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2013年2月24日 (日)

F-35の飛行停止が

米国のF-35戦闘機が全機飛行停止となった。搭載している(プラット・アンド・ホイットニ社製F135)エンジンの低圧タービンのブレードに0.6inch(15mm)位のクラックが発見されたためといF35 う。クラックの原因は調査中で明らかにされていないがエンジンは700時間程度の運転履歴で疲労破壊するには早すぎる。それにしてもつい最近F-35Bはエンジン燃料系統の不具合でB型に限定した飛行停止が終わったばかりだ、ぼろぼろと問題が出てくる、787と似た雰囲気だ。今度はエンジン本体で、やはりこんなことになったか、との思いが開発チームに走ったに違いあるまい。空軍用・海軍用・海兵隊用の戦闘機を機種を統一するのはコスト上はいいが万一エンジンなどの重要サブシステムに不具合があれば全機飛行停止となり米軍全体の機能が著しく低下することになると指摘されていた。エンジンくらいは代替エンジンがあるべきなのではないかとGE/RRの代替エンジン開発が暫く並行で進められていたが開発費高騰が問題となり代替エンジンはほぼ開発が終わりかけた時点で開発が中止となっていた。ほれ見たことかといわんばかりだ。こんなことになるとまた代替エンジンの開発問題に火がつくかもしれない。そうはいってもSequestrationで軍事費大幅圧縮の事態になれば更にまた資金的には苦しくなって混迷が深まってくるようにも思われる。
787もそうだが新技術に溢れる機体の開発はついついやりすぎてしまうほどに新技術に走ってしまう事態が起こっているように思えている。設計のツールが進歩してバーチャルの上ではいかにもうまくいきそうな設計ができてしまうようになってきているからではなかろうか。頭の中で思い巡らすより先に計算で設計結果が見えてしまうようになってきているからではなかろうか、設計が進みすぎてしまうような気がしている。

787もF-35もなんとか問題を乗り越えていくことになるだろう、そこから流れ出てくる教訓がどんなものであるか、楽しみなような気さえしている、どうなっていくだろうか、注意深く成り行きを見守っていきたい、それにしてもこんな事態は頭のどこかを刺激されるようで面白い。

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2013年2月20日 (水)

発掘されたクジラの化石に親しみを感じて

1週間ほど前に鬼怒川で発見されたクジラの化石の発掘現場をついでがあったので見に行った。1000万年前のものだという。人が河原にたかって重機が動き掘削ドリルがうなる、土器の発掘とは随分と趣が違って面白い。掘り出している人もとりまく野次馬もワクワクした気分を共有しているのが伝わって楽しい。昨年もすぐ近くでクジラ化石は見つかっていたが35年前にはもっと北の南那須町大金で同じナガスクジラの化石が発見されていた、こちらは1500万年前ということらしいがとにかく昔はこの辺りでクジラガが泳ぎまわっていたことは間違いないようだ。今より総じて温暖で海洋が那須まで広がっていたということになる。少し調べると地球には4万年から10万年の周期で氷期が訪れているがその様な振動をしながら全体としては地球は1500万Kujira 年前頃より寒冷化が始まっている。石炭の歴史が普通に1億年以上の化石であることを思えば1500万年や1000万年などは最近のことのようにさえ思える。今の人間は自殺的な殺し合いを行わない限り恐らくはあと1億年くらいは軽く生存し続けるだろう、クジラでさえ1500万年は確実に生存し続けているのだから。
DNAが引き継がれるということは命そのものが引き継がれていることになる。霊魂というものがあるとするならばそれはDNAそのものなのだろう、人類の種全体としてはそもそも不死のしかけが組み込まれていて、本日現在の自分は通過するシルエットとしての抜け殻なのだろう、結局はDNAに記された記号連鎖が命そのものなのだろう、霊魂そのものなのだろう。自分の中にDNAとして親もいればそのまた親もいる、数千年或いは数万年を経て引き継がれてきたものがまた子へと渡されていく、あらゆる命が近しいもののように思えてくる。
そんなことを考えていくと掘り出されているクジラの化石も昔何処かで交差したDNAかも知れないと親しみを覚えてくる。更には今に残されたちっぽけな島を廻ってこぶしを振り上げている人類の行為が何だか情けなく思えてくる。もっと人はゆるく繋がれるはずなのにと思う。時々は古い時代の生物の化石がこんな風に目の前に現れてくることがまともな世界を保って行くには必要なことのようにも思えている。

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2013年2月13日 (水)

かもめ

チェーホフのかもめをやっと読んだ。やっと、というのも変ないいかただが、今までに気になって何度も読みかけてはまともに読まずじまいになっていた。ロシアの長い名前を頭に入れながらの戯曲というものがどうにも先へ読み進めるのを妨げたのではないかと思っている、しKamome かし少々言い訳じみている。かもめは主人公に運悪く撃ち落とされる、偶然の遭遇がかもめにとって致命的な結果をもたらしたことになる。かもめはうら若い女性を象徴し主人公の恋人のことでもあった、彼女は主人公の家の別荘でたまたまあこがれる高名な小説家(主人公の母の恋人でもある)に出会い子を設けるまでの恋に陥るが結局は別れ子供も死んでしまう、全ての不幸が偶然の遭遇から起こっている。恋人てあった女性は度々私はかもめと主人公に向かって書き送り、語っている。冒頭で主人公が書下ろした25万年後の地上の全ての生き物が死に絶えたった一つの情念だけが存在し続けるという劇中劇が主人公の恋人によって演じられるが、人生の生きていく生き様の虚しさを暗示しているようにも思われる。主人公は去っていった恋人に数年後に再び再会するがその力強くもある現実的な姿・考えが彼に絶望を与え主人公は自殺して話は終わる。ストーリー展開の劇的な部分は語りによってのみ示される。舞台は殆ど変わらない別荘の一室で終始する。こんな話だったのだ。ストレートな戯曲ではない。饒舌とも言える語りがその他の登場人物によっても語られる、今更ながらチェーホフの立体的な才能を感じてしまう。
Tereshkova テレシコワが宇宙へ初めて出た時の第一声が私はかもめだった。テレシコワのコールサインがかもめだったことからそうなったのだが、テレシコワは撃ち落とされること無くまだ存命で昨年末にはロシア総選挙に出て一度離れた政界へも復帰している。恐るべき偶然がテレシコワをここまで導いたのだろう。裏返しの意味での私はかもめだったように思えてくる、テレシコワの宇宙飛行の後は20数年の間ソ連は女性宇宙飛行士を育てなかった。女性の一番乗りもソ連が制したことにのみ意味があったのだろう、いかにも政治的だ、必然ではなかったという意味で偶然の作用が大きいように思える。
チェーホフのかもめが気になっていたのはたまたま当時新聞で見たテレシコワの私はかもめという第一声が頭にずっとあったためではないだろうか、そんな風にも思っている。偶然の遭遇が折り重なる生をあたり一面に存在させている。偶然の作用が弱い生き方なんぞ つまらないもののように思えて、そういうことか、と何かを見つけたような気がしてくるのが面白い。

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2013年2月 4日 (月)

またカザフスタンで航空機事故

またカザフスタンで航空機事故だ。50席リージョナルジェットCRJ200がカザフスタン最大の都市アルマトイの国際空港に着陸Crj200 しようとして失敗、墜落,乗客乗員21名全員が死亡した。1月29日現地午後1時13分のことだ(201301290713z)。現地はこの時刻濃霧で事故機は1回着陸復航をした後2回目のトライに失敗して墜落している。SCATという1997年に設立されたカザフスタンの航空会社が運航していた。737,757も1機ずつ、CRJは2機保有しているが他の43機はアントノフの機体で旧東側の機体の運航がベースの航空会社だ。EUからはカザフスタンの航空会社は国営のKisyo13012906z 会社1社を除き全てEUでは安全上運航を禁じられており、この会社も所謂ブラックリストにはいっていたことになる。やはり危なかったかとの感は否めない。滑走路は一流でCAT IIIの自動着陸が可能で長さも4500mときわめて長い、以前はソ連の超音速旅客機TU144も運航したほど立派な滑走路だ。
事故当時の気象は劣悪で風は弱いものの視程150mの氷霧が立ち込めている。CAT IIIの能力のある滑走路ゆえ150mの視程でも着陸可能としたのだろう。CRJ200が機体といてCAT IIIに対応していたかどうか定かではないが内陸で霧が出そうなこの空港で運用してきていることから少なくもCAT III aには対応している可能性が高い。CAT III aでは200mまでの視程でも飛行可能だが150mでは更に高度なCAT III bが求められる、ここまであったかどうか。更にこの時の気象条件は着氷が起こる零度付近の霧だ、パイロットへの心理的圧迫もかなりのものがあったのだろう。直接的には着氷で操縦が難しくなり視程も許容ギリギリかそれ以下で着陸のパスコントロールに失敗したのではないかと思える。こんな条件では着陸をあきらめるべきだ。ここでも2つの困難が重なると事故が避けがたくなるという法則が証明されているようだ。運航を含めた全体が安全志向にならない限りEUのブラックリストからぬけだすことはできないように思える。長い目でみるほかないのだろう。

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