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2013年2月20日 (水)

発掘されたクジラの化石に親しみを感じて

1週間ほど前に鬼怒川で発見されたクジラの化石の発掘現場をついでがあったので見に行った。1000万年前のものだという。人が河原にたかって重機が動き掘削ドリルがうなる、土器の発掘とは随分と趣が違って面白い。掘り出している人もとりまく野次馬もワクワクした気分を共有しているのが伝わって楽しい。昨年もすぐ近くでクジラ化石は見つかっていたが35年前にはもっと北の南那須町大金で同じナガスクジラの化石が発見されていた、こちらは1500万年前ということらしいがとにかく昔はこの辺りでクジラガが泳ぎまわっていたことは間違いないようだ。今より総じて温暖で海洋が那須まで広がっていたということになる。少し調べると地球には4万年から10万年の周期で氷期が訪れているがその様な振動をしながら全体としては地球は1500万Kujira 年前頃より寒冷化が始まっている。石炭の歴史が普通に1億年以上の化石であることを思えば1500万年や1000万年などは最近のことのようにさえ思える。今の人間は自殺的な殺し合いを行わない限り恐らくはあと1億年くらいは軽く生存し続けるだろう、クジラでさえ1500万年は確実に生存し続けているのだから。
DNAが引き継がれるということは命そのものが引き継がれていることになる。霊魂というものがあるとするならばそれはDNAそのものなのだろう、人類の種全体としてはそもそも不死のしかけが組み込まれていて、本日現在の自分は通過するシルエットとしての抜け殻なのだろう、結局はDNAに記された記号連鎖が命そのものなのだろう、霊魂そのものなのだろう。自分の中にDNAとして親もいればそのまた親もいる、数千年或いは数万年を経て引き継がれてきたものがまた子へと渡されていく、あらゆる命が近しいもののように思えてくる。
そんなことを考えていくと掘り出されているクジラの化石も昔何処かで交差したDNAかも知れないと親しみを覚えてくる。更には今に残されたちっぽけな島を廻ってこぶしを振り上げている人類の行為が何だか情けなく思えてくる。もっと人はゆるく繋がれるはずなのにと思う。時々は古い時代の生物の化石がこんな風に目の前に現れてくることがまともな世界を保って行くには必要なことのようにも思えている。

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