アルプスにはどんな風が流れているだろうか
そろそろ梅雨に入りそうだ。南にあったジェット気流が日本列島上空に横たわるようになり南からの湿った風が低層に入りじとじとの雨をもたらしそうな配置になってきている。
スイスに遊びに行くので何か本を、と思って今井通子著の私の北壁、及び続編 というのを
図書館から借りてきて読んでいる。単なるハイキングに行こうというのにアルプスの北壁登攀の記録を読むのは大げさだけれども。読んでいくと、しかしなかなかの馬力だし危ない、マッターホルンの北壁を登った後 モンブラン山塊にまわり、エギュ・ド・ミディで遭難しかかるあたりなどは生々しい。天候の急変と引き返すタイミング、パートナーとの意思疎通のずれ、思いもよらぬことが重なって危ない事態は起こる、落下する、この時は幸運によって救われているが、生存は確率の問題のような気がしてくる。生き続けることはこんなぎりぎりの登攀でなくともそんなところをどこかに持っているような気もしている、要するに確率で救われている。
しかし若い、一つ登れば次とはしる気持ちは過ぎ去った若さの時代を思い起こさせる。
岩登りは随分以前六甲山で少しトレーニングしたことがあったが面白さを感じる前に岩から遠ざかるようになってしまった、親の反対する気持ちが伝わってきてそれを乗り越えるほどに魅力を感じることがなかったからだろうと振り返って思っている、でもあの時もっとやっておればと時々思う。
自分に素直に生きてはこなかった、そう今頃思ってもどうにもなるというものでもない、戯言だ。
パーティーを組んで山に登る、随分昔の記憶が蘇る。もうやれなくなったことが随分増えてきたと思ってしまう、そう思い込んでいるだけかもしれないが。
アルプスにはどんな風が流れているだろうか、半分は晴れてくれるだろうか。このところ暫くグリンデルワルド付近の天気を見ているが、梅雨はないにしても安定した日々というのはなさそうだ。雨の日はどう過ごそうか。
行く前からあれこれ思い巡らす、もう旅は始まっている気分の中に漂い始めている。
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