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2012年9月25日 (火)

気温の変動幅が大きくなり気象が荒々しくなって

Kion850 彼岸がきてやっと涼しくなった。南の方をみるとオーストラリアの砂漠の気温も上昇しはじめ赤道をはさんで暑さがバランスしてきている。しかし今年の夏は暑かった、それに台風の強さが増して、豪雨もあちこちを襲い気象が荒々しくなってきたように感じる。

Kionmax8 過去120年くらいの気 温のデータをみると8月の暑さはここ20年くらいで目立ってきて、1月の寒さも同 様に緩んでいるが、良く見ると1月の寒さの緩みは終わりかかっているようにも見える。今年の冬の寒さがどうなるのかが注目される。今年の冬へ向かっての気象の動きはエルニーニョがどうなりそうかがひとつのポイントだが、日本の気象庁の予測も米国のNOAAの予測もペルー沖の海水温はやや高目の(エルニーKionminニョ側の)まま横ばいとしている、さてどうなるか。エルニーニョといってもこの夏は日本は冷夏とは とてもいえなかった。そうであればこの冬はエルニーニョ気味でも暖冬となるとは限らないことになる。この2-3年の傾向がつづくなら雪の多い冬がまた来ることになる。今年は富士山の初冠雪が早かった、ツバメの南下もはやいようだ。こんなときの冬はまた雪が多そうだ。富士山の初冠雪の推移と北関東の冬の平均気温の推移は平均的には同じような動きをしていて初冠雪もまたFujikansetu 早まる方向へ動き始めているように見える。夏は暑さを増す一方で冬の寒さは昔の寒さを取り戻しつつある。確かにこれでは不安定な天気が出やすくなる、台風も激しさを増し、竜巻も多くなるだろう。
どうしてこんなことになってきているのか、氷河期の末期の気象が大きく変動したヤンガードリアス期との類似性を考えると、北極圏の氷床が急速に融けることによって冷たい淡水が海面を覆い始め暖流の熱放出を抑えるようになる という説明が考えられるが、どうだろうか。そんなことが起こりつつあるのかもしれない。
ヤンガードリアス期の変動に打ち勝つために人類は農耕を開始したとも言われている。地球の手のひらで生きていくほかない人類は今度はどんな文明を生み出すことになるだろうか。そう思うと、次第に荒々しさを増していくこの頃の気象が、未来を切り開いているようで面白くおもえてくる。

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2012年9月21日 (金)

箱庭のような富士山にて

もう10年くらい富士山周辺に行っていないと思いついて山中湖の保養所へ出かけてみた。3連休で宇都宮から都心を通っていくのはいかにも混みそうなので まだ白岡と北本の間がつながっていないが東北道から圏央道へ渡っていくルートを走ることにする。つながっていない下道の部分は30分程度でそう混んでもいない。圏央道は八王子に近づくにつれて渋滞となる。中央道の小仏トンネル辺りの渋滞が圏央道のジャンクションまで伸びてきてどうにも動かなくなってしまっていた。どうしようもない。東京の混雑にここで出くわした思いだ。確かに東京から遊びに行くには富士山エリアは中央高速で一本だ。日光などと違い子供向けの遊び場も多い。混むわけだ。久し振りの渋滞で忘れていた東京からの行楽地へ向かう土曜日の混雑を思い起こしていた、随分昔から土曜日といえば放射状に出て行く道路は都心から渋滞していた、時は経ってもその光景は変わらない、何しろ人が多い。結局予定から1時間遅れの到着となってしまう。
天気は予想通り、雨にはならないが雲が2000mくらいから上を覆っていて富士山はその姿を殆ど見せない。五合目駐車場は2時間待ちとスバルラインの入り口で知らされるが五合目の手前の奥庭なら停められるらしい、ともかく奥庭に行ってみることにする。野鳥が集まる場所と聞いたことがある。奥庭の手前で雲底に達し雲の中だ、見通しが悪い、しかし山歩きには問題なさそうだ。駐車場は待つこともなく停められて、歩き始める。様子が分からないので重いスコープは置いていく。300mほど下りの石畳を歩くと茶屋があってその横にカメラの砲列が見えてくる。そばに行って聞いてみると小さな水溜りに野鳥が飛来するので待っているところだという、ホシガラスも結構現れるらしい。「小さな池」とネットにでていたのを思い出すが、Okuniwa7 水溜りというほうが正しい、思いの外小さい。撮影の場所取りも楽でもないようだ。しかし立派な高そうな望遠が並ぶ。デジスコは少数派だ、やはり時代は超望遠一眼に移っているようだ。少し待ってみるが何も来ないので遊歩道を周回してみる。コメツガやシラビソが盆栽とまではないが小さくなっていて確かに日本庭園のように見える、なかなかいい場所だ、どうやらこの辺りは古い火口らしい。簡単な食事をとって歩いていると鳥の姿が時々現れる、遠くて判別は難しい。そのうち先を行っていた連れから変わった鳥がいたとある、行ってみるがもういない、聞くとホシガラスのようだ、やや進むとシルエットが動くのが見える、そのようだがしかとはわからない。森林限界の直ぐ下で確かOkuniwa3 に野鳥が色々飛び回るエリアのようだ。また最初の水たまりに戻るとホシガラスが来て行ってしまったところだという、少しばかりボルテージが上がっている、その内ヒガラが飛来して水浴びを始める。何だヒガラかという雰囲気はなく一斉にシャッターが下りる。ずっと一日こうして見つめて待っているようだ。ちょっと付き合えない感じがしてこの場を去る。富士山の広大な自然と小さな水溜りを囲むカメラの砲列がなんともアンバランスに思える。しかしいかにも東京の鳥見という感じもしてくる。東京には東京の流儀があるようだ。Hyoketsu33 富士山は東京の裏庭のようなところなのだろう。
山を下って鳴沢氷穴や忍野八海にも行ってみるが、何処か奥庭と似た印象がある、箱庭のようなところに多くの人が押し寄せる、それも古くからそのようだ。富士山のように広大なものに対してはミクロな楽しみ方を見つけてそこを楽しむ、江戸らしいやり方のように思えてくる。忍野八海には中国人の団体がやたら目に付く、尖閣めぐって騒ぎがあっている丁度その時だが観光客は普通に写真を撮り合ったりして楽しんでいる。平和な風景だ。

栃木であれ東京であれ中国であれ、流儀が少しばかり違っても、つながれる部分が殆どなのだろう、つながっていることを感じながら流儀の違いを楽しむ、それがアジアに生きるということなのだろう。富士山はそんなことも教えてくれるような気がしている。

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2012年9月15日 (土)

ハドソン川着水機のパイロットの手記を読んでいる

ハドソン川着水機のパイロット、サレンバーガーの手記 “機長、究極の決断”を読んでいる。たまたま訳者から贈られた本だがよく書けている。

読みながら思ってHighest_dutyいた。9・11からもう11年たった。9・11は遠い地球の反対側の出来事だったが当時その余波はわが身にまで及んでいた。会社の勤続記念として予定していた10月の欧州旅行が一旦は中止となったのだ。指定範囲の旅行会社のツアーであれば会社から結構な支給があり会社を通じて申し込む形を取っていた、事件を受けて急遽この時期は海外渡航自粛となった。 今から思えば少々オーバーな決定のように感じるが、当時は航空機へのテロが予想もつかない規模で現実に起こった直後でまた何が起こるかわからないという雰囲気が世界を覆っていたことは事実だった。米国では急激に航空機の利用が落ち込んでいた。そしてブッシュが戦争を始めて不安の時代がまた始まっていった。思い出してくる。米国便は荷物に鍵をかけないようになり、登場前には靴も脱いで検査されるようにもなった。
思えばブッシュの時代は戦争に生き甲斐を覚えていると疑いたくなるようなホワイトハウスの挙動だった。しかしそれも8年後のオバマの勝利で終焉が決まった。そしてその冬、オバマの就任直前にあのハドソン川への奇跡の着水が起こっていた。

9・11から始まる航空機の旅への不安が確かにあの着水で 一つの気分的な区切りができていたような気がしている。

2009年1月15日、UAエアの1549便が午後3時すぎ、ラガーディア空港から離陸して2分少し過ぎ3000フィートに達する前にカナダガンのV字編隊に突っ込む。大型のガンを吸い込みたちまち両方のエンジンが止まる。速度は200kt程度だ。もっと高度があり速度があったなら他の選択肢があったろう。ギリギリ、ラガーディアへ引き返せなくもない微妙な位置だ。失敗すれば高層ビルへ旅客機が激突する、地上にも多くの死傷者が出る、それだけは避けたかった とサレンバーガー機長は述べている。9・11の傷が残っていた。ハドソン川に着水するという決断は非常に早い。カナダガンに衝突してから3分半後に機体は着水に成功する。著者のサレンバーガー機長は数倍長く感じたとも記している。頭の回転がいつもより速くなって脳がたくさんの仕事をしたのだろう。しかしグライダーでの飛行のことを思い起こせば3分半は決して短くない,それなりに考える時間があったようにみえる。ハドソン川が真っ直ぐで着水地点付近に橋がないのも幸いしている。それに近くの川岸にいたフェリーや観光船が何隻も極寒の中 直ちに救助に向かって機体が水没する前に全員を船に移している、 都市部でなければこんなことは起こらない。幸運が重なっている。
挿入してあるサレンバーガー機長の生い立ちからこの日に至るまでの苦味もある人生も興味深く、その部分だけでも読みいってしまう。夫婦に子ができず養子をとる、米国ではこんな風に養子を得るのかと初めて知る、養母となるサレンバーガーの妻が出産に立ち会ってそのまま引き取っている、合理的ではあるが生きるに厳しいアメリカの現実を感じてしまう。そういえばスティーブ・ジョブズも養子だった。こんなやり方がアメリカをどこかで支えているようだ。
いかにも現代のアメリカらしい本だった。

それにしても 航空事故はその時代をその瞬間で見事に切り取ってみせてくれる、そこにどうしても惹かれてしまう、また思ってしまった。

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2012年9月10日 (月)

フェルメールの技巧が

上野の東京都美術館でマウリッツハイス美術館展が開かれていてフェルメールの有名な'真珠の耳飾りの少女'が出展されているというので観に行った。昼からの同窓会の前にというついでだが、せっかく東京まで出かけるのだからと混雑も覚悟の上だ。近くに寄れないことを予想して小型の双眼鏡を持っていくことにした。これが思いのほか役に立った。
東京都美術館の直ぐそばの西洋美術館ではベルリン国立美術館展もありこれもかなり魅力的だが2つは時間的にとても無理だ。動物園の横を進んでいくと恐れていた通り長い列が見えてくる。切符を買って列に並ぶ、日差しが暑い。60分待ちの表示がある、中も混雑しているだろう、同窓会の始まりには少しばかり遅れるかもしれない。
50分位で中に
Photo入れる、レンブラント他いろいろいい絵はあるがともかくフェルメールの真珠の耳飾りの少女だ。
少しはなれたところから双眼鏡で細かく見る。驚いたことに表面にキラキラ光る点や線が無数にちりばめられている。肉眼で近くで見てもちょっと気がつかない ましてや印刷物では全く出てこない。こんな手法で人の潜在意識に働きかけているのか、面白い。光の向きの加減で特にキラキラ光る点もある。ガラスか宝石かそんなものが表面にまかれているようだし筋状のも見える。恐ろしく技巧的だ。絵の全体から受ける感動はそ
れほどでもないのだがそのうまさに見入ってしまう。日本画的なのかもしれない。

他の絵も双眼鏡で見ていくと今まで見た事もない細部が細 かく分かって面白い。例えば フランス・ハルスのアレッタ・ハーネマンスの肖像 の胸飾りは目いっぱい拡大してみてもその華麗さが崩れない、どこまでも細密だ。この技巧がこの時代の画家の最も誇るべき価値だったのだろうか。肖像画に描かれた人物の衣服がことさらに細かいレースや飾りで溢れている。もしかしたら画家が受け取る対価がこの技巧ではかられたのかもしれない。少し分かったような気がしてくる。
きらきら光る点がまぶされ
Photo_2た絵も他にも見つかる、技巧が命だ、そこが響く。
フェルメールの絵は今までに何枚か見たことがあるがそういえばほとばしる迫力というより技巧の驚きだった。考えてみれば技巧は時代を超えた普遍性がある、分かり易さがある、フェルメー
ルに多くの人が殺到する、そんな分かりやすさを求める時代にまたなってきたのだろうか。

時間が押している、慌しく上野駅から同窓会の新橋にたどり着く。顔はわかるが名前が出ない、同窓会らしい流れすぎた時間を感じながら波のように時代が繰り返されているのを思う。
どこまで波打つ時は流れていくのだろうか、あと1億年はこんなことが続くのだろうか、ぼんやりと考えていた。夏も終わりだ。

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2012年9月 7日 (金)

デレチョという気象現象が

デレチョ(Derecho)という気象現象が少し気になっている。
米国で開発が進められている新航空管制システムNEXTGENが完成すれば 気象情報を適切に共有でき 6月29日に発生したデレチョのような過激な気象も含めて気象による航空交通への年間270億ドルにも及ぶ損害の2/3は回避できることになるだろう、との記事にたまたま行き当たったことがきっかけだ。NEXTGENがそんなにうまく機能するだろうか、そもそもデレチョとは何か。少し調べてみる。デレチョという言い方は米国特有の表現のようだ。レーダーエコーで発達したボウエコー(弓状エコー)を米国ではこう呼ぶとwikipediaにある。発達した積乱雲Derecho が弓状になってレーダーエコーに特徴的な形を現していることになる。幾つかのサイトを読んでいくと次第に分かってくる。
年に1-2回発生するだけと記されており最近では6月29日夜にワシントンDCを駆け抜けた。ワシントンDCダレス空港の6月29日のMETARデータを読み出してみる。ひとことでいえば巨大な雷雲前線といっていい。五大湖南の内陸部Derecho2 で発生して一気に東海岸まで走り抜ける。雷雲前線の背後で起こるダウンバーストによる強風がものすごく 渦をまかないハリケーンという表現もあるくらいだ。この日は平均で22m/s、ガスト(瞬間最大)で31.4m/sまで吹いている。ダウンバーストに押されるように雷雲前線は東に駆け抜ける。すぐ北側をジェット気流が東西に走っており 上層の気流に近い速度でダウンバーストの風が雷雲前線を押すことによって低層から高層までの循環パターンを保ったまま東に走り抜けるようだ。この日は非常に暑い日でワシントンでは日中40℃にも達していた。北の大気との境界となるカナダ国境線付近で積乱雲が巨大に成長しジェット気流のラインに沿って走り始めている。GPV予測では雷雲の可能性を示すショワルター指数は-4.0とボーダーであるゼロを大きく割り込んでいる、宇都宮辺りでも-3を下回る数字は見たことがない。強度の不安定だ。
3日前の宇都宮の雷雲前線と較べるとその強さは際立っている。宇都宮の雷雲前線はやはり通過と共に気圧がやや上がり強風が吹き出しているがワシントンの場合より気圧の上がり方は1/5位で風も瞬間最大で15m/sほどだ、風のエネルギーでは4-5倍違う。雨が強いのが宇都宮の特徴だがダウンバーストが強いと雨どころではないのかもしれない。こんなのが通れば航空網は大混乱になる、飛ぶに飛べず降りるに降りれずとなる。
アメリカの気象はマクロは単純なところがあるがローカルには竜巻といいデレチョといい とんでもないことが起こっているようだ。自分の身は自分で守るしかない、いざというときは誰にも頼ることはできない、そんな精神もこの風土から生まれてくるのだろうか、アメリカを形作る精神も結局は地球に支配されているのだろうか、色々考えてしまう。

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2012年9月 2日 (日)

デジスコ作り2

作りかけたデジスコの、レリーズを何とかせねばと思ってまた工作にかかる。

昔使っていたレリーズがどこかにあったはずだったがと探してみるが見つからない。この間まで見かけていたが最近使うことがなく邪魔なように思えていた、探すと見つからない、不思議だ。ともかくネットで買うと幾らだろうかと調べるとケーブル長25cmのもので500円台である、デフレだ。アマゾンで送料無料というからこれは赤字ではないかと思ってしまう。ついでに固定を金具で行うとすると三脚用のねじ穴を利用することになろうとこのねじもネットで探してみる。ビッグカメラのサイトで180円で売っている、やはり送料は無料だ。当然メール便だろうと思っていると30cm四方くらいの立派な段ボールに入れて送られてきた。機械的に統一した梱包としているのだろうが 過剰さに心底驚いてしまう、緩衝材の中に埋まった小さなねじを見つけて何かの冗談ではないかとさえ思えてくる。レリーズも同じくらい立派な箱でくる。どうなっているのだろう。

さて如何にレリーズを取り付けるか、レリーズの先にねじが切ってあるがテーパしている、これではナットもつかない。軸の平行なところにダイスでネジを切るというのがネットに出ているけれどもそこまでしなくても、何かプラスチックにきりで穴を開けてレリーズをねじ込んでいけばつくのではないかと思える、試しにもう使えなくなってしまったスティック糊のふたにねじこんでみる。思いのほかしっかりつく、これを利用することにしよう。およそ構想がきまってきたので三脚ねじからシャッターまでをつなぐ金属プレートをホームセンターで買ってくる。カメラに合わせてプレートを曲げ、プレートにあいた穴を利用してレリ-ズをつけることにする。レリーズ取り付けにはフェルトペンのキャップがよさそうだ、 かすれたフェルトペンならいくらもある。キャップの長さを合わせて切ってレリーズをねじ込み プDejisuko2 レートを挟み込んで固定する。うまくいく。しかしこんなに廃物利用で工作ができるというのはいかにごみをかかえているか証明しているようなものだ、全く自慢にならない。

とにかくできたので試しにシャッターをレリーズで切ってみる。シャッターの真ん中を押すようにしておかないと滑ってシャッターがうまく下りないようだ、とりあえずはセットする毎に真ん中に来ているか確認することにする。
庭でスコープと組み合わせて試し撮りをする、今度はカラスDejisuko3 Dejisuko5 がいる。距離は80mくらいだ。やはり倍率を上げるとピントが難しいように思える、レリーズによるブレがでているのかもしれない。タイマーと併用して使うのがいいのだろうか、色々フィールドで試してみるほかない。道具ができるとまた遊ぶ理由ができていい。

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