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2012年11月13日 (火)

ヒッグス粒子と宇宙観と宗教と

スイスへ7月はじめ遊びに行っている最中にCERN(欧州原子核研究機構)からヒッグス粒子発見のニュースが流れていた。CERNといえばジュネーブだこれもスイスか、位でそれほどのインパクトを感じていなかった。CERNといえばweb発祥の地 という印象が強かったが確かに素粒子の研究は本業だ、新しい素粒子の発見があるとすればここしかないのだろう、位に思っていた。要するに素粒子の世界はあまり知らなかった。
先週そういえばヒッグス粒子ってなんだっけと図書館から新書版の解説本を借りてきて読んでいる。「ヒッグス粒子と宇宙創生」という本だ。結構読みやすい。
Higusu 7月4日のヒッグス粒子発表は確かに素粒子に質量を与える17番目の素粒子の発見でこれまでの標準理論(もともと素粒子には質量が無いという考えを基本にしている)の妥当性が確認された意味では大きいようだが、ここで一区切りというわけでもないようだ。ヒッグス粒子はヒッグス場の中で動く素粒子に質量を与える形の素粒子だが、物質全体の2%の質量を与えるに過ぎないといえばなーんだという気がしている。陽子、中性子はそれぞれ3個のクオークでできているが、クオークをくっつけることが質量を与えこれが物質全体の98%の質量を与えているという。くっついたことで動きが遅くなり「カイラル対象性の自発的崩れ」が起こって質量が与えられる、というのだが、ちょっと手に負えない感じがしてくる。そこに質量というエネルギーが溜まっているからくっつかざるを得ないと理解すれば何となく分かるが、順序は逆のようだ。どちらが卵でどちらが鶏かわからない。そもそもこのエネルギーはどこからきたのかといえばそれは説明がないらしい。分からないことだらけだ。
宗教は宇宙を解き明かすことでその存在価値を高めていたように思う、現実の宇宙は理論や観測が進んではいるもののその成り立ちや仕組みはいまもって謎だらけだ。何故標準理論が成立しているのかも解らない、知れば知るほど謎だらけということが解ってきているように思う。しかし理解も深まっている。宇宙の本質的理解が深まれば本来宗教も変われねばならないのだろう、変わらない式典宗教にうんざりする気持ちがある、とんでもない新興宗教にもあきれ返る。無税で優遇されるほどに宗教法人は有難いのか、もうそんな優遇は終わりにする時代になっているのではないか。宗教の名の下に差別や殺戮が行われ続けている世界の歴史風景もそろそろ変わらなければならないのではなかろうか。

少なくとも人は宇宙を支配する本当の理屈を共有でき理解し合える未来を持たねばならないように思えている。

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