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2012年11月28日 (水)

朝鮮半島にロケットの季節が

韓国の宇宙ロケット羅老(ナロ)の全羅南道羅老宇宙センター打ち上げが11月29日に予定され、一方では北朝鮮のテポドン2改と見られるロケットの打ち上げ準備が東倉里ミサイル基地で進んでいる、朝鮮半島はロケットの季節を迎えているように見える。いずれもロシアのロケットをベースにしているがいずれも未だ人工衛星の打ち上げには成功していない。29日は気象からは地上風はそれほど強くなく雲も午後には晴れてくる見通しで打ち上げとしてはまずまずの条件と見られる。羅老ロケットは1段目がロシアのアンガラロケットそのまま2段目は韓国製個体ロケットで過去2回の失敗原因も両国間でのなすりあいの形となっており原因追求が十分にはできなかったともいわれている。
北朝鮮の打ち上げは今回もICAOに予告して人工衛星の打ち上げの形を取ると予想され、韓国の打ち上げ後に予定が明らかにされると見られる。朝鮮半島からの打ち上げは地理的制約からコースを南向けに限られ自由度が低く実用的な意味より技術誇示の意味合いが強いと思わざるを得ない。人工衛星の打ち上げは例えばドイツのように他国に隣接する欧州の国々は自国内からは打ち上げられないのが常識であり、韓国・北朝鮮も地理的な位置の制約を認識し国民にもそう説明すべきところ国内向けにはそうも行かない面があるようで難しい国情を思わせる。
ともかくまずは29日の打ち上げがどうなるか。

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金沢へ行けない

金沢へ行けない。日本もあちこち行ってみたが能登と金沢辺りは行った事がない、一昨年の夏に輪島・金沢に遊びに行こうと計画したがフェーンでとんでもなく暑い日が予想されてギリギリであきらめたことがあった。今回九州まで行くのに金沢経由で東京を通らずに行くというアイディアが気に入って宿も金沢と倉敷を予約して準備してきたがどうにもかなりな寒波が押し寄せることが確実となって2012120109kion 上信越道から日本海に抜けるというルートに吹雪が予想され、これは九州までたどり着けるだろうかと不安が沸きあがってきた。吹雪の高速道は感じよくない、自分はしっかり走っていてもいつ事故に巻き込まれるか分からない。しかし雪も面白い。散々悩んだ挙句安全な南回りに変えた、また東京を通らねばならない、5時に出発しないと渋滞に巻き込まれる。うんざりだ。東京に住む住民や中央官僚は尊大なところがあって東京をバイパスする高速道がどれほど必要か切実感が全く無いのだろう、いくらたっても道はできない。それにしても金沢とは相性が悪い。夏も冬もだめなら秋か春しかない、九州に移ってしまうともはや行けるような気がしない。輪島も無論行った事が無い。こんなところもあるものだ。
また奈良に寄って今度は平城京やら仁徳天皇稜やら気になっているところでも回ってみるかとも思っている。金沢に行けなくてもまだまだ見るべきものは山のようにある。

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2012年11月24日 (土)

ipadの向こうにジョブスの皮肉な笑い顔が見えて

ipadを思いがけず贈られて喜び勇んで使い出したがWindowsマシーンのパソコンとは随分と勝手が違う。データのマネージがやりにくい。簡単でもマニュアルがあると分かりいいのだが紙のマニュアルは無くて中に入っているマニュアルもなにか違う。アレ と思うたびにジョブスの皮肉に笑う顔が浮かんでくる、ジョブズのポIpad1 リシーの塊のように思えてくる。まずはポインターがなくて全てを指でしなくてはならない。入力文の修正がやりにくい。ファイルフォルダを新たに作って格納する、ということができない。そもそもがiphoneを大きくしたのがipadなんでパソコンと同じように扱おうとすること自体が間違っているようだ。使っているとパソコンからデータを送りたくなる、これが色々厄介なことを引き起こす。USBでつなげば直ぐできるという類のものではない。icloudとitunesを使うことになる、icloudだけでは画像とメモしか送れない。勿論メール添付で送ればなんでも可能だがいかにもオフラインだ、かったるい。写真をitunesで送るとipadで受けた写真はipad側から消せなくなる。非常に奇妙な感じがする。ipadは受身の立場になっているということらしい。限りなくいらいらしてくる。そもそもitunesからの写真の転送はいらつくほど遅い、その上itunesを使い始めるとicloudにパソコンからアップした写真が読めなくなる、なにか拒絶されているように思えてくる。itunesは基本的に音楽をダウンロードするサービスのために作られている、付随する機能が転送なのだから少々のことはあきらめるほかないのだろう。青空文庫のデジタルブック形式ebkも読めない、アプリも配布されていない。日本の文学でも米国のサイトから読みに行けばweb上で縦書きのブック形式で読むには読めるが、それも奇妙だ。表形式のアプリ、numbersというのをアップルストアから850円で買ってみるがこれはひどい。無料で出回るレベルの表計算ソフトだ。Excelが読めるといっても(気象の計算に使っている)ちょっとした計算のシートも読めない、なかば騙してでも儲けたいというアップルの思いが見えてくる。パソコンのように使おうとするipadに楽しさはない。
しかしインターネットの道具と割り切れば使い心地はいい。字が楽に読める。EMobileのポケットWiFi/EMチャージと組み合わせると別にソフトバンクと電話契約しなくとも気楽にどこでも使える。結局Windowsパソコンも使うしipadも使うということになって思想の違う道具をいしょくたにいじることになる、ガチャガチャしてくる感じは避けられないが、それはそれで今風で面白い。Windowsパソコンの役割も次第に鮮明になってくる。とにかく手にしたものは文句を並べずに慣れて楽しんでいくと少しばかり世界が広がったような気がしてきて何だかいい。

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2012年11月22日 (木)

物を捨てる、売る

物を整理し始めると、捨てても捨ててもわき上がる様に物が出てくる。疲れる。しかし今まで出くわしていなかった世界にも行き当たったりもする。それもちょっとした楽しみだ。

たまった航空雑誌を整理しようとまずは発行本の殆ど全てがある航空ジャーナルから始める。1974年に創刊され既に20年以上前に廃刊になった雑誌だが内容には信頼感があった。何処か引き取らないかと神田の航空雑誌を扱っている古本屋に電話してみるが航空ジャーナルは在庫がたくさんあり引き取りはしないという。雑誌はなかなか難しい。月刊誌なら買い取ることは可能と電話で答えてくれた近くのブックオフに持ち込んで見積もってもらうが、ページの上部に日焼けしたような変色が入り始めており状態が良くないとして結局引き取ってもらえない。そんなところが分かれ目かと知らされる。内容というより痛み方ですべからく査定される形だ。どうやらゴミとして捨てるほかないようだ。数冊見てみても手にした当時の面白さが抜けている、そんなものなんだ。市内の資源ごみ回収業者を探して持ち込む。ちょっと無残だが最近は読み直すことも無いし恐らく死ぬまで見ないだろう と綺麗さっぱり捨ててしまった。航空情報もあらかた処分したがこちらはブックオフで値がつくものがあって1冊20円弱で50冊くらいは売れる、とにかく再利用してもらえるならと少しは気が楽だ。子供の読んでいた単行本のマンガもブラックジャックだとかコチ亀だとかアラレちゃんだとかまとまったシリーズを全て処分する。こちらは奈良の買い取り業者に送料無料で送ってそちらで見積もってもらうが航空雑誌よりはかなりましな値がつく。売れるというのがともかくうれしい。
パソコンも難しい。古いMacのパフォーマを10年以上ぶりに動かしてみる。ちゃんと動く、色も綺麗だしMacのフロッピーも普通に使える、捨てにくい。更に昔のMSXパソコン(sanyo PHC-30)も出てくる。これはテープベースだし動くまいと思って試しにテレビにつなげてみるとちゃんと動く。昔作ったBasicのプロPc30 グラムもテープをセットして読み込ませるとちゃんと走る。驚いてしまう。グライダーの重量推算プログラムなんかも出てきてワールドクラスに応募した顛末が蘇ってくる。遠い昔でもないがあの頃は自宅で動かすにはMSX位しかなかった.。航空機の運動計算も質点系+バンクならほぼリアルタイムでシミュレーションできてコマンドを入れて飛行させたりしていた、勿論ルンゲクッタで連立微分方程式を解きながらのシミュレーションだ。あっという間に高性能パソコンだらけになってしまった世の中を思い返す。ともかくこれも捨てられない。
ピアノはもうこのところ遊んだことがない、これを運ぶのは少々大変と売ることにした。ネットで7社くらいに査定してもらうと思ったより値がつくし、直ぐにも現金払いで引き取りに来るという。専門のメンテ業者が手を入れた後 殆どは欧米、アジア等海外に出されるとの説明が買い取りサイトにある。中古車同様日本の中古ピアノは売りやすいようだ、日本という国に眠っている価値はまだまだ沢山あるように思えてくる。売り払ってもともかく世界に繋がっていくイメージがいい。

整理は遅々としているがじりじり進んでいく、過去が現れては去っていく。その先なにをやろうか、やりたいことは山のようにある気がしてきて、また捨てなくてはと思い続けている、しかし捨てにくい。

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2012年11月13日 (火)

ヒッグス粒子と宇宙観と宗教と

スイスへ7月はじめ遊びに行っている最中にCERN(欧州原子核研究機構)からヒッグス粒子発見のニュースが流れていた。CERNといえばジュネーブだこれもスイスか、位でそれほどのインパクトを感じていなかった。CERNといえばweb発祥の地 という印象が強かったが確かに素粒子の研究は本業だ、新しい素粒子の発見があるとすればここしかないのだろう、位に思っていた。要するに素粒子の世界はあまり知らなかった。
先週そういえばヒッグス粒子ってなんだっけと図書館から新書版の解説本を借りてきて読んでいる。「ヒッグス粒子と宇宙創生」という本だ。結構読みやすい。
Higusu 7月4日のヒッグス粒子発表は確かに素粒子に質量を与える17番目の素粒子の発見でこれまでの標準理論(もともと素粒子には質量が無いという考えを基本にしている)の妥当性が確認された意味では大きいようだが、ここで一区切りというわけでもないようだ。ヒッグス粒子はヒッグス場の中で動く素粒子に質量を与える形の素粒子だが、物質全体の2%の質量を与えるに過ぎないといえばなーんだという気がしている。陽子、中性子はそれぞれ3個のクオークでできているが、クオークをくっつけることが質量を与えこれが物質全体の98%の質量を与えているという。くっついたことで動きが遅くなり「カイラル対象性の自発的崩れ」が起こって質量が与えられる、というのだが、ちょっと手に負えない感じがしてくる。そこに質量というエネルギーが溜まっているからくっつかざるを得ないと理解すれば何となく分かるが、順序は逆のようだ。どちらが卵でどちらが鶏かわからない。そもそもこのエネルギーはどこからきたのかといえばそれは説明がないらしい。分からないことだらけだ。
宗教は宇宙を解き明かすことでその存在価値を高めていたように思う、現実の宇宙は理論や観測が進んではいるもののその成り立ちや仕組みはいまもって謎だらけだ。何故標準理論が成立しているのかも解らない、知れば知るほど謎だらけということが解ってきているように思う。しかし理解も深まっている。宇宙の本質的理解が深まれば本来宗教も変われねばならないのだろう、変わらない式典宗教にうんざりする気持ちがある、とんでもない新興宗教にもあきれ返る。無税で優遇されるほどに宗教法人は有難いのか、もうそんな優遇は終わりにする時代になっているのではないか。宗教の名の下に差別や殺戮が行われ続けている世界の歴史風景もそろそろ変わらなければならないのではなかろうか。

少なくとも人は宇宙を支配する本当の理屈を共有でき理解し合える未来を持たねばならないように思えている。

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2012年11月12日 (月)

ムチンの話

2週間少し前テレビのためしてガッテンという番組を何の気なしに見ていたら視力の話をやっていた。眼球の表面のねばねばした液(ムチン、mucin)が切れてくるとドライアイになって見え方がゆがんで視力が落ちてくる、ムチンの分泌を促す目薬を使うとこれはかなり改善されうる、この目薬は最近普通に眼科で処方してくれる様になった、世界中で日本だけだ、との話だ。このところ視力が落ちて眼鏡屋でもなかなか補正できなくなっている、これかもしれなMucin い、と頭に入った。眼医者へ行かねばならないが 眼医 者というととにかく混んでるというイメージがあってなかなか出かけられない、2週間ほどしてやっと時間が作れて忘れないうちにと出かけた。近くの眼科だが恐れたとおり1時間半待ちでやっと診察に及ぶ。診察前に症状を用紙に書いて出すやり方の医院で、ムチン分泌促進の目薬処方を希望するむね書いておいたら、テレビでやってたあれですね、と話が早い。一通りの検査をしてジグアスというジクアホソルの入った目薬を1か月分出してくれた、確かにこれだ。1日に6回さすことになっている、2時間半おきとは忙しい。早速点眼を始める。確かに数回目でちょっと見やすくなった感じがする。これはいいようだ。視力がいくら戻るかは分からないが見やすくなっただけで随分気分がいい。
病気というのはだんだん治療法が良くなっていて、短絡的に切ったり手術したりせずに先延ばしする時代になってきたかなと思っている。視力が落ちてきたら白内障が主因なので白内障の手術をして水晶体を人工のレンズに取り替えればひとまずよくなると医者に言われてきたが、手術というものはどうにも気が進まない。人工レンズは調整機能の無い単眼というのもあってとにかく遠近両用メガネで先のばししていた。気になる免許も眼科で細かく調整した処方でメガネを作り直し5ヶ月前に更新はなんとかクリアした。しかし先延ばししていると少しはいい話も出てくる。ムチン分泌で画期的に視力が良くなるというものでもないが、近視が更に悪化するのを食い止められるかもしれないと期待している。

時代は進む。人間はサイボーグのようになって寿命を延ばすことになるかと思っていたが案外に優しい技術が現れてくるのが頼もしくもある。

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2012年11月 8日 (木)

万里の長城での遭難とシンドラーと

中国の万里の長城で遭難事故があった同じ日に金沢のシンドラーエレベータ事故が報道された。それぞれ凡そ三年前の事故が繰返されているように見える。
万里の長城遭難事故はいわば気象の事故だ、微妙に予測が外れたところで起こっている。3年前のトムラウシ遭難事故もそうだった。トムラウシ事故は当時の気象予測でもそれほどまでに気象が悪化すると推定されたわけではなかった、ただ、こんなBannriame 日に行動するのか、という声は参加者から上がっていたといわれる、予報以上に悪化する兆しが現地では感じられていたように思う、しかし気象予報に引きずられた。今回の遭難事故も、現地付近の当時の予測データを見直してみると、標高700m付近では降水は殆どが雨で雨の終わり頃みぞれから雪に変わるという予報になる。低気圧がまずは南風を入れて雨を降らせ追って寒気が到来して雪となる図式だ。しかし実際には早くから雪になった、気温の下がり方が予想以上だった。それにしても降り始めは雨だが相当な降りだ、風も強い。冷たい雨だし1日降り続くことは少なくも予想されたはずだ。強い風に豪雨の歩行は辛い、連日の15kmのトレッキングを更に続行することには参加者は疑問を生じていたのではないかとも推測される、強がりはあったにせよだ。トムラウシも今回も気象の予測に頼りすぎている印象がある、予測が悪い方へ外れたらどうなるか、これを考えずに少々無理でも行動するというツアーを引っ張る立場の判断の危うさが感じられる。トムラウシの事故の反省が表面的に終わっていたのではないだろうか。気象予測は未来予測だ、本質的に限界がある。
シンドラーエレベータの事故も全く同じパターンだ。表面的には前回の事故への対応はなされている。しかし事故は繰返された。本質的は教訓を生かせていない、恐らく経営の姿勢に問題があるのだろう。
3年の時を経て事故が繰返される、3年という時に学ぶものがあるようだ。石の上にも3年ということだろうか、3年愚直に続けられれば体得できるということわざが言葉のアヤでなくリアリティーを放ってくるように思える。真実がそこにある。
それにしても同じ日に同じ傷を持つ二つの事故が起こってしまうという不思議さ、この同期にもなにか奥深い理由があるのかもしれない、人は知らないことが多すぎる。

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2012年11月 4日 (日)

秋は日光に限る

金曜から奥日光を訪れた。秋の奥日光は平日でも渋滞する。Odasiro1
奥日光は紅葉が人と交わり丁度良く美しい。京都のような作られた庭の紅葉も美しいし東北の山を埋める 自然そのものの紅葉も素晴らしいが、奥日光の紅葉は自然と人工がどこか交じり合って調和しているようで気に入っている。中禅寺湖の湖畔の道を車を走らせながら斜めの光がぱあーと差し込むと息を呑むような美しさを感じたりする。小田代の黄金に輝くカラマツは植林の林だしボートハウス前の見事な紅葉には人の手を感じる、しかし景観全体はどうしようもなく自然のものであり続ける、そんなところが一種の奥の深さを感じさせるのだろう。
Okuniko2戦場ヶ原の遊歩道はクマ出現のため9時―15時のみ通行可だが、行って見てちょっと驚いた。渡ってきた野鳥がことのほか多い。ズミ の実が豊作のようだ。ツグミ、アカハラ、それにマミチャジナイが右往左往する ように飛び交っている。これに混じってアトリやウソも数が多く、賑やかだ。こんなに多くの見やすい鳥をここで見たのは初めてのような気さえする。少なくもマミチャジナイは奥日光では初めてだ。こちらは飽きもせず眺め続けているが野鳥の観察や写真を撮りに来ている人は少なく、遊歩道を行きかう人は大概が なにかいる、といった風情で通り過ぎるだけだ。何だかもったいないようにさえ思える。Photo

次第に山を下る紅葉は東照宮周辺の人工の美しさにも至る。秋は日光に限る、未だにそんな風に思っている。来年は見られるだろうか、もう無理なような気もしている。

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2012年11月 2日 (金)

清瀬にて

清瀬で気象の講習会があって出かけていった。今年買ったwin7のパソコンにGMTと予報士会で開発した気象のソフトをインストールしようというのが主な目的だ。午前中のインストールが終わって食事に出Kiyose1 るが清瀬という所がなにかと気になって簡単にそばを食べて散歩を始める。清瀬は初めての土地だ。駅の説明地図に清瀬10景というのがあって水天宮が近い。ともかくそこへ向かって駅前から南に延びるけやき通りを歩き始める。結構立派なケヤキだ、大分年数がたっている。地図の記憶を頼りにおおよその感じで右へ折れると次第に畑が多くなって農家の直売小屋まで現れる。都市近郊の農村風景が広がっている、東京都とは思えない。それにしてもなんだか道の感じが違うような気がして直売小屋にいた初老の男性に尋ねるともっと左の方だと指さしながら道順を教えてくれる、あまり近くではないようだ。ともかく教えに従って野原の駐車場の向こうを廻り畑を過ぎて歩いていく。頭の上では高い声で鳴くカラ類が飛び交いチョウゲンボウと思われるタカが現れて消えていく。なかなかいいところだ。クルマの行きかう通りに戻ってケヤキの通りを南へ進むと道の両側の家に立派なKiyose2蔵が次々に見えてくる。母屋の方は今風になっているが蔵は歴史的な遺構のようだ。 壊すのも大変なのかもしれない。昔からの豪農なのだろう。ケヤキのざわめきといい、野鳥の飛び交うさまといい宇都宮より自然が近くにある感じがする。こんなところなら住んでもいいなとも思えてくる。国木田独歩の武蔵野の風景が近くにあるようだ。雑木林が現れ、深い屋敷林も現れる。水天宮にはまだ着かないが昼休みも半分を過ぎた、引き返せねばと戻り始める。葬式帰りの喪服姿がパラリパラリと前から来る。それも風景の一つのようだ。真っ直ぐ行けば駅と思っていたがなかなか現れないので歩いている人に聞いてみると、駅は左だ戻って左に曲がるべきだと教えてくれる、やはり間違っていた。疲れてきたが早足で引き返し角を曲がると駅前の風景が遠めに見Kiyose4 えてくる、やれやれだ何とか時間内に帰れそうだ。
午後一杯気象のソフトの話を学んで帰路に着く。しかし清瀬の印象が鮮やかだ。

秋は風景を美しくするのだろうか、年を重ねていくとちょっとしたことにも感動するようになるのだろうか。年をとるのも悪くない。終わりの始まりを感じているだけかもしれないが。

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