ドングリその後
次第に寒くなってきた。
10月の上旬に拾ってきたドングリをなんとかクッキーにして食べたいものだと水に晒したり煮たりしてアク抜きを続けていたが一向に抜けきらない、しびれを切らして渋みが残ってもいいかと打ち切って天日干しにして乾燥させた。結局2週間アク抜きを続けたことになる。1日半ほど太陽に当てた後ミキサーにかけて粉にしようとするが固くて粒が細かくならない。すりこぎも試すが少しはましになるもののまだまだ粒が大きい、これでは到底つなぎ無しではクッキーになりえない。ともかく小麦粉のクッキーにまぶすように混ぜて焼くと一応出来上がる。なんとか食べるところまで辿りついた。歯に感じる粒は良くかまないと消化に良く無さそうだ。味は悪くは無い、しかし胃にもたれるような気がして沢山は食べられない。
縄文人はどうやってつなぎを作っていたのだろうか。ヤマイモでも使ったのだろうか。思ったよりドングリは手間がかかるやっかいな食物だった。
今日も市内の長岡の森を歩く。ドングリやらクリが散乱している、その先の谷には忘れられたような田も見えてくる。もしもっとドングリが楽な食べ物だったら縄文人はコメ作りに走ることも無くもっと縄文文化は長く続いただろうし、人類の歴史は違ったものになっただろう。食べにくいドングリ、たったそれだけのことの重みが面白くも思える。重々しく見える人類の歴史もそれくらいのことでしかないのかもしれない。
もう秋も終りだ。
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