アレクサンダー・ハミルトンに行き当たる
米国の財政の崖は議会でもめた末結局高額所得者への減税取り止めと歳出自動削減開始期限の3ヶ月延長で問題が先へ延ばされた。米国債発行上限問題も同様に3ヶ月先へ延ばされ当面の危機的状況は回避されたが 議会もどの道歳出を削減しなければならないことそのものは避けがたいとの認識は共有しているように見えて、何処かに着地点があるのは明らかの様だ。債務上限問題でも、上限を定めることそのものが憲法修正14条の4項に抵触しているとの指摘が議会の民主党に根強くあるようでどうも憲法論からいけば解はありそうにみえる。オバマが政策として憲法論議はしないとしているだけで、いかようにでも処置可能な問題にみえてしまう。オバマによるタクティクスとしての危機の創出との雰囲気がなくもない、政治の世界だ。
アメリカのこんな財政のごたごたの記事をいくつか読んでいくと時折ハミルトンの名が出てくる、独立戦争時代のアレクサンダー・ハミルトンだ。ネットや図書館から本を借りてきて少し調べてみる。硬い話にはネットはやや頼りない。
調べ直してみるとこの人は天才としか言いようが無い、合衆国憲法の多くはこの人の手になっている。独立戦争でも勝利を決めたヨークタウンの戦いを指揮して軍人としても優秀だったようだが、財務大臣として破綻状態にあった各州の負債の全てを連邦政府が肩代わりし連邦債を発行して独立戦争の戦費の重い負担から経済を開放した、また連邦銀行の創出、違憲立法審査権による法の支配を確立、そのほかその後の世界の自由主義国家の運営の基礎となった手法を次々と編み出している。革命をプラクティカルな社会の仕組みに落とし込むのにことのほか才能があったようだ。
最近でもギリシア危機にともなうユーロ債の発行に当たってハミルトンが独立戦争後に州政府の赤字債権を全て肩代わりして連邦債を発行した手法が良い手本として見直されるに至っており現代にもその知恵を及ぼしている。現代に至るアメリカの具体的な仕組みを作り出した人と言ってもいいようだ。先の憲法修正14条4項もハミルトンが “政府はその仕事としてゆだねられた目的を達成するためには、公共善と国民感情以外のいかなる制約からも自由でなければならない” と(「フェデラリスト」に)述べた、その精神を具現化したもののように思える。
ハミルトンは没落したイギリス移民の子で10代の初めに両親をなくしたものの偶然のようにしてその才能を発揮しうる機会を次々に得て人生を送った、そして最後は決闘で命を失った。時代は必要なタイミングで必要な資質の人物に光を当てて活躍の場を与える、不思議なばかりだ。こんなのを見ていくと結局人類の歴史は個人の才能をつないだものでしかないと思えてくる。
ハミルトンは基本的には殆どの人間には徳などないと語っており、所謂性悪説でアメリカの民主主義社会の仕組みを作り出しているようだ。確固たる民主主義の社会はそうでなければ持ちこたえることができないのだろう。今起こっている、アラブの春の連鎖が思わぬ挫折に至りそうなのもハミルトンのようなプラクティカルな見方が革命のような時には特に重要ということを示しているようにみえる。また、アメリカの銃社会も元を辿れば 人は何も信用できない自分の身は自分で守るしかない、という性悪の考え方に行き着くような気がしてくる。
そろそろ終りが来てもいいはずのアメリカの時代がしぶとく続いているのも、こんな風に仕組まれた民主社会に勝る仕組みをまだ人類は考え出すに至っていないからなのだろうか。
新たな天才を必要とするそこまで歪がたまってはいないというのが今のこの世界なのだろうか。幸せでもあり物足りなくもあるということだろうか。危機が演出される今の状況では まだステップが進むまでは大分かかりそうだ。
こんな風に考えを廻らせて遊んでいると、外では暖かい日差しが心地よくなってきて、そろそろ寒い冬もおわりのようだ。季節には何の演出も無い。
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