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2012年12月26日 (水)

歴史を追って旅すると何かが少し見えてくる

12月のはじめ九州へ移動する途中で倉敷の倉敷国際ホテルというところで1泊した、大原美術館に隣接するホテルだ。奈良から倉敷ではゆったりペースで美術館や辺りの散策もできるだろうとの気持ちがあった。

それにしても余裕があるので 奈良の宿からまずは平城宮、その後に仁徳天皇陵をみてから倉敷まで行けばいいと思って 平城宮を歩き回った後に大阪へ向かったが高速道路が補修工事Heijyou中で通行止めとなっている。大阪城を中心とする結構広いエリアを混んでいる下道で走らされた。耐震補強らしい、昼間から中心部の都市高速を閉鎖するのは驚きだがそれだけ危ないのだろう。この日の朝に起こった中央道トンネル崩落のニュースを聞きながら、無理してでも補修工事を敢行するのが機能している行政の姿だとも思えてくる。

予想外の渋滞に巻き込まれ昼前には倉敷に向かうはずが昼を過ぎてしまった。じたばたしてもしょうがない。仁徳天皇陵のほうはやたら大きくて全貌がよく分からない、車で半周まわってみたり、見渡せるはずの歩道橋に上ってみたりするがNintoku 何だかよく見渡せない。しかし濠には水鳥が浮かび正面には宮内庁の車が止まっていたりして、いかにも皇室のお墓という雰囲気がある。

発掘がどこまでできているのだろうか、海外にも一部流出している副葬品の全貌は一体どうなっているのだろうか、倭の五王時代の巨大古墳だけに天皇の起源に繋がる事実が含まれているのではなかろうか、色々考えてしまう。とにかく大きい。邪馬台国の時代から2百年余りでよくここまで来たと思う。進歩が早い。支配構造が圧倒的に強固なものとなった証なのだろう。

倉敷には遅くなってしまったがまだ美術館には間に合うと高速を走らせた。倉敷のインターで下りて町に入るとここも渋滞だ。他県ナンバーが目に付き観光客渋滞の風情だ、関西圏から 丁度いい距離の観光地なのだろう。ホテルへチェックインして美術館に向かう、見てまわるには少々忙しい。美術全集で見たことのある絵が続く、よく集めた。とにかく集めたという感じもする。脈絡が無いようでもある。工芸品の展示になるとよくある骨董収集家の展示を少し規模を大きくしたくらいに思えてきて、やはり絵画のほうが重みがある。しかし量が多い。

Kurasiki閉館時間となった美術館を後にして周辺の歴史的景観地区を散策する。薄暗くなってよくみえないところもあるが戦前の美しい町並みが良く残っている。戦災は水島地区にはあったものの倉敷中心部は免れている、それはリットン調査団が当時開館したばかりの大原美術館を訪れその美術品のコレクションを欧米に伝えたことに遠因がある、といわれている。疑わしいとの見方もあるようだが、爆撃目標割付ではそんなことが考慮される可能性は十分あると思える。機能している軍隊はそんな面を持っている。
きちんと機能していない軍では時としてとんでもない事件が起こる、南京大虐殺もそのような経緯のようだ、福岡の家を片付けていると当時の虐殺現場を目撃した従軍記者の戦後の手記が出てきた、異常だ、上層部の大雑把な指示で現場が暴走したようなところがあるようだ、機能していない軍は怖いところがある、無かったなどという人が出てくるのは多くの特派員が実際には現場を見ることがなかったためだろうとも記している。

歴史の跡を見ながら本日現在の日本を旅をしていく、流れていく時と流れていく風景が、立体となって組みあがって見えて、何かが少し分かったような気持ちになる。

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