フェルメールの技巧が
上野の東京都美術館でマウリッツハイス美術館展が開かれていてフェルメールの有名な'真珠の耳飾りの少女'が出展されているというので観に行った。昼からの同窓会の前にというついでだが、せっかく東京まで出かけるのだからと混雑も覚悟の上だ。近くに寄れないことを予想して小型の双眼鏡を持っていくことにした。これが思いのほか役に立った。
東京都美術館の直ぐそばの西洋美術館ではベルリン国立美術館展もありこれもかなり魅力的だが2つは時間的にとても無理だ。動物園の横を進んでいくと恐れていた通り長い列が見えてくる。切符を買って列に並ぶ、日差しが暑い。60分待ちの表示がある、中も混雑しているだろう、同窓会の始まりには少しばかり遅れるかもしれない。
50分位で中に入れる、レンブラント他いろいろいい絵はあるがともかくフェルメールの真珠の耳飾りの少女だ。
少しはなれたところから双眼鏡で細かく見る。驚いたことに表面にキラキラ光る点や線が無数にちりばめられている。肉眼で近くで見てもちょっと気がつかない ましてや印刷物では全く出てこない。こんな手法で人の潜在意識に働きかけているのか、面白い。光の向きの加減で特にキラキラ光る点もある。ガラスか宝石かそんなものが表面にまかれているようだし筋状のも見える。恐ろしく技巧的だ。絵の全体から受ける感動はそれほどでもないのだがそのうまさに見入ってしまう。日本画的なのかもしれない。
他の絵も双眼鏡で見ていくと今まで見た事もない細部が細
かく分かって面白い。例えば フランス・ハルスのアレッタ・ハーネマンスの肖像 の胸飾りは目いっぱい拡大してみてもその華麗さが崩れない、どこまでも細密だ。この技巧がこの時代の画家の最も誇るべき価値だったのだろうか。肖像画に描かれた人物の衣服がことさらに細かいレースや飾りで溢れている。もしかしたら画家が受け取る対価がこの技巧ではかられたのかもしれない。少し分かったような気がしてくる。
きらきら光る点がまぶされた絵も他にも見つかる、技巧が命だ、そこが響く。
フェルメールの絵は今までに何枚か見たことがあるがそういえばほとばしる迫力というより技巧の驚きだった。考えてみれば技巧は時代を超えた普遍性がある、分かり易さがある、フェルメールに多くの人が殺到する、そんな分かりやすさを求める時代にまたなってきたのだろうか。
時間が押している、慌しく上野駅から同窓会の新橋にたどり着く。顔はわかるが名前が出ない、同窓会らしい流れすぎた時間を感じながら波のように時代が繰り返されているのを思う。
どこまで波打つ時は流れていくのだろうか、あと1億年はこんなことが続くのだろうか、ぼんやりと考えていた。夏も終わりだ。
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