« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月29日 (火)

アレクサンダー・ハミルトンに行き当たる

米国の財政の崖は議会でもめた末結局高額所得者への減税取り止めと歳出自動削減開始期限の3ヶ月延長で問題が先へ延ばされた。米国債発行上限問題も同様に3ヶ月先へ延ばされ当面の危機的状況は回避されたが 議会もどの道歳出を削減しなければならないことそのものは避けがたいとの認識は共有しているように見えて、何処かに着地点があるのは明らかの様だ。債務上限問題でも、上限を定めることそのものが憲法修正14条の4項に抵触しているとの指摘が議会の民主党に根強くあるようでどうも憲法論からいけば解はありそうにみえる。オバマが政策として憲法論議はしないとしているだけで、いかようにでも処置可能な問題にみえてしまう。オバマによるタクティクスとしての危機の創出との雰囲気がなくもない、政治の世界だ。
アメリカのこんな財政のごたごたの記事をいくつか読んでいくと時折ハミルトンの名が出てくる、独立戦争時代のアレクサンダー・ハミルトンだ。ネットや図書館から本を借りてきて少し調べてみる。硬い話にはネットはやや頼りない。
調べ直してみるとこの人は天才としか言いようが無い、合衆国憲法の多くはこの人の手になっている。独立戦争でも勝利を決めたヨークタウンの戦いを指揮して軍人としても優秀だったようだが、財務大臣として破綻状態にあった各州の負債の全てを連邦政府が肩代わりし連邦債を発行して独立戦争の戦費の重い負担から経済を開放した、また連邦銀行の創出、違憲立法審査権による法の支配を確立、そのほかその後の世界の自由主義国家の運営の基礎となった手法を次々と編み出している。革命をプラクティカルな社会の仕組みに落とし込むのにことのほか才能があったようだ。

最近でもギリシア危機にともなうユーロ債の発行に当たってハミルトンが独立戦争後に州政府の赤字債権を全て肩代わりして連邦債を発行した手法が良い手本として見直されるに至っており現代にもその知恵を及ぼしている。現代に至るアメリカの具体的な仕組みを作り出した人と言ってもいいようだ。先の憲法修正14条4項もハミルトンが “政府はその仕事としてゆだねられた目的を達成するためには、公共善と国民感情以外のいかなる制約からも自由でなければならない” と(「フェデラリスト」に)述べた、その精神を具現化したもののように思える。

ハミルトンは没落したイギリス移民の子で10代の初めに両親をなくしたものの偶然のようにしてその才能を発揮しうる機会を次々に得て人生を送った、そして最後は決闘で命を失った。時代は必要なタイミングで必要な資質の人物に光を当てて活躍の場を与える、不思議なばかりだ。こんなのを見ていくと結局人類の歴史は個人の才能をつないだものでしかないと思えてくる。
ハミルトンは基本的には殆どの人間には徳などないと語っており、所謂性悪説でアメリカの民主主義社会の仕組みを作り出しているようだ。確固たる民主主義の社会はそうでなければ持ちこたえることができないのだろう。今起こっている、アラブの春の連鎖が思わぬ挫折に至りそうなのもハミルトンのようなプラクティカルな見方が革命のような時には特に重要ということを示しているようにみえる。また、アメリカの銃社会も元を辿れば 人は何も信用できない自分の身は自分で守るしかない、という性悪の考え方に行き着くような気がしてくる。
そろそろ終りが来てもいいはずのアメリカの時代がしぶとく続いているのも、こんな風に仕組まれた民主社会に勝る仕組みをまだ人類は考え出すに至っていないからなのだろうか。
新たな天才を必要とするそこまで歪がたまってはいないというのが今のこの世界なのだろうか。幸せでもあり物足りなくもあるということだろうか。危機が演出される今の状況では まだステップが進むまでは大分かかりそうだ。

こんな風に考えを廻らせて遊んでいると、外では暖かい日差しが心地よくなってきて、そろそろ寒い冬もおわりのようだ。季節には何の演出も無い。

Image

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月22日 (火)

787のトラブルが収まらない

787のトラブルが収まらない。いくつかトラブルが続いたがバッテリーの火災は深刻なものが感じられて飛行停止となった。電気系統はどうなっていたんだっけとネットで少し調べてみる。問題はバッテリーを含む電源回路なのかバッテリーそのものなのかというのが最初の疑問になる。

787は燃料消費の少ない機体であることが最大のポイントでこれまでの機体のようにエンジンの圧縮空気(抽気)を抜いて機器を駆動したり与圧に使ったりはしていない。エンジンの効率をフルに生かした エンジンから抽気を抜かないジェット旅客機というのが大きな技術的アドバーンスになっている。これで20%の燃費改善のうちの3%分を得ている計算になるという。エンジン出力を電気に変えて各機器を動かしており、通常の機体の2倍の発電機をエンジンとAPUが駆動して電気を作っていて、総電力は1.3メガワットにもなる。このバックアップに電池が必要になるのだが当然負荷が高く 高効率の電池が求められてリチウムイオン電池の採用となった。同じサイズのニッカド電池の2倍の容量が得られるという。787搭載のユアサのバッテリーは酸化コバルトの使用でエネルギー密度が高いといわれ安全性の試験も十分に行われたといわれるがこの事態だ。787にはこ787system1 の63lbs(28.5kg)のバッテリーが前方と後方に1個づつ積まれているが、ボストン空港で出火したのは後方バッテリーで、APUを起動するのがその役目となっている。ボストン空港着陸後25分で出火していることからエンジン停止後APUを起動した直後に出火したとみられる。高松空港に緊急着陸した機体は前方のバッテリで離陸後まもなく出火している。こちらのバッテリーはシステムのバックアップが主要な役割となる。バッテリーの電力を使用するフェーズとは思えず過充電状態になっていたのではないかと推察される。バッテリー自体の保護回路と電源システムの両方が疑われるが、ボストンでの出火ではバッテリーは過充電状態になっていないデータが出ていると伝えられ、バッテリーそのものが疑われている状況にある。未だ2つのトラブルの共通の原因には到達しきっていないようだが結局はバッテリーにも電源システム側にも何らかの安全対策が施されることになって行くことになり、飛行再開までには相当の期間が必要となろう。
この他の燃料バルブの誤作動や風防ガラスのヒビのトラブルも対処は簡単でもないように見えるが、この間に解決されていくとみられる。バッテリーのトラブルも含めて初期故障といっても間違いではないが設計の狙いに関わるだけに深刻な状況のように感じられる。
今年夏に初飛行予定のエアバスA350はどうなるだろうか、先進的なシステムの航空機で同様にリチウムイオン電池を使っている。787の事態をみながら少しはましな対応ができるようになるだろうか。

こうやって前に進んでいく。先進的な機体でこれまでにない遅れとトラブルが続くという現実は 次第に前に進むのが容易ではなくなってきていると感じさせる。次の量子的ジャンプが出現するまで壁のようなものを感じながら進んでいくのだろうか。人類にとって時はまだ十分にある、後戻りさえしなければそれで十分なのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月18日 (金)

大雪渋滞を抜けて寒さを甘く見ていたと思い知る

九州から宇都宮へ一旦戻る日を1月14日として宿も京都駅前に押さえておいたので、天気がかなり荒れ模様と分かっても承知の上で福岡を出発した。低気圧の移動が僅かに早くなればあめや雪が上がった後に走れる可能性も期待していた。京都まではほぼナビの予想時間どおり進行し雨も殆ど上がってたいした荒れ模様ということでもなかった。14日早朝には通行止めだった山陽道の尾道付近も 通過する昼頃には解除されて問題なく通れる、概ね期待通りだ。進行右手の雲が厚く四国の方が雪が厳しいようだ。宿に落ち着いたところでテレビで東京の大雪を知る。予想もしなかった大雪だ。寒気の南下が関東で思ったより顕著だったためのようだ。関東平野だけの特異な現象のようにみえる。15日に関東を通過する頃には除雪も終わるだろうとタカをくくっていたらとんでもなかった。15日朝になっても首都高の殆どと東北道の佐野までは通行止めになっている。

10cmくらいの積雪でも雪が止んで日が照りだせば融雪剤が効いて来てじきに解除になるだろうと宿を予定通りでてipadで交通情報をウオッチしながら走る。新名神の御在所山付近は雪模様でやや走行速度を落として走るが渋滞や低速走行も無く無事名古屋まで至る、東京の通行止めは一向に解除にならない、厚木からは冬用タイヤ規制となって長い渋滞が表示されている。(添付の2013.1.15 12:30jst頃のAQUA衛星画像に囲ってある灰色のエリアが積雪の領域)。こんなに長く首都高や東北道が閉鎖され201301150336tokyoているのは異常だとは思いながらも、どうしようもなければ東京に近づいたところで下道に降りて開いている関越の入り口までたどり着いて関越から北関東自動車道経由で宇都宮まで走る作戦とする。いくらなんでも暖かくなる2時頃には除雪も終わって首都高も開くだろうと期待しながら東へ進んでいくが凍りついたように首都高閉鎖の黒い表示は消えてくれない。何が起こっているのだろうといぶかりながら足柄で給油も満タンにして身構えながら進む。厚木を過ぎて冬タイヤ規制となっているものの検問はなくそのまま流れていく、渋滞というほどでもない。16号を利用しようという思惑か町田ICで下りようとする長いクルマの列ができているがまだ先へ進めるので横浜青葉まで進む、前方に壁のような渋滞が見えてくる。ここで降りるほか無いとあきらめるが、関越の練馬ICは遠い。246号は激しい渋滞になっている、開いている第3京浜で何とか環8までいけば先が見えてこようと横浜市内を東へ走る、雪が多い、裏道に入ると人や自転車が危ない、混んでいても大きな道を走るほか無い。やっとのことで第3京浜の都筑ICに至って高速に上がるとこれはすいている。程なく環八の出口にくるが恐れていた通りの極めつけの渋滞だ。歩く速度より遅い。これでは練馬につくのに夜の10時になってしまうと、いらだった会話を続けるが、逃げ道が無い。Image4時半になった頃ipadの東北道閉鎖の表示が突然のように消える、都心を抜けて川口までいければ東北道に乗れるとルートを検索するがナビがうまい道を出してくれない、イライラが高じた5時半頃首都高開通のニュースがラジオから流れる、高井戸入り口が最も近いがそこまででも随分かかりそうだ。とにかく渋滞の環八を右に抜けて都心に向かって高速の入り口を探す、永福入り口に至ってやったと快哉を叫びながら首都高に乗りC2で北へ向かう、殆どクルマがいない、多くはまだ渋滞の最中なのだろう。首都高も所々の合流部に残雪があり安全でもない、まだ動いていない車が放置されていたりもする、緊張して走る。最後の休憩からもう随分にもなるが疲れたなど言っておれない。川口を過ぎ東北道にたどりついてとにかくトラブルから離脱できたと実感する、7時くらいだ、恐れていたほどには遅くはならずにすんだ。反対車線を見れば延々と続く東京に向かうトラックの長い列だ。不気味にも見えるほどだ、こんなトラックだらけの光景は見たことが無い、首都圏の物流が1日ストップしたそのものを見ている思いだ。10cmの積雪位でこんな有様になってしまうとは一体行政は何をしているのだろうか、暗澹としてくる。突然の大雪で動けなくなった車が多数高速道路上に放置されたのが原因らしい、それにしても対応が遅い。

やっとの思いで家にたどり着くとボイラーの給水管が凍結破裂していて使えない、疲れがどっと来る。寒さを甘く見る気持ちがひたひたと自分の中にも浸透してきていたのだろう、人のことは責められない、戒められているようでもある。
スーパー銭湯も悪くないじゃないか、思っては見たものの、翌日からの不安が消えてくれない。重なる時は重なる、全てのことは正面から受け入れながら生きていくのだろう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月12日 (土)

キバラガラには会えなかったけれども

キバラガラという鳥が福岡市近郊の春日公園に出没しているという記事が春日公園のホームページをはじめnetのあちこちで引っかかるのでなんだろうと見に行った。図鑑にも出ていない珍しい鳥らしい。天気も小春日和だしナビでは春日公園まで所要時間16分と出る、近い、ちょっと出かけるのに丁度いい。終戦後米軍の春日原キャンプのあったあたりで、この公園もその一部ではなかったかとの気がする、人工的だが広い。駐車場から右回りにぶらぶら歩いていくとやけにメジロが多い。自然風公園とある所に進んでいくと望遠レンズで鳥を狙っている風情の人がいる、聞けば茨城から来たという。キバラガラが出ているというのでやってきたらしい、恐るべし。キバラガラには出くわさないがカラ類も飛び交ってなかなか散歩するの良いところだし、ジョギングにも良いようだ。中央の巨大な噴水の周りを歩いていくと野鳥撮影隊が集まっている。噴水から流れ落ちる浅い水路に野鳥が水浴びに来るのを狙っているようだ。キバラガラはと聞くとまだ見ていないとの声が返ってくる。ふと上を見上げると連れがレンジャクのように見えると言い出す、まさかと思って見ると明らかにレンジャクだ。ヒレンジャクが殆どで中にキレンジャクも僅かにいる。30羽くらいの群れが水路の周りの落葉樹にRenjyaku2kasuga 集まっている。結構近くて双眼鏡でよく見える。ヤドリギもズミも無いのだが水場が魅力的なのだろう。綺麗だ。そのうちマヒワの群れも現れる、やはり水浴びを狙っているようで順番待ちの風さえある。マヒワの黄色がことのほか鮮やかだ。キバラガラのほうは一向に現れる気配が無いのでまたぶらぶら散策を続ける。シロハラやツグミがいたり大味の公園の割には色々鳥が出てくる、常緑樹が多いがなかなかいいところだ。
福岡周辺の鳥見も手軽な割りに面白い、住めば都となりそうだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月 9日 (水)

櫛田神社に初詣

初詣に出かけた。初詣というと神社を三つ回る三社参りをしきたりと思っていたが、どうもこの習わしは九州と本州の一部に限られるものらしいとネットで知って、今年は是が非にでも3社とのこだわりは無くなった。しきたりというものは歴史が浅いものも多くあるように感じていKusida1 る。
元日は博多の町の氏神といわれる櫛田神社に詣でてみる。混んでいる。駐車場は正面近くのコインパークに入れたが、大した苦労も無く停められて拍子抜けの感じもあり料金もそれほど高くない。車が無くとも困らない街ということだろうか。歩道まで長蛇の列なので正面からお参りするのはあきらめて横門から入って脇から手を合わせる。手を合わせても今年の神への誓いの言葉が浮かんでこない、緩い生活になってしまったと感じながらおみくじを引くと小吉で芳しくない言葉が並ぶ、こんなものだ。仕事を終わって生きる意気込みがちょっと緩んだのかと反省する、正月らしい。しかし確かに神に誓うほどのことが浮かんでこない、荷が下りた感じだ。
櫛田神社は箱崎神宮や住吉神社と違って建物は何の文化財の指定も無い。不思議な気がしているが1945年6月の福岡大空襲で大きな被害が出たためとも思われる。戻ってネットで調べてみると、博多櫛田神社の起源は奈良時代に松阪にあった櫛田神社を勧請したとされる説と肥前国神埼の櫛田神社(櫛田宮)を平清盛が勧請したとの説がある。いずれにしろ末社ということだろうか。松阪の櫛田神社は(邪馬台国畿内説では)卑弥呼とも比定される倭姫命が創建したといわれ、また、神埼の櫛田宮のほうは吉野ヶ里遺跡と深く関わっているようでどちらの説も面白い。
Tenki2 近くに住吉神社もあり北には志賀海神社もある、いずれも非常に古い海の神社だ。大陸への海の玄関口だった歴史がこの地に多くの海の神社を必要としたのだろう。気象を眺めていても九州は半島の延長上にある、風は半島から吹いてくる。
初詣は神と誓いかわす場ばかりでなくこの地に流れている時や風を辿る機会をあたえてくれる節目としてあらまほしくも思える。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2013年1月 3日 (木)

カザフスタンとロシアで航空事故が続く

カザフスタンとモスクワで続くように航空機事故が起こった。
12月25日はカザフスタンShymkent空港付近でアントノフAn-72が墜落した。国境警備隊の12122512z 機体で民間機ではないが人員輸送に用いられていたようで乗客として搭乗していた20名を含め搭乗者27名全員が死亡している。寒冷前線が通過した後の吹雪で気象条件が悪化し上空で待機(回避?)の旋回中であったと伝えられる。事故時は丁度零度位の雲が空域を覆って着氷しやすい条件で着氷警報がこの日2度にわたって出されていた。原因は調査中となっているが着氷が影響していることが疑われる。(添付図は事故直前2012.12.25.12:00utcの天気図)。
12月29日はモスクワのローカル空港といってもいいVnukovo空港でツボレフ204旅客機がオーバーランして高速道路に激突した。天候は低気圧が通過したところで西風が強く気温はマイナス2度、吹雪の状態とみられる。着地点はノーマルの範囲内だったと伝えられ、原因12122912z は滑走路状態か、ブレーキ系の問題か、パイロットの問題か、いずれかと見られるが今のところブレーキ系統が疑われている。しかしこの空港の長いほうの滑走路RWY24が閉鎖されており短くて南側のオーバーランエリアが安全でないRWY19を強い横風を受けながら北から降りざるを得なくなったこともここまでの事態となった遠因を作っているようだ、RWY24なら風も正対に近くオーバーランしにくいしブレーキ不調でオーバーランしても直ぐ先に高速道路があるというようなことはない、大抵の事故は単一の原因ではない。滑走路閉鎖とともに悪天候と強い右横風と低い気温もなんらかの原因を作った可能性が考えられる。(添付図は事故直前2012.129.12:00utcの天気図)。
2つの事故は寒い地域でこの寒い冬にロシア製の飛行機で起こったということから、ロシア固有の問題かと大雑把に理解してしまうが、悪天候とそれにまずいことがもう一つ二つ重なるときに起こる航空事故という人類共通の問題を含んでいるように思える。
暑い夏が作り出した北極の氷の広範な融解に端を発するこの寒い冬が、こんな事故の引き金になっているのだろうか。温暖化する地球のco-lateral damage なのだろうか。地球につぶされないように用心して生きていかねばならない時代になってきたようだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »