古墳を追って
やっと涼しくなった。台風が続けてきて秋らしくなっている、17号が過ぎれば冷たい北東の風が寄せてくるようになり、秋も深まりそうだ。この時期はタカの渡りが気になるところだが、信州白樺峠は例年通り9月26日にサシバの渡りのピークを迎え、いつもと変わらぬ季節の移ろいを感じさせているようだ。ツバメなどとは違ってタカは冬の寒さや夏の暑さには余り影響されず同じ頃に渡っているように思える、強いものは少々の変化にピリピリして動くこともないのだろう。タカの渡る時期が変化するときはもはや気候の変動がタカの手に負えなくなるときだろう、そういう日が来ればそれはちょっとした事件だ。
前から気になっていた壬生の古墳を見に行った。何かと予定が入って時がころころと流れていき、訪れてもう1週間経ってしまっている。古墳が気になるのは昔からで幼い時には学校の歴史研究のクラブに入って土器を拾いに行ったりもしていた。時々そういう昔の感覚が波を打つように蘇ってくる。
壬生の町の直ぐ北に車塚古墳という国指定の史跡になっている円墳がある、この日はまずこれだ。案内板の測量図を見ると本当に見事な円だ、後でネットで調べたところ、古墳時代末期の周溝と外堤の残る
円墳としては国内最大とある、そこまでいうか、と思うほどだが、確かに大きいし更に濠と土手が明瞭に残っている。石室も中に自由に入れる形で残されており、かなり大きな石を板状に切って綺麗に組んである。1400年前のものとの説明があるがしっかりした土木技術だ。
古墳には大抵覆うように林が残されているがおよそ木が細い、古墳に巨木を見たことがない、ここもそうだ。長い時代にわたって時々切られているのだろうか、しかしどこも神社の鎮守の森とは感じが違う、もしかしたら木々が生えないように維持され続けたものが明治以降放置されるようになったのかもしれない。時代の雰囲気の変化に思いを巡らしてしまう。
直ぐ横には牛塚古墳と呼ばれる前方後円墳がある。このあたりは他にも小型の古墳があるらしく車塚古墳群とも呼ばれているようだ。また南に3kmほど下ると県内最大の前方後円墳といわれる吾妻古墳がある。こんなものを次々に作っていたのではいい場所は直ぐになくなってしまうだろ う、人口が増えてくるとこんなことは続けられない、が、人口が少なくても労働力が集められず大きな古墳はやはり築けない、時代のころあいというものがあるようだ。古墳を建造する慣わしは西暦200年代にはじまったとされているが栃木に残る大型の古墳は6-7世紀頃の古墳時代末期のものが多いように思える。次第に下野の国が人口を増し強くなってきた時代の反映なのだろうが、大型化が行き着いたところで突然のように古墳時代の終わりが来る。大和朝廷の中央集権化が強まり豪族が圧倒的強さを地域に対して持っていた時代が終わって強さの質的な変換があったのだろうか、もはや無理が高じていたのも原因だろう。
古墳を追ってみても結局はそれだけだ、そこから何かがまた始まるというものでもない。流れている時を直接的に俯瞰してみたいという純粋な願望だけが古墳を追う気持ちを動かしているように思える。はるか太古の昔からの時の流れそのものが実は最も気になっていることなのかもしれない。本当に時代は繰り返してはいないのか、本当に前へ進んでいるのだろうか、この先も進めるのだろうか。その答えを追っているのかもしれない。
日々の繰り返しと四季の移ろいとひたすら前に進んでいく時代の流れ、2重螺旋状の時に秋らしい感傷が漂っているようにも思える。秋は深まっている。、
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