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2012年10月 4日 (木)

ファイルを消し雑誌を捨て

会社勤めを終わりにすることになり会社の机を整理していたが、パソコンも空にしなくてはならないと順番にメモリーを消していった。大事な思考過程や報告や まとめ文書がたちどころに無に帰する。メールボックスも全て消していく。過去を消滅させるような気分になるが、あっさり消してしまうと背負っていたものがふっと無くなったように重苦しさが消滅していく。引き出しの書類も捨Sora てていく。一枚一枚見ながらとりあえず残すものと捨てるものを分ける、これを2回3回と繰り返していく。次第に残すものが少なくなって最後には僅かなファイル1冊となる。机一杯に抱えていた書類は殆ど跡形もない。いざとなれば捨てられるものだと半ば感心する。しかし捨てにくいものもある、MOだ。一時は容量の大きなファイルを手軽に残すにはこれしかなかった。今更MOを読み出す装置も周りには無くて使い道も無い遺物になっていたが捨てるとなると厄介極まりない。内容が読み出せないようにして捨てるには物理的に壊すしかない、しかししっかりできている、壊すのにも随分手間がかかる。ともかく壊しながら考える、今使っているメディアもいつまで使えるだろうか。しばらくすればまた廃れるのだろう。これが進歩なのだろうか。

自宅の書類も整理し始める、半年もしないうちに引越しだ。
とりあえず雑誌を整理し始める、中身を見ながら仕分けていく、これが結構面白い。パソコン雑誌が1995年から数年分が残っていたが1995年が劇的だ。この年は阪神大震災もあり、オウム事件もあり,記憶に残る年だが、インターネットが一気に広がりだした年でもあったと蘇ってくる。3月頃の雑誌ではまだnifty-serveのパソコン通信が雑誌の中心にあるが6月頃からWWWが俄然具体的になり接続法やネットサーフィンやイエローページなんかが登場してくる。確かにこの年に自分もネット接続を開始しホームページを立ち上げたように思う、定額接続のプロバイダ(bekkoame)がやっと宇都宮にも展開を始めていた。接続は28.8kbpsが最速だった。それにしても雑誌の広告に出てくるパソコンやモデムの値段が高い、パソコンは大半が15万円以上だ、雑誌自体の値段も高い。全体の価格帯がいまやデフレに陥っている。歴史的記念に少しは残しておくかと厚い雑誌を読んでみるが今となっては空疎な内容ばかりで残す気にもならない、そもそもは付録の無料ソフト目当てで買った雑誌だ、これは気持ちよく捨てられる。中にhtmlの書き方を要領よくまとめた薄い雑誌もあったりする、これは今でも殆ど使えるので残すことにする。ネットの根幹の部分は17年前と変わらないことにある種の不思議さを覚える。ブラウザがバージョンアップして過去のページが見られなくなるというのは確かにまずい、ここまで根を張ったインターネットだからこそ勝手には過去のルールから抜け出すことができない。MOのように廃れてしまって過去のものは実質役に立たないというわけにはいかない。ハードは命が短いがソフトは命を永らえる。過去を引きずりながらインターネット自体は今後どう進化していくのだろうか。長い紐のように進化していくのだろうか。捨てながら考えていくのがまた面白い。

時々はこんな風に抱えているものをクリアしたほうがいい。半年後にはどんな世界が待ち受けているだろうか。何をするというのでもないのだが新しい世界への思いが少しばかりの不安と刺激を与えてくれる。

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