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2012年12月29日 (土)

ツクシガモをはるかに眺める

庭の植木を手入れしてもらったらとまりやすくなったのか早速ヤマガラの群れがモチノキに飛来した。メジロの声もして思ったより野鳥が現れる。

家の片づけをしていると、句会ノートがたくさん出てくる、最後の頃は俳句に熱が入っていたようだ。刺激されたわけでもないが自分でも少し作ってみようかと現代俳句協会のインターネット句会に登録して適当に投稿してみる。俳句などはもう数十年も詠んだことが無い。ノートに記されたような顔つき合わす句会は無理でもこれならなんとかなる気がする。
さっぱりと松整え明けた朝にヤマガラ12羽
相当な字余りだ、こんなのでも俳句といえば俳句だろうか、30字以内なら受け付けてくれる。送ったあとで直したくなるがもうできない、出してしまうと終わりというのがどうやら句会の一般的なルールらしい。毎月各自5句投稿し互選でいいと思う句を5句選ぶ、暫くして今月分の凡そ1000句が送られてきた。とても見きれないと思ったがipadでするする見ていくと、なんとなく引っかかる句が5句くらいはある、これを選句として送り返す。とりあえずやってみたが面白いというほどでもない。多分俳句にかこつけた人付き合いが面白かったのだろう。ネットでは空々しくすれ違うだけだ。

庭の鳥も悪くないがフィールドがやはりみたくて今津浜に鳥を見に行った。毎回福岡に来ると今津浜と和白浜には様子を見に行っている。入り江南側にあるゴルフ練習場近くの堤防のと ころにクルマを置いて堤防を歩いてみる。とても遠くにツクシガモが数羽見える、目立つ鳥だ、遠くてもきれいだ。浅瀬の石の上にミサゴが2羽見える、つがいのようだ、あまり動かない。航空機のオスプレイはこのところ評判が悪いが本家のオスプレイ(つまりミサゴ)は至って穏やかだ。
イヌを連れての散歩の人に出会う、こちらのいでたちを見てクロツラヘラサギは見ましたか、とくる。まだ見ていないと答えると、この浅瀬でこの前見ましたよ、とある。西側の清掃工場のKurohera2 前あたりに集まっているようですよ、とも。南東部の堤防をひとあたり見た後、西側に移動する。前も停めたことのあるクルマ1台分スペースの空き地にクルマを置いて少し歩くと、葦の生えている小さな島に白い影がちらちら見える。どうやらあそこらしい。スコープで車道越しに見るが葦に阻まれて良く見えない、時折黒いヘラがみえているので間違いは無さそうだ。辺りの砂州にはタゲリなども沢山いていい所ではあるが少々見難い。仕方なく、入り江の反対側に周って溝にかけた板を渡って恐る恐る堤防に取り付く。こちらはまだ見やすい。クロツラヘラサギが10数羽いる。非常に神経質に見えてちょっとの物音にも敏感に反応する。距離はあるのだがこちらを気にしているようでもあり、早々に引き上げる。写真は撮ってはみたが遠くてまともには撮れていない。しかし今津浜はいつも面白い。

和白浜のほうは日を変えて新宮のIKEAに行った帰りに寄ってみる。IKEAでは欲しいイメージの家具が無くてかなり疲れたこともありほんのついでだが訪れてみた。狭い和白浜近くの道を記憶をたどりながら走って昨年停めた空き地へ行ってみるとそこは新しい買い手がついたのか立ち入り禁止になっている。辺りを少し走って別の場所を探すと浜に出られる空き地のようなところが見つかりここに停める。和白はクルマの置き場所にいつも頭を痛める。それにしても浜ギリギリに住宅が並んPhotoでいて、津波といわずとも高波でも被害が出そうだ。湾内とはいえ海に変わりはない、いままでそんなことは無かったのだろうか。いずれ騒ぎが起きそうだ。
ここでもかなり遠くにツクシガモが見える。写真は無理だ。引き潮のせいもあってとにかく鳥が相当に遠いのでじきに手持ち無沙汰になってしまい、早々に引き上げる。今回は天気の良い日があまり無く忙しいこともあってなかなか鳥を楽しめないが時々の息抜きにはいい。

チリチリと時が進んで行く。まだ福岡の土地に勘が戻ってこない、いずれなじんでくるのだろう。油山や天拝山にも日和が良くなれば行ってみよう。こういう風にして時を過ごしていくことになるのだろうか。この先に不安も漂わせて広がる時の流れに思いを走らせてしまう。

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2012年12月26日 (水)

歴史を追って旅すると何かが少し見えてくる

12月のはじめ九州へ移動する途中で倉敷の倉敷国際ホテルというところで1泊した、大原美術館に隣接するホテルだ。奈良から倉敷ではゆったりペースで美術館や辺りの散策もできるだろうとの気持ちがあった。

それにしても余裕があるので 奈良の宿からまずは平城宮、その後に仁徳天皇陵をみてから倉敷まで行けばいいと思って 平城宮を歩き回った後に大阪へ向かったが高速道路が補修工事Heijyou中で通行止めとなっている。大阪城を中心とする結構広いエリアを混んでいる下道で走らされた。耐震補強らしい、昼間から中心部の都市高速を閉鎖するのは驚きだがそれだけ危ないのだろう。この日の朝に起こった中央道トンネル崩落のニュースを聞きながら、無理してでも補修工事を敢行するのが機能している行政の姿だとも思えてくる。

予想外の渋滞に巻き込まれ昼前には倉敷に向かうはずが昼を過ぎてしまった。じたばたしてもしょうがない。仁徳天皇陵のほうはやたら大きくて全貌がよく分からない、車で半周まわってみたり、見渡せるはずの歩道橋に上ってみたりするがNintoku 何だかよく見渡せない。しかし濠には水鳥が浮かび正面には宮内庁の車が止まっていたりして、いかにも皇室のお墓という雰囲気がある。

発掘がどこまでできているのだろうか、海外にも一部流出している副葬品の全貌は一体どうなっているのだろうか、倭の五王時代の巨大古墳だけに天皇の起源に繋がる事実が含まれているのではなかろうか、色々考えてしまう。とにかく大きい。邪馬台国の時代から2百年余りでよくここまで来たと思う。進歩が早い。支配構造が圧倒的に強固なものとなった証なのだろう。

倉敷には遅くなってしまったがまだ美術館には間に合うと高速を走らせた。倉敷のインターで下りて町に入るとここも渋滞だ。他県ナンバーが目に付き観光客渋滞の風情だ、関西圏から 丁度いい距離の観光地なのだろう。ホテルへチェックインして美術館に向かう、見てまわるには少々忙しい。美術全集で見たことのある絵が続く、よく集めた。とにかく集めたという感じもする。脈絡が無いようでもある。工芸品の展示になるとよくある骨董収集家の展示を少し規模を大きくしたくらいに思えてきて、やはり絵画のほうが重みがある。しかし量が多い。

Kurasiki閉館時間となった美術館を後にして周辺の歴史的景観地区を散策する。薄暗くなってよくみえないところもあるが戦前の美しい町並みが良く残っている。戦災は水島地区にはあったものの倉敷中心部は免れている、それはリットン調査団が当時開館したばかりの大原美術館を訪れその美術品のコレクションを欧米に伝えたことに遠因がある、といわれている。疑わしいとの見方もあるようだが、爆撃目標割付ではそんなことが考慮される可能性は十分あると思える。機能している軍隊はそんな面を持っている。
きちんと機能していない軍では時としてとんでもない事件が起こる、南京大虐殺もそのような経緯のようだ、福岡の家を片付けていると当時の虐殺現場を目撃した従軍記者の戦後の手記が出てきた、異常だ、上層部の大雑把な指示で現場が暴走したようなところがあるようだ、機能していない軍は怖いところがある、無かったなどという人が出てくるのは多くの特派員が実際には現場を見ることがなかったためだろうとも記している。

歴史の跡を見ながら本日現在の日本を旅をしていく、流れていく時と流れていく風景が、立体となって組みあがって見えて、何かが少し分かったような気持ちになる。

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2012年12月19日 (水)

北関東が遠くなり

長崎に8時30分までにいくことになって福岡から2時間半の計画で朝6時に出発した。まだ相当に暗い。西では30分くらい関東から日の出が遅れる。高速道の明かりがついていないところが多くて走りにくいしおまけに霧まで出てきた。
選挙の日だがこちらの区役所で不在者投票を既に済ませており心置きなく出かけられる。福岡で宇都宮の候補に投票するのはどこか実感が薄い。
不在者投票とはこんなやり方だとは知らなかったがパソコンから書き出した紙の申請書に記入して宇都宮の選管に郵送すると投票用紙が宇都宮から送られてくる、プリンタが手元に無くともメディアに書き出してセブンイレブンのコピー機を使えば簡単に申請書をプリントアウトできる。送られてきた投票用紙を福岡の区役所の投票所で栃木の候補者に対して記入提出すればよいという仕掛けだ。今回の投票は半ばあきらめていたが試しに問い合わせてやってみると意外にすらすらと事が運んだ。パソコンさえ持ち歩けば物事がたやすく進む世の中になってきている。そうなんだ。

長崎は半島のような地形になっていて行く道が限られている、高速を使わねば相当に遅くなる。トンネルも多い。この朝は なまぬるい大気に対馬海峡を渡ってきた冷たい北の風がもぐりこんできて霧が出ている。霧の中トンネルに入ると霧が消えて見やすいが出るとまた霧だ、神経を使う。佐賀の西から地形が少しばかり変で沈降していた小島の群れが隆起したような形をしている、九十九島が陸から始まっているようだ、とにかく長崎は山に囲まれていて行きにくい。陸路より海運の地なのOmurawan だろう、入り江もいい。幕末に長崎に入港したロシア船の艦長がこの美しい入り江がやがて我が物になるかと思うと(うれしくなる)との手記を残している、勝手なものだが確かに良港となる入り江がたくさんある。
大村湾に南から突き出した岬の辺りでにぎやかな時をしばし過ごしたあと引き返す。戻りつくと程なく開票が始まる。

選挙の方は事前の予想が驚くほど当たって民主の大敗となった。こんな時に解散した首相が悪いと選挙後の閣議で閣僚が口々に不平を語っている、これだけ民意の支持を失っていた政権を国民のためでなく自分たちのためだけに存続させたかったと公の場で公言するそういう政党にNOが出されていることがまだ解っていないようだ、志の低さに情けなくなる。こんな情景を見ているといい選挙だったようにも思えてくる。

九州に暫く滞在してみると関東で起こっていることが思いのほか遠く見えてくる。北関東は殆ど視野に入ってこなくなる。気象の組み立ても全く違う、今の時期九州は朝鮮半島伝いに下りて来る寒気が最も気になる気象の動きだ、北関東では思いも及ばない。テレビのニュースも地元製作の割合がかなり大きくそれが普通のように思えてくる。九州に色濃く染まってくる。こんなものだろうか、年をとったと言うこともあるのだろうか。
山の向こうにあっても日帰りが楽にできる長崎がよく見えてきて、どうやらこの地にはまり込むようにして過ごしていくことになりそうだ。日本は思ったより広い国のような気さえし始めていて、ここからの景色も悪くない。

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2012年12月14日 (金)

街も捨てるべきものを捨てる

福岡に来ている。寒い日が続いていたがやっと一息だ。北極からの寒気は何故かこのところは極東に偏って下りてきている。一時は北米に繰り返し下りてきていたのが今度はこちらに回ってきたのだろう、つじつまをあわせるのが自然だ。
福岡に来ても相変わらず整理する、捨てるの日々を送っている。もう3ヶ月もこんなことばかりやっている。捨てるものを引き取るのが結構いいビジネスになっているようで壊れたエアコンは無料で外して引き取ってくれた。衣類はもとは高価な着物でも古くなればただ同然だ、引き取ったものを何とか売るのだろう、うまいやり方を見つければいいビジネスになりそうだ。古本も古本屋は おやという本を引き取るが引きとらない本は捨てるほか無い、少々無残だ。
たまには出かけねばと福岡市の博物館に出向いた。百道のタワー近くにあるがちょっと驚いた。県ではなく市の博物館というからあっさりしたものかと思えばバブルを思わせる巨大な無駄にあふれている建物だった。それに殆ど人気(ひとけ)がない。博物館ならば動物や植物の資料が展示されているかといえばそれもない、時代も地球の歴史に関わるものが無く化石も無い。人の歴史ばかりでそれFukuhakubutu も時代が限られている。随分と視野狭窄な博物館だ。建物だけに予算をかけて内容には周っていないように思える、もったいないしアンバランスだ。地域も少なくとも県の範囲くらいまでは広げるべきなのだろう、税金の無駄遣いの典型のようだ。こんなことをしていては疲弊する。しかしこのままこれが続いていく訳でもあるまい、この博物館自体がどうなっていくかそれも見ものだ。
家の近くもシャッターを下ろした店が目に付くようになっている。少しずつ錆びれた雰囲気がここにも押し寄せて来ている、街も捨てるべきものを捨ててきているようでもある。
街自体がいい方向とも悪い方向ともいえない向きに動き続けている、そんな風景が次第になじんでくるのだろうか。
流れつくようにこの街に住む、それも悪くも無い。

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2012年12月 7日 (金)

東倉里ミサイル基地からの打ち上げは12月11日か

韓国羅老ロケットはまたもトラブル発生で打ち上げが延期となったが北朝鮮のロケットは着々と準備が進められ12月10日には発射体制が整うと見られる。いつ打つか、天候さえ良ければ直ぐにも発射となろう。東倉里(トンチャンリ)ミサイル基地付近の天気予測をGPVから出してみると、13日から天気は崩れる、10-12日はまずまずだが12日が最も風が弱い、となる。11か12日辺りが可能性が高いように思われる。4月の打ち上げの時はベストの日に打っている訳ではないので11日辺りが最も怪しいのかもしれない。さてどうなるか。

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2012年12月 4日 (火)

奈良へ

12月になった。北からの波状的な荒天の南下が 吹きすさぶ冬らしい雰囲気を与えている。12月の初めに予定していた九州までの移動を金沢経由から南回りに変えた。上信越道の吹雪の予測が日を追って動かし難いものになっていたためだ。当日どうなるかと新東名を走りながらipadで道路情報をみていたら雪は予想以上で上信越道は通行止めとなっている。南回りも天気は安定しないがとにかく普通に走れる、内心何やらホッとする。新東名は初めて走ったが景色が良くない。楽なだけが取り柄だ。異様に飛ばすクルマが時々いて、覆面パトカーに捕まっている。少しは未来的な風景が現れるかと思っていたが普通の高速道がただ続いているだけだった。未来の煌きが霞んでいるこの時代をいかにも表しているようにも感じられる。25号線で奈良へ入る。

厳しい渋滞も無く奈良まで来れたこともあり少し見て回ることにする。天理インターの手前Isonokami で南に折れて石上(いそのかみ)神宮に行ってみる。山辺の道の北の端あたりに位置して、日本で最も古い神社と言われている。いそのかみとの読みは海との関わりを暗示しているようでもある。国宝の拝殿は古い感じでもないが現存のものはそれでも鎌倉時代建立とあり、奈良らしく長い時に晒されているようだ。しかし奈良にくると鎌倉が新しく思えてくる。
更に南の纏向遺跡のあたりまで行ってみることにする。邪馬台国畿内説の中心地だ。山辺の道もそこへ向かって延びている。JRの巻向駅辺りが分布している遺跡の中心というのでとりあえず巻向駅に行ってみるが、無人駅で何の案内もない。あちこちで古代都市の遺構が発見されているというが場所がわからない。とにかくまだしも分かりやすい箸墓古墳に行ってみる。卑弥呼の墓といわれている前方後円墳でもとは円墳だったといわれている。宮内庁管轄で立入禁止となつていてどうなつているのだろうと古墳まわりの細い道を進んで行くと後円部に接するように住宅街が現れる。こんな古墳はあまりみない。全体が見える場所でクルマの駐められる所はないかと一周するが駐車場のような所はない。目に入った園Hasihk 芸店にクルマを入れていい場所はないか聞いてみるとここにおいて見に行っても構いませんよと言ってくれる。親切だ。土手に上がって全体を見ると確かに大きい。まさに小山のようだ。3世紀によくぞ造ったと思わせる。石上神宮の海の香りとこの大陸的大きさから古代の朝鮮半島との関わりの強さをどうしても感じてしまう。
奈良に来ると邪馬台国はどうしようもなくこの地がふさわしいと思えてくる。 あまりに遺跡が多い、吉野ヶ里には感じられなかった今に直接つながる何かを感じてしまう。この地から国が始まった、それがストレートに伝わってくるようだ。

毎年暮に日本を横断する、そのたびに新たな感慨がある、疲れてもそれがいい。

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