる、親も言われるがままに取ろうとする、そのうちここのホタルもとられつくされるかもしれない。しかし、こんな光景を見ていると子供が減っているという気がしなくなる、やはり老人が増えて死んでいく人の数が急に増え始めて総人口が目立って減りだしたという理解が正しいように思える。気になって後で調べてみると確かにそうだ。Syussyou
増えていく老人ホームとホタルとわがままな子供の増加、何か関係がありそうな気がしてくる、しかし随分長い糸だ、少々考えてもたぐりよせることができない。もどかしい思いがするがきっとこんな風景全体が本日現在の世界の真実の切り口なのだろう。渾然とした光景が時代そのものなのだろう。

帰り始めるクルマの前にまたホタルがスーと現れる。そろそろ夏だ。

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2012年6月22日 (金)

ナイジェリアでMD83が墜落

ナイジェリアで航空事故があったというので事故当時の気象を見ていたら上空3000mくらAfrica2 いにKisyou 東風の吹く層があり地上は混合比が高く大気も安定していない、はっきりとした渦を巻くような低気圧も高気圧もない、この辺の大気の構造とは全く違う。事故は気象とは別の原因で起こっているのだがアフリカの風が見えてきて思わず見入ってしまう。それにしても丁度赤道上空に雨雲が連なるのが面白い、夏至近いというのに北へ動いてもいない、大気大循環の考え方では太陽位置直下に熱帯収束帯と呼ばれる上昇風帯が出来ることになるのだが現実は少しばかり違うようだ、海流の動きが関係しているのだろう。3年前の今頃起こったブラジル沖でのエールフランスの事故では赤道上空の強力な雷雲に突っ込んでいるのも思い起こされる。赤道直下には泡立つような熱帯の大気が漂っている様が感じられてくる。熱帯の風にいつかは吹かれてみたくなる。
ナイジェリアの事故は6月3日現地時間15時43分頃、ラゴス空港北5km付近の市街地にMD83が墜落したものだ。着陸アプローチ中で両エンジンが停止したとの交信が最後に残されている。バードストライク(鳥衝突)かもしれない。満席で乗員乗客は153名、全員が死亡している、エアラインはナイジェリアのDana航空という4年前に設立されたLCCだ、インド資本の会社という。22年前の機体を新興のLCCが使っていたのだから整備に何か問題があったとも考えられる、整備はトルコの整備会社に委託している。パイロットは米国人だった、何だか随分国際的なエアラインだ。天気は雲量3-4程度の積雲が浮いていただけで風も強くなく視程もいい、熱帯特有の高温多湿のむっとするような空気だが気象条件は問題ないようだ。市街地への墜落で地上にも10名の死者が確認されている、墜落地にあった教会で開かれていた集会が解散されたすぐ後の事故で不幸中の幸いともいえるようだ。
事故原因の調査はナイジェリアの航空局を中心に進められているようだが米国政府の強力なバックアップを受けておりフライトレコーダの解析は米国の事故調であるNTSBで行われている。機体の問題とすれば燃料系統が疑われるが、鳥衝突も十分ありうるだろう、同じ機体がつい2ヶ月前同じラゴスで離陸直後鳥衝突を起こしている。ニューヨークで起こったハドソン川への奇跡の着水も鳥の群れに突っ込んだことによる鳥衝突での両エンジン停止だった、低空では鳥衝突は怖い。
アフリカで満席のLCCが墜落する、アフリカの経済活動が拡大してきている現場を垣間見た様でもある、もう10年もすればアフリカの時代が来るのだろうか。国際化がアフリカに押し寄せ、はるか未来にまた人類はアフリカに収束していくことになるのだろうか。航空事故は時代の今を切り裂いて見せるところがあって、いつも気になる。

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2012年6月12日 (火)

雨と風邪とパソコンディスクの整理と

梅雨に入った。もう梅雨かという気がしている。低い雲の列がジェット気流の下にあって梅雨前線が行儀よく形作られる様はいつみても人は物理学に支配されてしまうと思ってしまう。それにしても風邪が治りにくい。

パソコンのディスクドライブの空き容量が次第に減ってきて動きがだるくなる。そんなにファイルを作っただろうか、とおかしな気がしてともかく不要ファイルの整理にかかる。
メールを消したり画像ファイルを外付けディスクに移したりしてみるが、それほど減らない。何が大きいのか、と外は雨だしいい機会だとはじめてみると、どうやらWINDOWSフォルダの下にあるTEMPフォルダが巨大になっているとわかる。37Gbもある。これは変だ。Webで調べるとこのフォルダは全部消していいはずだ、消すべきだ、と出てくる。とりあえず開けてみるとK7というのが頭に付いたファイルがやたら並んでいる。何処かで見たようなと思って考えていくとウイルスセキュリティがそんな名前をしていたと思い至る。ソースネクストのウイルス防護ソフトだ。どうやらアップデートのたびにTEMPフォルダを無駄に肥大させているようだ、これは良くない、早速消去にかかるが37Gもあると簡単には消えてくれない。気長に消している間、webでディスクドライブのメモリ監視のいいソフトはないかと探してみる。どうやらWinDirStatというフリーソフトが良いようなので早速ダウンロードする。TEMPフォルダの整理も付いたが一体パソコン全体のファイルの場所取りはどうなっているのだろうと2 見てみる。WinDirStatを動かすとややあってビジュアルに場所取りの様子が出てくる、これは解りやすい。昔の消えたSDを復活させた時に出来たファイルが思いのほか大きくまだ残っていたのやメール送信済みフォルダが結構大きいのがわかって早速整理する。色々やってみて結局ディスクドライブの空きは倍以上に増えた。立ち上げなおしてみると心地よく走る、こうでなくちゃ、と思う。

こんなことにゆっくり時間をさけたのも雨と風邪のせいだ、うっとおしいことがかえって役に立つ、面白い。そんなものなんだ、生きていくことは、とも思ってしまう。

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2012年6月 7日 (木)

アルプスにはどんな風が流れているだろうか

そろそろ梅雨に入りそうだ。南にあったジェット気流が日本列島上空に横たわるようになり南からの湿った風が低層に入りじとじとの雨をもたらしそうな配置になってきている。

スイスに遊びに行くので何か本を、と思って今井通子著の私の北壁、及び続編 というのをHokuheki 図書館から借りてきて読んでいる。単なるハイキングに行こうというのにアルプスの北壁登攀の記録を読むのは大げさだけれども。読んでいくと、しかしなかなかの馬力だし危ない、マッターホルンの北壁を登った後 モンブラン山塊にまわり、エギュ・ド・ミディで遭難しかかるあたりなどは生々しい。天候の急変と引き返すタイミング、パートナーとの意思疎通のずれ、思いもよらぬことが重なって危ない事態は起こる、落下する、この時は幸運によって救われているが、生存は確率の問題のような気がしてくる。生き続けることはこんなぎりぎりの登攀でなくともそんなところをどこかに持っているような気もしている、要するに確率で救われている。
しかし若い、一つ登れば次とはしる気持ちは過ぎ去った若さの時代を思い起こさせる。
岩登りは随分以前六甲山で少しトレーニングしたことがあったが面白さを感じる前に岩から遠ざかるようになってしまった、親の反対する気持ちが伝わってきてそれを乗り越えるほどに魅力を感じることがなかったからだろうと振り返って思っている、でもあの時もっとやっておればと時々思う。
自分に素直に生きてはこなかった、そう今頃思ってもどうにもなるというものでもない、戯言だ。
パーティーを組んで山に登る、随分昔の記憶が蘇る。もうやれなくなったことが随分増えてきたと思ってしまう、そう思い込んでいるだけかもしれないが。

アルプスにはどんな風が流れているだろうか、半分は晴れてくれるだろうか。このところ暫くグリンデルワルド付近の天気を見ているが、梅雨はないにしても安定した日々というのはなさそうだ。雨の日はどう過ごそうか。
行く前からあれこれ思い巡らす、もう旅は始まっている気分の中に漂い始めている。

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2012年6月 5日 (火)

月蝕

Gessyoku4a 月蝕です。
朧月夜の月蝕です。
言われてみれば、そんな気もする月蝕です。
原子の電子顕微鏡写真のような月蝕です。
事物のありのままを見た思いのする月蝕です。
本当ははっきり認識できるものなどありはしない、と思わせる月蝕です。

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ヤマツツジと風邪

かぜをひいていたが少し無理して5月の終わりの日曜に東照宮裏山の稚児ヶ墓までのルートを登った。毎年この時期このルートで野鳥やツツジの移ろいを楽しんでいるのだが今年はツツジのいろどりが格別だった。なぜか今年は花がいい。この冬の寒さもあるが気Gyojya 温がキッチリ上がってメリハリがいいためではないかと勝手に思っている。天気のリズムがいいような気がしている、もっとも少々暴れ気味ではあるが。
行者堂から上り始める。ここは輪王寺の一部になっていて東照宮より歴史は古い。登山路も昔からの修験の道ということだろう。殺生禁断石の先の斜面を一登りすると笹の小道となるが笹が刈り取られたようにたけが低い。鹿が笹を刈ってくれたようだ、根こそぎ食べられると壊されてしまうのだがこの程度なら丁度いい加減だ。左の方のわき道へそれると一段とツツジが美しい。まYamatutuji るで広い庭園のようだ。笹も低くて歩きやすい。
西側の沢に落ち込む手前のあたりがゴヨウツツジやトウゴクミツバツツジも花開いていてことのほか良い。丁度昼時になって昼食をとろうとするとまるでまちかまえたかのようにキビタキが周りを飛び交って美しい声を聞かせる。姿もよく見せてくれてこれは贅沢だ。
標高1100m位で結構登ったことになる。近くの稚児ヶ墓を覗いた後 登ってきた道を引き返す、女峰山にかかり始めKibitaki た雷雲にせかされるようにして心地早足となる。いい時間は長くはない。むしろリズムがいいというべきなのだろう。遠くでゴロゴロくるがまだ雷光は見えない、まだまだ と のぼりとは光の変わったツツジを楽しみながら下る。下りもいい。

風邪は甘くはなかった、こじらせてしまった、久し振りに熱が出る。呼吸器系に弱さがあるのは前からだが年とともに弱みが表に出てくる、もう無理はやめろと警告しているようだ。10日もたつがまだよくならない。いい思いがあれば代償を払うはめになる、そんなものさとあきらめる、受け入れる。こんな風に流れて行く時がむしろ好ましくさえある。もう6月だ。

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