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2012年8月26日 (日)

デジスコを今更とは思いながらも作ってみる

鳥を撮るならデジスコという時代が一時期あって今はまた望遠+1眼レフに移っているように思っているが、そうはいっても手持ちのコンパクトデジカメ(coolpix L21)とフィールドスコープ(NikonEDⅢ)/接眼ズーム(NikonズームMCⅡ)では既成のキットでデジスコができないのが気になっていてなんとか無理でも作ってしまいたいと思いながら随分と日がたってしまった。
スイスから帰って何かとスローペースが心地よくなって、かえって時間ができてきたのでこの際Dejisuk1やっDejisuk2てみることにした。要するに軸線が合うようにカメラとスコープをつなげばいい。接眼とカメラそれぞれにぴったり合う筒がまず必要だ。家の中で色々探すと賞状入れの筒のふた のサイズが接眼にぴったりだ、これを切って使うことにする。カメラ側はなかなか見つからずホームセンターで筒を探すがぴったりいかない。ふとビニールテープに眼をやると内側の径がほぼよさそうだ、外側もテープの量を調整すれば賞状の筒の内側にきっちり押し 込むことができる、これこれと製作にかかる。
Test1程なくできて組み合わせて庭でためしに撮ってみる。
カラスでもいればと思うのだがこんなときに限っていつものカラスが1羽も居ない。しょうがないので近くの鉄塔を200mmの1眼と手 製デジスコ(60倍ズーム)で写して較べてみると威力は絶大だ。ただどうしてもぶれるのでタイマーを使わざるを得ない。レリーズをなんとか取り付ければいいのだがブレは残りそうだし普通に記録用のコンデジとしても使いたい、カメラの改造はやめたい、すぐにはいい知恵がわかない、次の機会としよう。とに かく鳥を撮らねば。
Test2
しかし道具を作るのも面白い、それも鳥を見る楽しみの一部なのだろう。

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2012年8月25日 (土)

小説 海峡

ネットで探し物をしていると時々そうだったのかということに行き当たる。この間も何かを調べようとネットを漂っていたら、それが何だったかはもはや忘れてしまったのだが、蒲Kaikyo2谷さんをモデルにした海峡という小説を井上靖が書いている、との一文に突き当たった。井上靖と蒲谷鶴彦、20歳ほど年が違う、どこで出会ったのだろうか。海峡は井上靖が昭和32年頃週刊読売に連載していた、その最後の部分の取材を 雪の下北半島紀行  という一文にしたためている、井上靖と蒲谷さん、雑誌記者、それに挿絵画家の4人の旅だ、これはネットで読むことができる。小説の舞台となった雑誌編集の世界に井上靖の見慣れた風景があるのだろう、そこから切り離された別世界の野鳥を取り巻くミクロコスモスに井上靖の憧憬のようなものを感じてしまう。

海峡を早速図書館へ予約して借り出してくる。昭和33年9月20日の再版本だが9月10日が初版とある、恐ろしく売れたようだ。蒲谷さんをモデルにした庄司という人物がすぐに登場する、やたらと鳥の名前が出てきて、井上靖は結構鳥が好きだったのではないかと思えてくる。あとがきに 小説を書くのは苦しいのだがこの連載は楽しかったと記している。野鳥を求めてフィールドを歩きその声に耳を澄ますことそのものが刺激的でもあり癒されもしたのだろう。小説の庄司と言う人物は現実の蒲谷さんよりもう少しばかり人間世界に寄っている気がする、しかし当時30歳位にあたるのでこれ位かもしれないとも思う。流れてきた時を感じてしまう。

小説の最後の部分が下北半島の突端から北へ渡るアカエリヒレアシシギの録音シーンとなるのだが、この部分を 雪の下北半島紀行 という現実の紀行記と読み合わせてみると面白い。描写が重なっていて、台詞もそのまま現実の蒲谷さんが語った言葉が小説の庄司が語った言葉になっている。細かくメモを取りながら旅を続けたのだろうし現地の旅館でも書き続けていたのだろう、何しろ週刊誌への連載だ。現実に体験する世界を小説という別の世界に落とし込んでいく或いは貼り付けていく、小説家とはこんな手法で書いているのかと少しばかり驚かされる、 そうなのか と感じさせるものがある。これは大変な仕事だ。

正直に言えば個人的には井上靖の文体はあまり好きでない、しかし細かなことは置いておいてストーリで押してくるところが読みやすい。勿論自分では書けはしないのに人の文体をどうのこうのとはとても言えないのだが。

海峡という本は読むべき本だった。どうしてこんな本があることを知らなかったのだろうか。点と点を線で結ぶ生き方にネットがある面を用意してくれる、有難い世の中になったがこの面のどこか深みのなさもいつか破らなければならないのだろう、そうでなければ人は更に新しい地点に到達できなくなるのではないか、そんな気がしている。

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2012年8月21日 (火)

積みあがった資料の過去の重みにうんざりする

暑い夏は出不精になる。エアコンを効かせた部屋で書類の片付けを始めてみNatubana た、懸案の作業だ。気象のや講義のや仕事のや旅行のやその他生きていくとどうしても出てくる書類やメモの塊で部屋がゴミ箱のようになりかけていた、いや もうなっていたというべきかもしれない。床に座り込んで片付けを進めてみると自分なりにやり方が次第に決まってくる。まず 時間をかけること、封筒は全て中身を出して整理すること、ちゃんと読んで要不要を一つ一つ判断すること、楽しむこと、ということになる、要するに手間暇をかけないと本質的には片付かないと悟る。
面白い資料も色々出てくる。福島第2原発に見学に訪れた時の東電資料ではウランの可採掘年数を60年と説明している。今はどうなっているか、しかし60年のために大掛かりなリスクを伴う仕掛けをこの地震国に展開して行った政治の無残さを改めて感じる。プルトニウムサイクルが確立することが全ての前提としか思えない。相当な無理がある。これに較べて石炭は数百年は持つ計算となっている。最後は炭ということは分かっていたことなんだ、結局は省エネを突き詰めた上で植林しつつ炭焼きで持続可能なエネルギーの利用という形態に落ち着くこともないわけでもないと思えてくる。
他にも、10年位前にオリンパスの菊川社長がどうやってオリンパスはバブル崩壊の逆境を乗り切ったか、とそのマネジメント手法を説いた講演の資料も出てくる、今から思えば巨額の損失隠しを進めていた頃だ、エンロン事件といい、オリンパスといい、世の中で一度は優れた経営と褒め称えられたマネジメントが偽りであった有様をこのところ続けて見ているような気がしてくる。賞を受賞したりという世間の評価には随分と誤りがあるようだ。
次第に片付いてくる、まだ一部屋だけでそれもまだまだ整理が必要だがとにかく見た目よくなってくる。しかし資料は全てが過去の遺物だ、こんな過去の重みをしょって生きていくのもうんざりしてくる。捨てずに残した資料はこの前の大学の講義が舞い込んだ時のようにいつかは役に立つ時が来るだろうと残したのだがそれにしてもまだ多い。未来がみえてこない。未来を作り出すには本当は何もないほうがいいのだろうが心細いということになろうか。ちょっと情けなくなる。新たな未来は今を壊さなければ出てこないだろう、壊しても出てこなければ壊れた残骸だけとなる、それを怖がっている。
1年後はどうなっているだろうか。面白い未来がひらけているだろうか。思いを走らせながら揺らぐ心そのものが面白くもある。

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2012年8月16日 (木)

八島ヶ原と諏訪の神社に縄文の荒々しさを感じて

暑さを逃れるように毎年夏は軽井沢で過ごす日程を入れている。軽井沢エリアで遊びに行くところも次第なくなってきて今年は霧峰から諏訪に出っ張ってみた。今年の夏も随分と暑い。エルニーニョの冷夏は到来できなかった、エルニーニョになるのが少し遅かったようだ、こんな時は涼しいところへ逃げるしかない。
まずは花がいいらしい八島ヶ原湿原というところに行ってみることにした、霧ヶ峰にも何度か行ったが八島ヶ原湿原は夏場には行ったことがない。7年位前に雪のあるシーズンにスキーツアーで訪れたことはあるにはあるのだが勿論花はなく広い雪原があるばかりだった。
ビーナスラインを上がって霧ヶ峰インターチェンジと呼ばれる十字路を和田峠方面に曲がると程なく到着する。別に立体交差があるわけでもなくインターチェンジとは奇妙だ、ビーナスラインという道の昭和を感じさせる。
駐車場はそれなりの大きさがあるのだが満車になることがしばしばあるとみえてたどり着く前の道には混雑時の路肩駐車への注意書きが次々に目に入る。この日はまだ早いのか10時頃でも駐車場の空きは十分だった。
ビジターセンターで様子を聞いてとにかく1周と右回りに歩き始める。中心に向かって左手に動くのに右回りと呼ぶのは考えてみるとなんだか変だ、英語のclockwiseのほうが間違いがなくてよさそうだが時計が発明される前はどう呼んでいたのだろうか、また考えてしまう。
木道には座るところが殆どない、1600mの高原歩きだが、日なたを歩き続けると日差しがあってちと暑い。やはり2000mないと涼しくはなってくれないようだ。空模様は予測では昼頃から雷雲が発達するはずだったがまだ大丈夫だ、雷にならなければ少々暑いくらいは文句はない、とにかく歩く。花はミヤマシシウドやノリウツギ、ヒヨドリバAsamaruuro ナの白い花に混じってハクサンフウロやツリガネニンジン、アサマフウロなんかが目に付く、それほどマッシブでないところが涼しげというのだろう。去年の池の平湿原にくらべれば迫力不足は否めない。最後の辺にかかったところで木陰となったので木道の端っこに座って食事とする、何だか落ち着かない。そのうち ひらひらと舞う白い蝶が現れてくる、アサギマダラだ、ヒヨドリ花が好きなようだ、何頭も現れる、それにしても日陰のすずしいところで出現するのはやはりこの暑さにはまいっているAsagimadr のだろうか。写真にとって後で拡大してみると1頭にマーキングが見える、どうやら隣の美ケ原で6日ほど前にマーキングされたようだ。それにしてもマーキングを見つけた人がうまく連絡してくるのだろうか。電話や住所が書いてあるわけでもなく仲間内の符号のようで一般の人が見つけても多分連絡できないだろう。それにしてはこんな書き込みをされる蝶がかわいそうに思えてくる。試しにインターネットで連絡先を探してみるが最近は発見者が連絡できるようにはなっていないようでやっと見つけたメール宛先もアドレスが閉じられていた。なんだか虚しくなる。

湿原を堪能したあと諏訪大社へむかう。
諏訪大社には4つのお宮があるが発祥の地といわれる上社の前宮から訪れてみる。ここはやや小さいが4隅Maemiya2に立派な御柱が刺さっていて、本殿裏には3本の巨木が見える、樹齢500年は優に超えている雰囲気だ。神社の社殿は昭和のはじめに建て替えられていて重要文化財でもなんでもないが 古から存在し続けた証が3本の巨木のようだ。みれば3本というのは軒下の神紋も3つの花の絵柄だし神社のそのほかの木を見ても3本ごとに植えられた形跡がある。何かありそうだ。本宮にも参って、戻って調べると、諏訪大社は奥が深い。本来の祭神はミシャグチ神という土着の神でこれを大和朝廷がYashimawl 征服した歴史があるようだ。東日本一体にシャクジ様と呼ばれる土着の神を祭る信仰が神社以前にあったと柳田国男が丹念に調べている。ミシャグチのミは三かもしれない。古事記にも諏訪に封じられた神の言及がある。八島ヶ原湿原に御射山(ミサヤマ)神社というところがあって古くから諏訪神社の御射山御狩神事が諸国の武将を集めてあたかも大運動会のように八島ヶ原湿原一帯で戦の技を競わせて繰り広げられていたという、戦には自信のある地だったのだろう。湿原の一角からは当時の観客席跡も発掘されているようだ。

ミシャグチとミサヤマ(ミシャヤマとも読める)、もとは繋がっているように思える。諏訪大社の神事には奇妙なものが多い、いけにえをささげる風習のなごりが伝わっているらしく、江戸時代まで春の例祭には 75頭の鹿の首が毎年ささげられていたと記されており、その昔は人間のいけにえもあったようだ(1年神主)。なんともおどろおどろしい世界がこの諏訪という地に流れていたことになる。残り2つの春宮、秋宮はミシャグチ神(モレヤ神)の見張りとして大和朝廷が派遣したのではないかとの見方もあり、大和朝廷も、織田信長も、この地を押さえ込むのに苦労を払った歴史がうかがえるようだ。和田峠近くでは石器時代から良質の黒曜石が盛んに産出されており縄文時代の軍事的文化的拠点がここにあり続けたとも考えられる。このおどろおどろしさは月山の湯殿山神社を思い起こさせてしまう。これが狩猟で生きる縄文の雰囲気なのだろう、そしてこのおどろおどろしさと戦う武器の一つが仏教だったのだろう。大和朝廷が仏教を執拗に全国に広めようとした気持ちもわかるような気がする。

日本はどうやって今の日本の姿になったのか、少しずつ解けていくような思いがしてくる。
軽井沢に戻ると驟雨のあとがあちこちにあった、激しい雷雨が通り過ぎた後だった。これで少しは涼しくなる、こんなことが繰り返されて次第に秋を感じるようになってくるのだろう。10000年前から変わらぬ四季の日本を感じるようになるのだろう。

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2012年8月10日 (金)

スイスの山の事故と廻り合わせと

スイスの 旅から戻ってもう1ヶ月が過ぎたがまだ記憶が廻っている。
スイスからの報道も気になって見ていると今年の7月はアルプスの山の事故がとりわけ多かったようだ。7月3日にはツェルマットの北東30kmほどのところにあるLagginhorn(4010m)で頂上から下山中のドイツ人登山者5人が数百メートル滑落して死亡している。そのうち2人は山頂までの登山をあきらめて途中で待っていた父親の目の前で滑落した14歳の娘と20歳の息子だったという。5人はザイルでつながれていた。今年スイスアルプスで起こった最悪の事故とBBCは報じている。翌4日にはマッターホルンのマッターホルン・グレッシャー・パラダイス(クライン・マッターホルン)からスノボで滑り降りたコスタリカからの旅行者がコースを外れクレバスに落ちて死亡した。5日にはアイガー登頂後下山中の2人のスペイン人登山者が落下して死亡した。更に11日、モンブラン山系のモンモディに登山中の28人のパーティーが雪崩に遭遇し内9名が死亡した。更に24日にはモンブランでウイングスーツを着て崖からジャンプしていたノルウエー人のパラシュートが開かず墜落死するという事故が発生している。おまけに 25日、試験飛行中のヘリが墜落し6名が死亡する事故もモンブランの南100kmほどのAlpes-de-Haute-Provenceで起こっている。散々な状態だが天候が悪かったのは雪崩事故のみで後はそれほど悪いという状況でもなかった。多くの人が気楽に登るようになったのが結局のところ原因らしい。外国からの訪問者の事故 というのがキーワードのようだ。
なんとなく感じが分かる。日常性からの離脱がそれほどの無理をしなくても手に入る時代になってきている。こんな事故は増えていくだろう。とりあえずはwingsuitsはモンブランエリアで禁止された。日本のように行政のおせっかいが手厚く個人の判断に入り込んでくるようになるかもしれない。思えば日本は都市部のすぐそばに雪山や岩壁や渓谷があってずっと以前からこんな問題に頭を悩ませてきた、冒険がすぐそばにあった。日本は幾つかの切り口で世界の先頭にいる、エッジにいる。デフレがあり原発事故があり老齢化があり 最近はそれ明らかに増えてきている、次第にその意識がかえって日本を支えるようになっている気がしている、良かれ悪しかれ手本となり研究される対象となる日本。先頭を走る日本。暫くはその役目を担わなければいけない、それが廻り合わせというものだろう。
次は何が起こってくるだろうか、この地から。

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2012年8月 8日 (水)

CO2による温暖化とLIBORと欧州の終焉と

一体CO2による温暖化論争はどこへ行ってしまったのだろう。欧州では相変わらずでCO2排出量規制のスキームによって今年1月1日からEUを離発着する全Zurichairport ての国の航空機からCO2排出税にあたる金を払わせる法律を制定してしまっている。出発地から到着地までの全飛行ルートに対して計算される、田舎臭いばかりに強引だ。一方ではグリーンランドの雪解けが驚くべき広さまで広がっているとの最近の米国NASAからの発表はこの現象は150年周期で繰り返されてきたと 温暖化は明らかだがそれにはCO2と別の原因がある可能性を示している。CO2温暖化説を時代遅れに感じさせるこの雰囲気は福島第一によって加速されたのだろうか。もはや温暖化はCO2削減でも解決できないようだし当然原発では温暖化を解決できない そんな認識が広がってきているように思える。
温暖化論争がここまで先鋭化した背景には原発推進派の意図的な強力な後押しがあったとしか思えないし まだそれは息づいている。例えば2010年に閣議決定された地球温暖化対策基本法案は、当時の鳩山首相の強力な主張により原子力発電推進の文言が織り込まれている(最近の鳩山の原発反対デモ参加は笑止千万で鳩山の幼稚さ・いい加減さと国民を馬鹿にしている姿勢を如実にさらけ出している)。結局この法案は野党の協力が得られず一旦は廃案になったがまた再提案され現在審議中となっている。もはや無理筋な事態となっているのに奇妙だ、何が何でも原発という主張が死にきっていないようだ。
CO2増加による温暖化の数値計算を検証したことになっている観測データに大きな捏造があった事が暴露されたにもかかわらずまだCO2温暖化主因説はまかり通っている、こちらも死にきっていない。欧州による航空機へのCO2排出量規制課金は各国の強い反対にもかかわらず強行されている。結局は火元は欧州のようだ。欧州の官僚的硬直性がそうせしめているのだろうしそれを支える欧州優越の潜在意識があるのだろう。
つい先月暴露されたLIBORの大掛かりな不正もどこか構図が似通っているように思える。世界の取引の金利のベースだったLIBORが不正操作されていた。この不正が長年続いていたにもかかわらず内部からの告発が一切なかった、自分たち欧州人は欧州以外に対し優越している、という観念が意識の底にあったと思えてくる。謙虚さのかけらも感じない。欧州には米国のフランクさがない。
LIBORの不正とCO2データの不正・温暖化論争は通じている。ゾブリン危機ばかりでない欧州の価値観の崩壊を今目の前に見つつあるのではないか。
欧州に足場を置く考え方は全てその正しさを疑ってかかる時代に入ったのではないだろうか。
ISO認証による品質管理の官僚的やり方(航空機開発ではISOによる設計品質管理適用と軌を一にして開発の不具合が多発している)、環境マネジメント認証の形骸化、こんなやり方を嬉々として受け入れる時代の終焉に差し掛かっているのではなかろうか。
欧州の時代は真に終わりつつある。

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2012年8月 4日 (土)

逃れようのない暑さの夏がいとおしくて

眠い
夏の昼間はエアコンのある部屋で過ごしてしまうとどうにも体の調子が悪くなる。
暑くて週末は雨でもなければ奥日光や霧降に出かけている。とにかく涼しければいいのでいい加減に歩いたりする。先日も奥日光へ上がってみたがふと思いついて金精峠の西側をと歩くことにした。菅沼の茶屋までクルマで来ると駐車場が有料になっている、それも1000円もする。話には聞いていたが白根山に登らない人からも一律に1000円というのはどうかと思えてしまう。スキー場の駐車料金の感覚なのだろう、アバウトだ。
Konseiw 歩き始めるとすぐコマドリの声がする、思いつきで来たのもあって録音機を置いてきてしまっている、なんとかならないかと思ってカメラに録音機能が何処かにあるはずと探してみるが分からない、それでは携帯に録音機能があるはずとみるとこちらは何となく分かってサウンドレコーダを選択すると確かに録音できるようだ。しかしボイス用で音は期待できない。マイクの向きも勝手が違ってあらぬ方向に向けてしまう。この頃は知恵があまり働かなくなってしまってと嘆きながら少しずつ録ってみる。道は荒れている、倒木が目に付くし道をさえぎられる、最近奥日光で大雨があって一時いろは坂が通行止めとなった、そんなことを思い出す、自然の循環の結果がこの荒れ方なのだろう、人間が入っていない分荒々しい。コマドリはそんなことにはお構いなしに涼しげなさえずりを繰り返す。ルルルルといい音色だ。前に来た時と同じところでよく聞こえる、住みやすい場所は長い間変わらないのかもしれない。ともかくコマドリは去年の利尻以来だ。姿は例によって見えない、今まで1回しかその様を見たことがないが 声を聞くだけで十分いい。
録音はどうだったのだろうと戻ってパソコンで確かめてみると4000hzまでしか録音されていな い、(「MMF0007a.mp3」) やはりボイス用だ、しかし一応音が録れてるだけでも記憶を蘇らせる役目は果たせる。
夕方に下へ降りてくるがまだ暑い。逃れようがない。同じように夏は毎年やってくるが同じ夏はない。同じコマドリの声もない。たまたま時空で交差する多層の時の流れが少しばかり空虚な心地を与える。コマドリも荒れた森も有料になった駐車場もボイスレコーダの能力も何の関係もない事物でしかありえない。目の前の今しかない、気を張っていないとばらばらになっていく今、逃れようのない暑さの今がいとおしくなる。

眠くなりながら考えを遊ばせていると何だかいい夏のような気がしてきた。まだ夏は続く。

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