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2012年10月14日 (日)

クリとドングリと縄文と

秋も盛りとなった。奥日光では初氷も伝えられる。晴れた日が続く秋は野山へ出かけなくとも十分気持ちがいい。
このところ昼食後近くの健康の森を歩くことが多いが、歩きながら落ちているクリやドングリが気になる、まずはクリを拾ってみる。クリはその場で実を取りKuri 出すのができればいいが難しい時はイガのついた状態で帽子に入れて持って帰って自宅で栗の実を取り出す。栗ご飯にすると 少し拾っただけでも飽きるほど食べられる、得した気分になる。歩いているとドングリを拾っている人も居る、縄文人はドングリを保存して主食にしていたと聞いているので試しに食べてみるかと拾ってみる。クヌギは大きくて良さそうだ、コナラやシラカシの実も沢山落ちている、クリより拾うのはずっと容易だ。
でもドングリはどうやって食べるのだろう、帰ってネットで調べてみる。するとDonguri スダジイの実ならそのまま煎っても食べられるが、コナラやクヌギはアク抜きが不可欠とある。煮ればいいのだろう、縄文人はスダジイだけを食べたのではあるまい、栃木には縄文のドングリ貯蔵穴が発見されているがスダジイの木はこのあたりにはあまり見ない。更にネットで調べてみると、アク抜きがドングリの大きな問題であることが分かってくる。実際に縄文の食し方の研究としてアク抜きを調査・やってみた報告がみつかる。それによれば、クヌギはことさらアクが強く現在の民間伝承でもクヌギのアク抜きは伝わっていない(つまりあきらめている)という。実際にアク抜きを川につAkunuki けて流水で行ってみるとコナラ類は100日程度かかった、クヌギは抜けきらなかった とある、これは大変な努力だ。煮れば確かにこれよりは短く5-7日で済むがかかりっきりで水を変えねばならないし肝心の澱粉が溶け出して流出しやすい、縄文人が煮るだけでアク抜きしたとは考えにくいようだ。発見されるドングリの貯蔵穴は湧水があるところに集中しており、穴に蓄えられたドングリがつねに新しい水に晒される構造になっているという。縄文人もアク抜きにはかなり知恵を絞ったようだ。さらに、アク抜きしたドングリを乾燥させて製粉してもそのままクッキーとして焼き固めることは実際にはできず、たとえば米や小麦のようなつなぎが欠かせないという。米の栽培が始まる前では別のものを用いていたのだろうがこの報告からはよくわからない。縄文はドングリを主食にして豊かに暮らすというイメージではなくアク抜きと練り固めに悪戦苦闘する縄文人の生活が浮かんでくる。コメの栽培が始まると山に豊富にあるにせよドングリに頼る食生活が廃れるのは分かる気がしてくる。
ともかく自宅に持ち帰ったドングリの皮をむいて水に晒してみるが確かにアクは止め処も無く出てきて替えても替えても水のにごりは取れない。煮沸を繰り返してもアクが抜けたという状態には簡単にはならない。これは大変な手間だ。もしかしたら北ではクリやクルミ 南ではこれにスダジイというのが縄文人の主食でコナラ類のドングリは食料が危うくなった時の非常食だったのかもしれない、手間がかかりすぎる。
食べていくことが生活の中心だった縄文時代が思い浮かぶ。食べること以外に
少しずつ 何かができるようになって人類は前へ進んだのだろう。この先どこまでいくのだろうか。次第に考えていくのが面倒になってくる、秋は飽き易い季節でもある。

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